思い出して
(もう、ユノの元に帰ろうか……)
大きな溜め息が出た。いや、溜め息しか出ない。
(あんなにもはっきりとオレの目を見たのに、)
ふ、と薄く笑う。
(明日香を守ることもできないくせに……明日香を責められるのか?)
あの時。
大きな地震がきて、電車が脱線した。地面は盛り上がり、波を打って、線路を凄まじい力でぐにゃりと曲げた。車輪が外れ、電車は横転した。駅に近かったため電車は減速していたので、ケガ人は多数出たが、幸い死者は出なかった。
ロウは、明日香が乗っていた次の車両にいた。連結のドアの窓から、そっと覗く。その横顔を見るだけで、胸が締めつけられた。
(オレを忘れるなんて、)
毎日、遠くから見守っていたが、実はいつも情けないほど、その事実に心が囚われていた。思い出すのは、一緒に暮らしていた頃の、何の変哲もない日常。明日香がバナナを食べる。皮を片付けながら、満足そうに笑う。あの時、自分に向けられていた明日香の笑顔は今、自分以外の男に向けられている。
隣の車両から、明日香を見ると、ロウはいつも明日香を遠くに感じるしかなかった。
(こんなにも、オレは明日香を……)
側にいって、触れたい。抱き締めて抱き締めて、そして。
そう思っていた矢先の、電車の脱線事故だった。
ロウは、車両を転げ回って、あちこちに切り傷を作った。尻尾が使えれば、もっと軽傷で済んだだろう。ロウは倒れている人の群れを器用に避けながら、明日香のいる隣の車両へと這っていった。連結部分のドアは外れて、倒れた人の上に被さっている。ロウはそれをどかしながら、下敷きになった人を引っ張り上げて、その安否を確認すると、隣の車両へと向かった。
「明日香、明日香、」
そこにいたはずの明日香の姿がない。這いつくばって、明日香の姿を探す。見覚えのあるスカートを人の群れの中に認めると、ロウの背中にぞっと冷たいものが走っていった。
「あすかああ、」
すぐにもそのスカートの元へと辿り着くと、倒れた人と折り重なっている明日香を認めた。
「明日香、明日香、今助けるからな、明日香、」
けれど、引っ張り出した明日香は。
どこかから、血を流していた。
ぐったりしたその頬を撫でると、涙が溢れ出た。
「明日香、あす、あすか、死ぬな。死なないでくれ……嫌だ、あすか」
いつのまにか、手が真っ赤な血で染まっていた。
ロウは明日香を抱き締めた。
愛しくて仕方がない存在なのに。こんな風に呆気なく失うことなんてできないのに。
ロウは明日香を抱き上げると、横転して逆さまになった窓から、外へと出た。割れた窓ガラスで、肩口を切ったが、ロウはそのまま線路を降りていった。
どこかからサイレンが聞こえてきて、たくさんの「人」が助けに来た。
「愛してるんだ、明日香」
ロウは明日香を抱いたまま、その場に立ち尽くした。
✳︎✳︎✳︎
退院してからも、少しの間は自宅療養ということで、明日香は暇を持て余していた。
「ねえ、ったら‼︎ こらこらこら、聞いてるの? コタロー」
コタローはプイッと向こうを向いて、重ねた前脚に頭を乗せ、また眠ったふりをした。
「た、タヌキ寝入りかっ‼︎」
明日香が声を上げる。
「ねえねえ、聞こえてるんでしょ‼︎」
「クーン、クーン」
明日香は、わなわなとしながら、再度声を荒げた。
「そんな甘えた声を出したって、ダメだよっ‼︎ まったくもお」
「ちぇえ、もう思い出しちゃったの?」
「思い出しちゃったの、じゃないよ‼︎ あれから、どれだけ経っちゃったの?」
「うーん、わからない」
「ねえ、ロウは? 今、どこにいるの?」
プイと、コタローは顔を避けた。
「知らないよ」
明日香は、さらにわなわなしながら、コタローの首根っこをぐいっとつまんだ。
「ちょ、あす、明日香っ‼︎ ボクがそれ嫌いなの知ってるでしょ」
「お願い、コタロー」
「…………」
「この通り‼︎」
コタローは耳を垂らすと、明日香の手をふるふると首を振って離させた。
「この通り、って態度じゃないよっ」
ベロベロと舌を上下に動かすと、明日香の頬をべろっと舐めた。




