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失うものの大きさ


いつも通りホームに滑り込んでくる電車のドアが開き、明日香は急ぎ足で乗り込んだ。チャイムの音と同時に、ドアが閉まる。いつもよりは混んでいる車内で、明日香は吊り革に掴まって、その腕に体重を預けていた。

カーブに差し掛かり、ぐらりと身体が揺れる。


(はああ、ねむ)


はっきりしない頭。目を瞑ると、軽い眠気に襲われる。薄ら目を開けて、ふと隣を見た。

人の頭が並ぶ隙間をかいくぐって、一つ隣の車両には。


(あ。あの人がいる)


眼を引く容貌。誰もが釘付けになる。大学で噂になっている人は、きっとあの人だ。そう確信できるくらいの、オーラ。


(あの瞳で見つめられたら、どうなっちゃうんだろう)


そう思った自分が恥ずかしくなり、明日香は視線を戻した。


(きっと、恋人がいるんだろうな)


その瞬間。

ギギギっと大きな音を立てて、電車が上下に揺れた。


「わわわっ」


倒れそうになり、吊り革に掴まっていた手にぐっと力を入れた。顔を戻すと同時に、身体が浮いた。


「え、うそ」


その瞬間。


わあっと、車内がざわついた。

それと同時に、耳をつんざくような音。まるでバイオリンやチェロの弦楽器を滅茶苦茶に弾くような。

そして、遊園地のアトラクションのように電車が揺れた。あちこちでガシャンガシャンとガラスが割れる音が響く。


明日香の身体は掴んでいた吊り革の腕を軸に、半回転し、宙ぶらりんの格好になった。人が数人、頭の上から降ってきて、身体のそこら中に接触してくる。

痛みはあるが、それどころではない。


「きゃあああ」

「倒れるぞっ‼︎」


車内はパニックになった。

明日香は、一瞬目を見開くと、いつもは座る座席のシートが頭上にあるのを認めた。


(う、そ)


電車が横転しているのだと、初めて理解した。


ガンッと、重力なのか遠心力なのか分からない力で引っ張られ、その衝撃で吊り革を持つ手が離れされた。そのまま後ろへと倒れていく感覚。背中から落ち、衝撃があった。


「痛っ‼︎」


車体が引き摺られているのだろう、この世のものとは思えないほどの金属音。

人と人の間に埋もれながら、明日香はその音を聞いていた。聞いたことのないような、酷く耳障りな音。狂った獣のような鳴き声。恐怖に狂う人の怒声。


(ああ、この世界も戦場だ)


そして、目を瞑った。身体が揺れる。まぶたの裏に、何かが映った。映ったのは、覗き込む……誰?


「明日香っ‼︎ 明日香ああっ‼︎」


名前を呼ぶ声に、薄っすらと目を開ける。そこには、……。


「今、助けるからな。明日香、明日香」


いつのまにか、獣の鳴き声が止んでいることに気づく。

明日香は目を閉じた。声が遠ざかっていく。


「明日香、あす、あすか、死ぬな。死なないでくれ……嫌だ、あすか」


頬にひやりと冷たいものが伝った。


(愛しているんだ)


誰かが言ったのか、それとも自分が言ったのか、明日香はそのまま意識を失った。


✳︎✳︎✳︎


「明日香、明日香あ、良かった」


目を覚ますと、母親の心配そうな顔が覗き込んでいた。その隣には、父親の顔もある。


「助かったのよ、あなた、助かったの」


「明日香、酷い怪我じゃなくて、本当に良かった」


明日香は顔を横へとずらすと、両親の隣に一人の男が立っているのを見た。男は、じっと明日香を見つめている。


「……思い出した」


そう言葉にすると、男は目を見開いた。


「イケメンの、人」


けれど、男は言った。


「……それじゃ、オレはもう帰ります」


明日香は、もう一度声をかけようとしたが、男はすでに部屋のドアの取っ手に手をかけていて、背中しか見えない。明日香の母親が、待ってください、と追い掛ける。ドアがカタンと小さく鳴って閉った。


明日香が、見える範囲をぐるりと見渡すと、ここが病室だとようやく理解できた。頭がまだ、ぼんやりとしている。


「もう少し眠っていた方がいいよ」


父親の囁くような優しい声。その声に促されるように目を瞑ると、さきほどの男の顔が浮かんだ。くしゃりと眉を寄せて、口をへの字にした、今にも泣き出しそうな、辛そうな顔。


(ねえ、どうしてそんな顔をするの?)


明日香は、眠りに落ちる前に、そう思った。


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