辛辣
「どこかで、見たことあるんだけどなあ」
シャワーで温まった身体を拭きながらお風呂から出ると、明日香は鏡の前に立ち、髪をタオルでバサバサと拭いた。
「あんな芸能人みたいなイケメン、知ってるわけないけど」
濡れねずみで電車に乗って家に帰ると、母親が狂気しながら駆けつけてきた。
「やだやだ、明日香あ。こんなんになっちゃって。どうして、学校で待っていないの? 電話してくれたらパパが迎えに行くって、ラインしたでしょ‼︎」
「傘があったから、何とかなるかなって思って」
「台風みたいな雨だもの。電車、今止まってるよ」
「うっそ、じゃあギリギリセーフだったんだ」
「風邪ひいちゃう。早く、お風呂入んなさい‼︎」
そして、シャワーを浴びている間、ずっと考えていた。電車の中で確認した、友達からのライン。アリサという高校からの友達だ。
『カフェにてめっちゃカッコいい人発見‼︎』
『明日香も講義終わったらおいでよ‼︎』
ハートのマークが飛び交う文章。気がつかず帰ってしまったので、そのイケメンには会えなかった。
(今日、電車で逢った人かもしれない……)
女子高生にナンパ(?)されていた場面を思い出す。そのクールな立ち居振る舞いに、胸が鳴った。
(行きの電車で一緒だったかもしれないなんて言ったら、アリサちゃんに怒鳴られそう)
薄く笑うと、明日香はドライヤーで髪を乾かした。
リビングに入ると、温かいスープを作って、母親が待っていた。
「ねえ、本当に今度は電話してよ」
心配しているのは分かっているので、明日香は素直に頷いた。
「うん、わかった」
「覚えてるよね、高校の時。あんたがずぶ濡れで戻ってきた時はもう、心臓が止まるかと思ったわよ」
「あれはねえ、ほんと……」
制服で出たはずが、自分のものではない洋服を着ていて、しかもそれがぐっしょり濡れていて、母親は一体何があったのと、狂ったように心配した。
あれ以来、両親は何かと心配顔を寄越してくるようになった。
明日香は、マグカップを受け取って、フーフーと息を吹きかけながら、すすった。
「笑いごとじゃないわよ。コタローの散歩に出かけたと思ったら、川に落ちて帰ってくるなんて。ヒザやら何やら怪我はしてるし、本当に驚いたんだからね」
母親は同じようにマグカップで、スープを飲む。
「まったく、おっちょこちょいったらないわ。誰に似たのかしら」
足元に擦り寄ってくるコタローの頭を手で撫でる。
「そりゃあもう、パパかママでしょ」
あはは、と笑おうとした時、外でピシャッと大きな音がして、首をすくめた。引いた厚手のカーテン越しでも分かる雷鳴。
「すごい、雷だね」
「随分と青空を拝んでないわあ。洗濯物が乾かないったら。どうにかならないのかしら、この異常気象」
明日香は、足にまとわりついてくるコタローを避けながら、窓辺に寄った。カーテンをそっと開けたその時、ドンッと音がして、稲妻が落ちた。
「うわあ、近くで落ちたんじゃない? 最近は、落雷が原因の山火事も増えているから。おーこわ」
母親はそう言いながら立ち上がって、キッチンへと入っていく。
明日香は、外を、空を見ていた。
✳︎✳︎✳︎
「明日香に近づくなと、何度も言っただろ」
「何だ、もうヒゲ面をやめたのか?」
「おまえが明日香の周りをうろうろしているのは知ってるんだからな。イヤな匂いをさせやがって」
「じゃあ、明日香とよく一緒にいる男のことも、おまえは知っているんだな」
人間の姿になったコタローはふてくされた顔を作る。
「……知ってるよ」
「…………」
「…………」
沈黙が重苦しくなってくる頃、ゆかりがその空気を破った。
「ねえっ‼︎ 大の男がうっとうしいんですけどっ」
持ってきたお盆をガチャンと乱暴に置く。料理がのった茶碗や皿をさっさと手早くテーブルに並べていった。椀から汁物が溢れると、コタローがそれを横目で見ながらイライラした様子で言う。
「みそ汁、こぼすなよ」
ゆかりは、ちょっとあんたねえと言いながら、テーブルをバシッと叩いた。
「これ、誰が作ったと思ってんの?」
しんと静まり返る。コタローは、ロウには文句など言いたいことを言えるのだが、ゆかりのことは苦手にしていた。それは、同じ『双樹』の使い魔であるということもあって、なんとなく気を使ってしまうからだ。
「食べるの? 食べないの?」
ゆかりの、有無を言わさないこの低い声も苦手。コタローは何となく二の次が告げられない状態で、食事を食べ始めた。
「ゆかり、これどうしたんだ?」
ロウがテーブルの真ん中に置いてある花瓶を指差す。
「言ったでしょ。私たち『双樹』の使い魔は、何でも手に入るって」
「ああ、メインブレインと繋がっているから、店で売っているもので買えないものはないんだろ。でも、これは……」
小ぶりのドット柄の花瓶には、花が生けてある。
「花屋で買ったのか?」
「はあ? こんなのどう見たって、野の花でしょ」
「こんな花は見たことない」
「まあ、あんた達獣人の国には無かったのかもね。ってか、こんなん興味も無いでしょ‼︎」
「そんなことはないぞ。ユノがよく、」
ロウが、言葉を止めた。
『獣−獣族』でも、道端に花は咲いていたし、森の中で野花の群生に出会うこともあった。果実をつける樹木も実をつける前には花を咲かせる。
ユノはそれらの花を手折ってきては、水を張った桶にどさっと入れて、それを見て楽しんでいた。花を愛でる習慣が無かったロウも、ユノに習って、花を瓶にいれて飾ったこともあった。
思い出すと、途端に不安に襲われる。それは、「人」と「獣」が戦う戦場に、ユノとイェンナを置き去りにしてきてしまったからだ。
黙り込んだロウを見て、ゆかりがバツの悪そうな顔をした。
「ちょっと、そんなマズそうな顔をしてご飯を食べないでよっ」
「ああ、すまん」
伏せていた顔を上げると、コタローはもうほとんどをたいらげていた。
「ロウは、ゆかりと仲良くすればいいんだよ」
不満顔で言うと、またその話か、とロウがかわして箸を進めた。
「それより、『双樹』の様子はどうだ? 昨日の嵐も結構、酷かったぞ」
「うん、明日香もずぶ濡れで帰ってきた」
「毎日、様子は見に行ってるけど……あんまり芳しくないわね」
「見に行ってるって、あの河原か?」
「そう。『双樹』はあの川の中にあるからね」
「あんな浅い川の中にか?」
ロウが、驚きの表情を浮かべる。
「信じられないかもだけどね。実際、明日香だって川の中へ転がり落ちて、それであちらの世界へと飛んでっちゃったんだから。バカかっつうの」
その言葉に、コタローが反応する前に、ゆかりは早口で続けていった。
「『双樹』が完全に枯れてしまったら、自浄作用でこっちの世界は酷いことになる。『双樹』が世界をコントロールできなくなると、一旦は全てをゼロにしようとする。世界を一掃して、また一から創っていくのよ。この世界は酷いことになるわ」
「…………」
ゆかりが息を継いだ。
「せっかく、明日香を助けようとして、こっちの世界に来たのに、残念だったわね」
「…………」
コタローとロウが、言葉を迷わせていると、ゆかりはダメ押しのような強さで言った。
「それとも、また『双樹』を登っていく? 」
「そんなことができるのか?」
「できるわよ。でも、登っていったとしても、明日香を助けるなんてできないかもよ」
「どうしてだ」
「だって、まだ向こうは戦争の真っ最中だもの」
「なんだって?」
ロウが、先を促す。
「どういうことだ?」
「明日香がアシンメトリーワールドをまたぐ時は、『双樹』によって時間を戻されるから」
「時間を戻される?」
「明日香は今、自分の時間を生きているの。必要のない記憶や時間は、消去される。だから、あんたのことも覚えていないのよ」
「……必要、ない……」
ロウの手から、箸が滑り落ちて、カタンと音をさせた。




