不穏な足音
「イアン、まだ明日香を説得できていないのか」
「いつまでかかってる、そんなには待てないぞ」
方々から上がる批判の声に、イアンは頭を抱えていた。
「明日香は『双樹』との交渉の方法を知らない。仕方あるまい」
ウォウと一喝するように、吠える。
ホワイトタイガーのジャファが、のっそりと伏せていた身体を浮かせた。
「それをなんとかするのが、族長の仕事だろう」
ここ数日、イアンが家を不在にすることが多かったのは、『獣−獣族』を取りまとめる族長の交代劇があったからだ。イアンの父親が引退し、全ての権限と責務をイアンへと譲渡した。『獣−獣族』の政府内では、イアンが族長になることを満場一致で可決し、円滑に権限はイアンへと受け継がれた。けれど、お祝いムードとなるにはほど遠く、今『獣−獣族』が直面する大きな問題に直ぐにも取り掛かることとなったのだ。
ここ数日は、何度も族長会議を開いている。話し合いが、いつも平行線で終わるからだ。
「今は、明日香もイェンナも、『獣−獣族』の所有物だ。ミックスを二つも手に入れたのだからな、これは、なかなか有利だぞ」
ジャファが、大きな口を開けて言った。
黒豹のジュドが、その発言を気に入らないとでもいったように唸り声を上げ、そして牙を剥いた。
「明日香は物じゃない。口に気をつけろ」
それをいなすように、ジャファは言った。
「はん、あんな小娘がお気に入りとは、「黒疾風のジュド」の名も落ちたものだな。明日香をよく見てみろ、あんなおかしな顔は他に見当たらないぞ」
「おいっ‼︎ 明日香には敬意をもって接しろ‼︎ 明日香は、オレらを見下したりしない、心の綺麗な子だ」
ジュドが、さらに牙を剥く。それを見たジャファが、ゆっくりと起き上がって、ゆらりと身体を揺らしながら、一歩前へと進んだ。
「おい、やめろ‼︎」
イアンが一喝する。
「そんなことをしている暇があるなら、何か良い方法がないか調べてこい」
ジャファが、イアンを睨みつけた。
「何度言ったらわかる‼︎ そんな都合の良い方法など、この世界のどこにもないのだ。おまえは本当に手ぬるいぞ。そんなことで、族長が務まるのか? 三国会議だと? それこそ時間の無駄だ‼︎」
ジャファは言い捨てると、イアンから視線を外した。イアンはそれを見て、鼻息を一つだけ、吹いた。
「おまえの言いたいことはわかる。だが、三国が共存するには……」
「共存なんてあり得ないと、何度も言っているだろう‼︎ そんなことより、「人」と「獣人」を排除して、ここを『獣−獣族』の一国にすればいいんだ。始まりはオレたち「獣」だけだったはずだ。この世界の起源はオレたち「獣」なのだ。オレたちだけの国に戻して、何が悪い‼︎」
「それでは『人−人族』と同じになってしまう」
ジャファは、言葉を続けるイアンを再度、見た。
「ふはは、「人」ってのは本当に愚かな生き物だ。オレたちを追い払おうだなんてな。そうやって、オレたちを見下していればいい、いつか目にもの見せてくれるわ」
ジャファは口を開けて、ごうごうっと二度、唸った。
イアンは、吐きたい溜め息をぐっと堪えると、立ち上がってその場を出ていった。
「族長があんな弱腰でどうするんだ」
「イアンが望む共存なぞ、不可能だ」
獣たちが口を揃えて言う。
「ああ、何とかしないとな」
ここで、ジュドと狼のダイチが腰を上げて、イアンの後を追うようにして出ていった。
「イアンの腰巾着どもめ」
誰かの声に、皆が頷く。
「そ、それにしてもゆかりという「使い魔」が、あ、あちらから飛び込んできたのは、ラッキーだった、だね」
声を震わせながら、ハイエナのチップが口を挟む。
「そうだな。獣人が二人、余計だったが、あんなものは簡単に始末できる」
ジャファが、引き続き、その場に腰を落ち着けている。べろりと舌を出して、口の周りを舐めた。
「簡単だ。首根っこを噛み切ればいい」
「…………」
これには誰も反論しなかった。不穏な空気のまま、ジャファは獣たちに解散だ、と一言だけ言った。
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「イェンナは帰りたいとは思わないの?」
ユノが、洞窟の入り口、月明かりの中、隣に座るイェンナに問うた。
「ん、帰っても、誰もいないから」
「そっか……そうだね」
「私ね、友達っていうのもいなくて。どうしてなんだろうね、コミュニケーションが苦手ってわけじゃないんだけど、友達ができてもすぐに離れていってしまうの。だから、小さい頃から独りぼっちで」
ユノが、薄明かりの空を見上げると、イェンナもつられて空を見る。月が明るい代わりに、星の光はチカチカと小さい。
「そんなもんだよ。ボクだって、友達はロウくらいなもんだから」
「明日香は、たくさんいそうだね」
「そうなんだよ。明日香を拾った時だって、ボクたちにすぐ打ち解けたんだ。あれは一種の才能だね」
ユノが、ふふっと笑った。けれど、すぐにその表情を真剣なものに変え、ユノは後ろを振り返った。不機嫌な顔で、男が立っているのを見る。
「才能じゃない、努力しているんだ」
低く落とした声に、ユノは顔を戻して、その声の主を無視した。
「明日香はいつだって努力している。今だって、ゆかりやイェンナに話しかけて仲良くなろうとしている。それなのに何だよ、あの女の態度は? 失礼にもほどがあるだろ」
「知らないよ」
ユノの一言に、コタローはイラつきを隠せない。今度はそのユノを無視して、イェンナに言葉を投げる。
「ゆかりってやつに明日香を無視するなと言ってくれ」
「おまえが言えばいいだろ」
「ボクが言ってもきかないから、頼んでるんだろ」
「……仲間なんだろ。なんとかしろよ」
「⁉︎」
「二人でコソコソと話してたよな。おまえら、『双樹』の使い魔ってやつなんだろ。そんな姿になったって無駄だよ。おまえには明日香は似合わな……」
「うるさいっ‼︎」
ユノが、軽い興奮の中、言葉をエスカレートさせていくが、最後まで言い終わらないうちに、コタローがユノの胸ぐらを掴んで、立たせた。
「おまえこそ、明日香に手を出すなっ。ボクは明日香とずっと一緒に生きてきたんだ‼︎ 明日香はボクのものだっ‼︎」
背丈が少しだけ優っているコタローが優位に立って、ユノを押さえつける。ユノは負けじと、コタローの襟を両手で掴んだ。
「なんだとっ‼︎」
「あらら、ケンカはやめてください」
座っていたイェンナも立ち上がって、二人に近づこうとするが、容易には近づけない。両手を泳がせながら、あたふたしている。
「明日香は、ボクのことが好きなんだっ」
コタローが、声を上げる。
「バカじゃないのか、おまえは何もわかってない‼︎ 明日香はなあっ……」
ユノが、不意に言葉を切った。
「…………」
黙ってしまったユノを、コタローが怪訝な目で見る。戦意を喪失したことを確認すると、コタローは掴んでいた襟から手を離した。
「なんだよ、どうした? ……と、とにかく明日香は、おまえなんか絶対に好きじゃないからな」
口先だけの軽い言い方で、ユノに言葉を投げる。
「……おまえ、本当にバカだな。明日香は、ロウが好きなんだ」
ユノが顔を歪めながら、言った。自分が選んだ言葉なのに、喉の奥が詰まったようになり、ユノは唾を何度も飲み込んだ。喉の奥から何かが上がってきそうで、それを必死に抑えている。
そんなユノの様子を見て、コタローが声を出そうとした瞬間、イェンナの思わぬ強い言葉が響いた。
「明日香は、もちろんロウも好きなんでしょうけど、ユノ、コタロー、あなたたちのことも大好きだと思いますよ」
イェンナの金の髪がその拍子に揺れる。一度だけ波を打って、そのまま静かに落ち着いていった。
「あなたたちの方が、よくわかっているとは思いますけど」
二人が、視線を落とす。その様子を見て、再度声を掛けた。
「もちろん、明日香はバナナのこともこよなく、愛していますけどね」
その言葉には、ユノとコタローが、眉尻を下げて笑った。
その時。
月明かりの下、あちこちからごうごうと叫び声がした。
ユノの耳が、左右に動いて、何かの音を拾った。
「なんだ、あの音」
「「獣」の鳴き声だ。すごい、数……ちょっと、待って‼︎」
ユノが耳をこれでもかというほどに、立たせている。険しい表情から、恐れの顔へと変える。
「足音がする……「獣」のものじゃない、『人−人族』だ……」
「…………」
ユノは同じように険しい顔を浮かべているコタローを見た。
「すごい数だ……でも、どうして?」
(『人−人族』は、『獣−獣族』の領地には入れないはずだ)
ユノの頭によぎったのは、この世界の理。相容れない環境下で、お互いに共存はできないはずだ。
声が、後ろで発せられた。
「私のミックスと、明日香のミックスが混じり合って、エリアが広がったのかもしれません」
イェンナの声は、少しだけ震えていた。ユノはその様子を見て、事の重大さを十分に思い知らされたのだった。
「イェンナを取り返しに来たのか、それとも……明日香を奪いに来たのか」
「……ただ、戦争をしに来ただけなのかもな」
コタローの言葉に戦慄が走った。三人は顔を見合わせると、すぐに洞窟の奥へと向かった。




