せめぎ合う気持ち
(『神の一歩』まで、まだあるというのに。ユノはそんなに……)
ロウは、先を急ぐユノの背中を見た。その度に、息苦しさを覚える。
「ねえ、」
ロウの背後で声が掛かるが、深く考え込んでいたため、返事が遅れる。
「ねえってば‼︎ あいつにもっとゆっくりいくように、言ってよ‼︎ こんなんじゃ、ついていけなくなるわ‼︎」
ゆかりが、半ギレ状態で声を上げた。
ロウは、その声には振り返らず、そしてもちろん答えなかったが、その代わりに前方を行くユノの背中に声を掛けた。
「ユノ、これ以上速いと、イェンナたちがついていけないぞ」
すると、ユノがスピードを緩めた。
はあ、と溜め息を吐くと、自分も歩くスピードを抑えた。
「まったく、もう‼︎」
ぶつぶつと、ゆかりの文句が聞こえてきたが、ロウは無視してひたすら歩く。明日香に会えると思うと、ロウの心臓はぎゅっと鷲掴みされるように、痛みを伴った。
会いたいと思う。会って、何か美味しいものを食べさせて、そして笑った顔が見たいと思う。純粋に、自分は明日香を欲しているのだ。
いつだったか、突然、自分の気持ちに気付いた時にはもう、明日香を想う気持ちを抑えることなど到底できなくなっていた。
それなのに、ユノも。
(ユノも明日香を愛している)
明日香のいないここ数ヶ月は、ぽっかりと穴が空いたような心を抱えていた。それはきっと、ユノも同じだっただろう。
「明日香のところへ行こうよ‼︎ きっと、今頃泣いている。ロウは、明日香を放っておいて平気なのっ」
真剣な表情で、自分に食ってかかってくるユノを見て、何も言えなくなっていった。
そして、あの日のことを唐突に思い出す。
ユノが自分の髪留めを明日香にあげた時。
ユノと目が合って、恥ずかしそうに赤らめた明日香の嬉しそうな顔。
近くの畑で野菜を貰って家へと帰った時、うっかりと窓越しに見てしまったのだ。
ロウは少しの間、家の中に入ることができなかった。
(明日香も、ユノを……)
そう思うだけで、心臓も頭も胃も痛くなるような感覚に陥った。日が沈み、辺りが宵闇の中へと沈んでいく時間、ロウは家のドアの前で、中から聞こえてくる二人の笑い合う声を聞いていた。現実には涙は流れなかったが、これが泣くという感覚なのかもな、そう思った記憶がある。
ユノの背中を追いながら、ロウは物思いにふけっていた。
(明日香を諦めよう。ユノと明日香のために。オレは、明日香を……諦めるんだ。オレは明日香に一目、会えればいい。時々、遠くからでも……)
細く、息を吐いた。
(明日香の笑った顔が見られればいい)
何度も言い聞かせるようにして、ロウはユノの背中を追った。こんなにも身体を動かしているのに、どこかが寒々しい。
ロウは、後ろをついてくるイェンナとゆかりを気にしながら、自分が冷えていくような感覚に陥った。
✳︎✳︎✳︎
ユノの耳が、ピクピクと反応した。そしてそれを、ロウは後ろから見ていた。
「明日香っ、明日香の声がするっ」
その声に、ぶわっと何かが湧き上がってきた。
「明日香がいるのか⁉︎」
「ああ、近くにいる。明日香の声だ‼︎」
近くに明日香がいるという事実だけが、ロウの足を速めた。『神の一歩』に行ってみて、明日香がいなかった場合は、『獣−獣族』の領地を探し回らなくてはいけない。イェンナの通訳があるので、時間はそうかからないとは分かっていたが、気は焦っていた。だから、明日香が『神の一歩』にいると分かると、今まで抑えていたものが噴き上がってしまった。
「明日香、いるのかっ‼︎」
「明日香っ、明日香‼︎」
ユノと声が重なり、自分が大声を出してしまったのを、すぐにも後悔する。
ロウは再度、自分を抑える必要があると思った。
ユノの背中についていく。開けただだっ広い空間に出ると、そこにはまだ遠くにある、明日香の小さな姿が目に飛び込んできた。獣が、ふたり。その獣もこちらを見ている。
「明日香っ‼︎」
ユノの力強い声。明日香をこれほどまでに欲している、そんな叫び声だった。
自分が明日香にどれだけ会いたかったか、そんな自分を抑えるのは、自分自身を壊さなくてはいけないような錯覚に陥って、怯んでしまう。
けれど、唇を噛んで、ロウは耐えた。
ユノが駆け出していく。
明日香へと。脇目も振らず、一直線に。
「ロオぉぉ、ユノぉぉ」
明日香の呼び声に、ロウは自分の視界が歪んだような気がした。
愛しい声に自分の名を呼ばれる、これほどの至福。
「あっ‼︎」
その時、明日香が前のめりに倒れた。
転ぶ、と思った瞬間、身体も心も動いてしまった。
「明日香ああっ‼︎」
狂ったような声が出て、自分でも驚いた。
けれど、すぐにさっと冷めたのだ。先に明日香の元へと駆け寄ったユノが、明日香と抱き合っている。
ロウは、空虚な心を持って、ああ、そうだった、と思った。
明日香が倒れた時に握った拳を、ゆっくりと緩めていく。そうして、握っていた何かが、スルスルと手から滑り落ちていくのを、ただ感じていた。




