後悔
ユノは必死で、草木を掻き分けていた。自分の肩ほどに生い茂った、細長い葉を持つ草木。風で大袈裟にゆらゆらと揺れるのもあって、子どもの頃はそれを抜いては、風になびかせては遊んでいた。けれど、それを引き抜く時、その鋭い葉先でよく手のひらを切り、この葉を抜く時、途中からは慎重になった覚えがあった。
(『獣–獣族』の領地にも、同じような植物が生えるんだな)
ユノは、その長い手や腕に切り傷を作りながら、細長い葉を掻き分ける。
いつもなら、ロウが先を行き、その長く頑丈な尻尾で、草木を倒して歩きやすくしてくれるのだが、今はユノが先頭に立っている。
気持ちが急いて、落ち着かない。早く先へ進まなくてはと思うと、足の速さで勝るユノが先頭になってしまうのだ。
ロウは無言で、自分の斜め後ろをついてくる。その後ろには、イェンナとゆかりが、はあはあと息を切らす姿。
イェンナが側にいる以上、イェンナが作るミックスからはみ出ることはまず無い。
「いいですよ。私も一緒に行きますね」
イェンナに、明日香を探しに『獣–獣族』の領地に随行して欲しいと伝えると、意外にもすんなりと了承が取れた。イェンナは、『人–人族』の「人」に伴って、何度かメインブレインである『双樹』へと足を運んだという経緯がある。道案内を頼むと、遊びにでも行く子どものように喜んだ。
すると、ゆかりも一緒に行くと言い出したのだ。
ロウは、ゆかりがナスダリ博士を死に追いやったと思い込んでいる明日香に対して、命を狙ってるのではないかと、警戒し反対した。
けれど、ゆかりはあれ以来、すっかり毒気を抜かれたような様子で、反発しながらも、イェンナとともにロウの家で暮らしている。
「大丈夫よ。あんたたちが大切にしてる明日香って子を狙おうなんて思ってないから」
その言葉を信じ、同行を許したのだ。
ユノは、更に草を掻き分け、進んでいく。
するといち早く、ユノの耳が明日香の声を拾った。
「明日香っ、明日香の声がするっ」
「あら、すごい。『神の一歩』はもう直ぐだけど、まだ少し距離があるのに」
イェンナが落ち着いた声で言う。
「明日香がいるのか⁉︎」
ロウの、少しだけ弾んだ声。
「ああ、近くにいる。明日香の声だ‼︎」
足を速める。『神の一歩』の手前までは、必死で歩いた。
「明日香、いるのかっ‼︎」
「明日香っ、明日香‼︎」
開けただだっ広い空間に出ると、遠くに小さな姿。獣が、ふたり。その獣もこちらを見ている。
けれど、ユノの視界にはその小さな姿しか、捉えられなくなった。
そして、自分の後ろには、ロウの気配。けれど、構わずユノは声を出した。
「明日香っ‼︎」
ユノが駆け出そうと一歩前へと足を出すと、背後で「……明日香」と小さな声がして、驚く。
その声と共に、後ろで足音が止まったのだ。
すぐにも駆け出そうとしている自分に対して、ロウは遠慮しているのだと、ユノは直感した。ロウだって、明日香の元へと直ぐにでも飛んでいきたいと思っているはずなのに。
けれど、そんな一瞬の躊躇があったが、ユノは思いっきり駆け出した。ロウより先に、ではなく、ただただ明日香に会いたかった。
「明日香あああ」
愛しいその名前を叫ぶと、明日香が自分の元へと来てくれるような気がして。明日香の存在がいかに自分の中で、大きく占めていたかは、明日香を失ってから、十二分に分かっていた。
ユノは、ありったけの声を上げて、明日香へと手を伸ばした。明日香が、両手を伸ばして、こちらへと駆けてくる。
その時、明日香が前のめりになり、そのまま倒れた。
「あ‼︎」
驚いて、声を出そうとした瞬間。
「明日香あっ‼︎」
背後で、ロウの声。それは今までには聞いたこともない、心からの叫びのように聞こえた。その声に一瞬、怯む。
けれど、ユノは構わず明日香へと駆け寄り、倒れ込んだ明日香を抱き起こそうとした。
その時。
「……ロウ」
呟くように発せられた名前。ユノの指先が、躊躇して揺れた。
そのまま顔を上げてユノを認めた明日香は、涙でぐちゃぐちゃになったその顔で、「ユノおぉ」と縋るように言った。
ユノは明日香に腕を回して起き上がらせると、その腕に力を込めて、ぎゅっと抱き締めた。
「明日香、明日香、明日香……」
ユノが何度も繰り返したのは、明日香の腕もユノの肩に回って、抱き締め返されたからだ。
「ユノ、」
腕の中の身体が小刻みに波打つ。明日香がしやくり上げるたびに、ユノはその腕に力を入れた。
そして、ようやく明日香から身体を離すと、そのまま明日香の顔を両手で包み込んで、じっと見つめる。
「明日香、鼻が赤い。ヒドイカオダネ」
ユノが言うと、ふふっと明日香が吹き出した。
その笑顔を見て、ユノは立ち上がると同時に明日香の身体を抱き上げた。
「わわわ、うわあ、ユノっ」
お姫様抱っこで腕を背中と膝の裏へと腕を回す。その腕を回した膝の部分の布地が破れていて、擦り傷が見えている。そう酷くはない怪我だが、じわっと血が滲んでいる。
「明日香、痛そう」
顔を歪めてからそう言うと、くるりと振り返る。
そこには。
複雑な表情を浮かべたロウが立っていた。
ユノは、明日香を抱き上げたまま、ロウに近づいていった。
「はい、ロウ。お待ちかねの明日香だよ」
抱き上げている明日香をどんっとロウへと体当たりさせる。その拍子で、ロウの身体はぐらっと揺れたが、すぐにも両腕を伸ばし、明日香を受け取った。
「明日香、」
「……ロウ、ロウ」
明日香に腕を回されると、ロウは明日香の頬へと自分のそれを寄せた。
ロウが、ユノを見る。ユノは、ロウと目が合ったが、視線は逸らさなかった。
その時、初めて。
ユノは明日香と最初に出会った時、ロウより先に明日香を拾っていれば良かったのに、と後悔した。
✳︎✳︎✳︎
明け方近くに家を出ると、ユノはいつもは通らない森の中の入り組んだ道へと足を踏み入れた。
最近、学校に行くのが、少し億劫になっている。自覚はあったが、レポートの締め切りもあって、今日は休めないぞと自分に言い聞かせながら、ユノは草木を掻き分けながら、ずんずんと進んでいった。
その時、パチンっと何かが弾けた音がして、続けてザザザッと何かを引き摺るような音がした。
(なんだろう、ロウ、か?)
音の方へと近づいて行きながら、「ロウ?」と問う。けれど、返事はない。
足元の小枝を踏む音をさせながら、そろりそろりと進んでいくと、植物の蔦に行く手を阻まれるようになった。
(ここって……ロウと小さい頃によく遊んだ場所だ)
見上げると、太陽の出ていないまだ暗い空と森の木々とが重なって、真っ黒な空間。小さなランタンが頼りの、薄暗がりだ。
(寄り道してる場合じゃないぞ。早く学校に行かないと。レポートの概要をまだ書いてない)
ここで再度、通学に気が進まないことを再認識するが、自分自身を鼓舞してから踵を返すと、そのまま歩を進めようとした。
「ンン」
何の音なのかもわからない、唸り声のようなものが聞こえてきて、一瞬怯む。
ユノは、やはり気になって、その音がする方を振り返った。
ユノの耳は、鮮明に音を拾うことができる。耳をすますと、やはり何やら聞こえてくるのだ。
「ンン、シンダァ」
意味は分からないが、誰かいるようだ。ユノは、ガサガサと草を掻き分けて、近づいていった。
すると、人の手のようなものが、真っ暗な空へと突き上げられている。背景は暗いが、その手は白く、ぼうっと弱いけれど光っているようにも見える。
「うわあっ」
気味が悪くて、ユノはその場を去ろうとした。
けれど、振り返る。
その手は、宙を浮いているように見えるが、目が慣れてくると縦横無尽にそこら中に張り巡らされている蔦に、絡まっているのが見て取れた。
(なに、あれ)
好奇心より恐怖が優っているので、それ以上は近づけない。その白く光る腕に目線を落としていくと、黒い頭がぼんやりと見えた。その白く光る手や腕とは対照的に、その黒い頭は暗がりに同化し、はっきりとは分からない。
「行き倒れ、なのかな?」
この森は、『人–人族』とのデッドラインが近いので、行き倒れは珍しくなく、そしてそれは常に息をしていない。何度も物言わぬ行き倒れに遭遇しているが、そういうのが苦手なユノは、決して近づかなかった。
「ン、ウン」
細く、少し高い音。それが声だと分かると、ユノは綺麗な声だと、心の中で思った。今までに聞いたことのないような、響き。
そうこうしているうちに、好奇心が勝った。
ユノはランタンを前に掲げると、そろそろと近づいていった。その時点でそれが「人」だという認識は持っていた。
「大丈夫?」
ユノがさらに近づくと、黒い頭が揺れた。ランタンで照らす。すると、その黒く細い髪が、さらさらと揺れている。
「ねえ、キミ。大丈夫……?」
手を差し出して、顔を起こして見ようとした時。
「シンジャッタノネ」
ユノは驚いて、手を引っ込めた。ユノの耳が、今度ははっきりとその言葉を捉えたからだ。
(うわあああ、なになに‼︎ これ、死体じゃないの⁉︎)
驚きと怖さで後ずさる。すると、さらにその白い手が揺れた。その様子が、こっちへ来い、と言われているようで、ユノはさらに恐怖を感じた。
「う、うわああ」
声を上げて、踵を返した。何度も振り返るが、その度に白い手がゆらゆらと揺れている。ユノは自分を誘っているように思えて、その場を直ぐにも離れたかった。それなのに何故か、その場を離れがたい気持ちもどこかにあったのだ。学校に着いて気持ちも落ち着いてくると、その思いが徐々に重みを増していく。
「そうだ、ロウに見てきてもらおう」
ロウなら、きっと確認しに行ってくれるだろう。
そう算段をつけると、まだ誰もいない教室で一人、机に向かってユノはレポートの概要を書き始めたのだった。
(その行き倒れが、明日香だと知っていれば……ボクが助けたのに)
後悔が、湯水のようにとめどなく湧き上がってくる。
あの時、ロウより先にボクが拾っていれば、いつのまにか握り込んでいた手のひらを開くと、薄っすらと爪の跡が赤く付いていた。




