思惑
イアンに見守ってもらいながら、川に笹舟を浮かべたりして遊んでいると、川べりの向こう側に、何かの獣がこっちを見ていることに、明日香は気づいた。
「鹿、かな?」
すると、その隣に一回り大きな獣も現れた。
(あれれ、どんどん増えていくよ)
「明日香のミックスを嗅ぎつけたな。おい、お前たち、もう帰るぞ」
イアンの耳と鼻が、先ほどからヒクヒクと小刻みに動く。
「早くしろっ‼︎」
イアンの怒声に、びくりと縮み上がった兄妹たちは、川の水溜りに浮かべていた笹舟を咥えて、川から上がる。妹のマルも咥えようとして失敗し、再度咥えようとして、前進した。
そこへ。
ぐわっと大きな口を開けたワニが近づいてきた。その身体の大きさからいっても信じられないくらいの素早さで、マルへと突進してくる。最初に気づいた明日香が、悲鳴を上げた。
「マル、マル‼︎」
マルは、笹舟を咥えようとすることに必死になり、近づいてくるワニに気がつかない。少し離れた場所にいるイアンも威嚇の声を、ごおっと上げた。
明日香は、マルへと近づいていくが、自分もイアンもこのままでは間に合わないと直感した。
「ちょっと、あんた‼︎ その子に手を出したら、あんたをハンドバッグにしてやるからねっ‼︎」
明日香は、腹の底からの大声を出した。ありったけの声で叫んだ甲斐もあって、ワニが怯んで、歩を止めた。
「は、ハンドバーク? なんだ、それは」
この時、明日香は自分が通訳者であることを、心底良かったと思った。このワニの反応を見て、これはもうこのワニを懐柔するしかないと思い、頭の中で言葉を探る。
「……ハンドバッグよ、ハンドバッグ‼︎ カバンってことよ」
「だから、そのカバンってのは、いったい何なんだよ」
言いながらも、のそのそと、マルに近づいていく。マルは恐ろしさでガタガタと震え、その場で動けないようだった。
「カバンっていうのは、こう四角くって、ハンカチとか色々入れて持ち歩くものなの。だいたいはこういう布で作るんだけど……」
明日香は、自分の服を指でつまんで、伸ばした。そして、十分に間を取ると、ゆっくり一語一語に力を込めて言った。
「……でも、たまにワニの皮で作るのよ」
「な、なんだって‼︎」
ワニは、ぐわっと口を開けて、二、三歩後ずさった。
「ひ、『人−人族』は、そそそ、そんな野蛮なことをするのか……」
ブツブツと言っている。
明日香はその隙にマルへと近づいていき、手を伸ばして抱き上げた。抱き上げたマルは、まだふるふると震えていた。
「もう大丈夫だよ、マル。安心して」
マルの身体にぎゅっと力が入った気がして、明日香も抱き締める。
「ワニさん、名前はなんていうの?」
ブツブツと独り言を言っていたワニが顔を上げる。
「オレか? オレは、ラン。おまえは通訳者の明日香だろ? イアンがおまえを独り占めしていると聞いてるぞ」
え、と明日香は、周りに視線を配った。獣の数が増え、こちらの様子を見つめている。けれど、襲ってくる気配はなかった。それは後ろで、イアンが睨みをきかせているからだろう。
「ラン、さっきのハンドバックの話は冗談よ。それは、私がいた世界の話で、『人−人族』はたぶんそんなことはしないと思う。ここの世界の三つの国は、別々の国だけども、それなりに共存できていると思うから」
ランが、笑いながら言った。
「ははは、共存かよ。オレたちは生きるのに必死だけどな」
その言葉に、引っ掛かりを感じて、明日香が再度口を出す。
「生きるのに必死っていうんだったら、私が出会った『獣−獣族』のロウやユノも同じだよ。食べることも勉強も生きることだって、一生懸命なの。私みたいに、親の元でのうのうと暮らしているわけじゃない」
ここでまた、明日香は自分の両親を思い出した。この世界へ来てから、明日香は自分がどれだけ両親に頼っていたか、どれだけ両親が守ってくれていたのかを、肌身にしみて感じていた。
つい、湧き上がってくる寂しさや悲しみをそのままにさせてしまった。すると、涙が頬を伝った。
抱っこしていたマルが、いつのまにか震えていたのをやめ、心配そうにピスピスと鼻先を近づけている。ワニのランがばつが悪そうに、視線をよけた。明日香が我慢できずに、うっうっ、と何度もしゃくり上げ始めると、どこからか声が聞こえて来た。
「明日香、泣かないで。キミの言いたいことは、よく分かったから」
「そうだよ、そんなに悲しまないで」
様子を遠巻きに見ていた獣たちが、口々に明日香を慰めた。そして、ランが顔を戻すと、「悪かったな」と謝罪する。
「オレたちは『人−人族』や『獣−人族』に対して、敵意を持っている。いや、向こうがオレらを嫌っている。見下しているんだ。何も考えていない、何も感じていない馬鹿どもの集まりだとね」
「そんなことない、と思う。きっと、言葉が通じないから、そんなことになっちゃうんだよ。ちゃんと、話せばわかる。きっと、わかるよ」
「明日香は、獣人に助けられたんだろ。黒豹のジュドからもそう聞いている。だから、獣人の味方をするのも分かる。けれど、『人−人族』は本当に酷い。明日香はまだ、『人』ってやつに会ってないから、そんなことが言えるんだ」
ランの言葉に続けとばかりに、周りの獣が口々に話し始めた。
「あいつらは、『双樹』を操ろうとしているんだ」
「明日香は知らないだけ」
「イェンナのことだって、『人−人族』が独り占めしているんだよ」
明日香は聞き覚えのある名前に、顔を上げた。その拍子にマルが、くうんと声を上げた。
「イェンナ……って、前任の通訳者でしょ」
そして、その明日香の言葉を皮切りに、我先にと皆が話し始めた。
「酷いんだよ、あいつら」
「イェンナを捕まえているんだ」
「きっと、檻に入れられてる」
「そうに決まってるよ」
「あいつらは時々、この『獣−獣族』の国にイェンナを伴って入ってくる。『双樹』をイェンナの力でなんとかしようってね」
「なんとかするって、どういうこと?」
明日香は、涙を甲で拭ってから、訊いた。
「『双樹』を自分の思い通りにしたいのさ」
「……どうして、そんなこと?」
明日香はイアンを見た。イアンは、じっと明日香を見返したが沈黙を守っている。
「ミックスを自分の思い通りにするんだ。それで『人−人族』の領土を徐々に広げていってオレたちを滅ぼし、最終的には『人』だけの世界にするためだ」
そのランの言葉が、頭の中へと直接入って来たような感覚に、明日香は戸惑いを覚えた。それは、明日香が自分が混乱している状態を自覚している時の感覚だ。
「で、でも、じゃあ三国会議は何のために……?」
当然の疑問に、頭の中がいっぱいになる。
「三国会議は、三種族それぞれが設置している自国の政府がそれぞれの代表を出して、話し合われているだろ? ミックスとはある意味、平和の象徴だったんだ」
「うんうん、そうだよね。私もそう聞いたけど」
「けれど……」
ワニのランが話しているのを切るようにして、イアンが後ろで声を上げた。
「だが、『人−人族』は、三国会議に代表を送り友好を築こうとしている裏で、オレたちを裏切っていたのだ。オレたちは、三国会議でも話し合ってきた通り、ミックスを統一世界のモデル国にしようとしてきた。けれど、『人−人族』は政府が『獣』と『獣人』は野蛮で獰猛で愚かだと、言葉も通じないのに共存なんてことは不可能だと、さらには共存すればいつか『人』は『獣』に滅ぼされると、自国民にそう教育していることが分かったのだ」
「そ、そんな……話し合いだって、皆んな一生懸命やってたのに‼︎」
明日香の中で、積み上げてきたものがガラガラと崩れていくような気がした。多分、ここにいる『獣』たちも、きっとこんな気持ちを味わったのだろうと思うと、絶望的な思いがして、明日香はその場に座り込んだ。
「『人』にとっては、『獣』も『獣人』もひっくるめて、ただの下等な『獣』としか見えていないのさ」
イアンが苦しそうに言った言葉が、胸に突き刺さった。
いつだったか、ロウと近くの農園へ野菜を分けてもらいに行った時、森と道との境に立ててあった看板のポスターを、破り取るようにしてロウが剥がしていたのを明日香は思い出した。
『『人–人族(ひと–ひとぞく)』の人権を守ろう』
覚えていたその言葉が、虚しく思えた。




