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過酷な環境


「むむむ、ほんとだ。これはおっきいねえ」


二本の巨木を前にして、明日香は唸っていた。樹の根元から上を見上げるが、首の後ろが痛くなるだけで、その樹の先、つまり葉が生い茂っている部分が見えない。全体像が、人間の視界で捉えられないくらい、大きい。


二本は、その枝を縦横無尽に伸ばしていき、それは複雑に絡み合って、解けそうもないほどだ。


「うわああ、デカイデカイ‼︎ っと、あ、あ、首が、首があ」


上を向いた頭を両手で抱えると、元の定位置に戻す。


「これは、上の方は見えないわ」


「『双樹』というものだ。この樹が、この世界を支配していると言っても過言ではない」


イアンも同じように、上を見上げながら厳かに言った。明日香の足元で、柴犬のコタローもうろうろと歩き回っている。


「どうして、こんな所に?」


明日香が、再度、周りを見渡しながら、おずおずと訊いた。

『双樹』の植わっている場所は、深い森を抜けた所にあった。森の木々が頭を垂らして作っている緑のトンネルを抜けると、ズドンとその空間だけがくり抜かれたような、だだっ広い野原に出た。


「ここは、『神の一歩』と呼ばれている場所だ。『双樹』以外は何もないだろう。ここだけは、草木が育たない。神がつけた足跡のようだと、そう名付けられた」


「本当に、そんな感じだね。なんか、空気感が違うっていうか」


「明日香、本当にそう感じてるの?」


コタローが、苦笑しながら言う。明日香もいたずらっ子のように、ペロっと舌を出した。


「イアンの『獣−獣族』にも、神さまって存在するの? っていうか、神さまを信じてる?」


「どうだろうな、皆はどうかは分からないが、オレは信じていない」


「どうして?」


「はは、神は獣に厳しいからな」


「どういうこと?」


「明日香、おまえがいる場所、まあ言うなればミックスは居心地の良い環境だから信じ難いかも知れんが、普段の『獣−獣族』の世界は酷いもんだぞ」


「え、そうなの?」


明日香の言葉に、コタローも頷く。


「厳しい環境だよ。一年の半分はクソ寒いし、あとの半分はクソ暑い……あ、ごめん、汚い言葉だった?」


呆気に取られていた明日香は、慌てて親指と人差し指で、OKサインを作った。


「だ、大丈夫だよ、大丈夫……でも、そうなんだ」


「それに、オレたちはいつも空腹だ。だから、いつも争っている」


明日香は、洞窟の中でのことを思い出していた。ホワイトタイガーとイアンが対峙していたあの時、一触即発かという緊迫感があった。


「奴らは自分の家族を、いや自分を守るので精一杯なんだ」


洞窟にいたたくさんの獣たち。


「でも、あの洞窟ではケンカっぽいのはなかったような……」


「おまえのせいだよ」


イアンの言葉に驚く。


「え、」


「おまえが連れてくるミックスは、居心地が良い。気温も湿度もちょうど良いし、空腹感も薄れて、気持ちも穏やかになる。だから、争う気も起こらないんだろう」


「だったら、この世界全部をミックスにすればいいのにね」


「……そうだな。けれど、『双樹』はそれをしない。なぜだか分かるか?」


「え、あ、ううん」


「『獣』は下等だと思っているのさ。だから、増え過ぎるのを良しとしない。コントロールされない環境下で……オレらは寒さで死に、暑さで死に、空腹で死に、争って死ぬ。心や情など持ち合わせていないと思われている」


「……そ、そんなことない‼︎ だって、イアンだって、コタローだって……ロウだって、ユノだって、ちゃんと自分の考えや気持ちを持ってる‼︎ 優しさだって、親切心だってっ‼︎」


明日香は胸の奥から、何か熱いものが込み上げてくるのを抑えられなかった。それが怒りなのか、悲しみなのか、その両方なのかも分からない。


「たくさんたくさん、貰ったんだもん」


明日香がロウやユノのことを考える時、負の感情のこれっぽっちも湧いてこない。湧いてくるのは、親しみや温かみ。


明日香は、ロウやユノに会いたくなった。近くにその存在を感じたかった。


側でコタローが悲しそうな顔をして、明日香、と声を掛けてくる。

頬を涙が流れているのを感じながら、明日香は今は遠い存在の二人を想った。


✳︎✳︎✳︎


「イアン、帰りたいんだけども」


明日香は、おずおずと隣に横たわるイアンに話し掛けた。


「アスカ、帰っちゃやだよ‼︎」


「アスカ、アスカ〜」


「ねえねえ、もっと遊んでよ‼︎」


周りで、ピョンピョンと跳ねて踊る、子ライオンたちを代わる代わる撫でながら、明日香はそっと溜め息を吐いた。


(いったい、いつまでここに居ればいいのかな……)


そう思うと、さらに溜め息が出る。


(でも、私にはイアンに頼まれたようなことは、できないんだけど)


「明日香、おまえに折り入って頼みがある」


イアンの真剣な眼差しに、明日香は嫌な予感を覚えた。


「これからずっと、この地に居て欲しい」


洞窟で、ホワイトタイガーのジャファとのやり取りを聞いた時から、そんな風に請われる可能性があることを、どこかで感じていた。


「それでできれば、ミックスの範囲を広げるよう、『双樹』に頼んで欲しい」


これには明日香も首を傾げた。


「『双樹』に頼むなんて、そんなことできるの?」


「いや、オレにも出来るかどうかは分からんが」


明日香は、意を決して言う。


「イアン、ごめんなさい。私ね、できたら元の世界へと帰りたいの」


少し、息を吸う。


「それでね、もしそれが出来ないんだったら……」


息を細く吐く。


「ロウとユノと一緒にいたい」


側で寄り添うように眠っていたコタローが、急に立ち上がって、離れていった。


イアンの住処であるこの洞窟は、出入り口が狭く、けれど身体の小柄なコタローは余裕にするりと通ることができる。コタロー、と明日香は呼んだが、コタローは振り向かずに、外へと出ていってしまった。


「……帰すわけにはいかない」


イアンは、その場でぐるりと回ると明日香から離れ、その大きな身体を横たえて、眠ってしまった。それからはずっと、このイアンの住処にいる。


(あれから、何日くらい過ぎたんだろ)


イアンとイアンの妻である、ルリとの間には子どもが三人。毎年のようにルリが出産するのだが、成長できるのはわずかに一割にも満たないという。だいたいは赤ん坊の頃に、大鷲や蛇のような獰猛な肉食獣に攫われたりして、命を落とす。それがなくても、寒さや暑さ、飢えなどで死んでしまうという。


「アスカっ、今日は何して遊ぶ?」


長男でおとなしいアクバと次男のやんちゃ盛りのシュリ、口が達者な長女のマルが、明日香の周りをぐるぐる回る。


「お兄ちゃんたち、だめえ‼ アスカはマルと遊ぶんだもん‼︎︎」


明日香を独り占めしようとして、マルが懐に飛び込んでくる。イアンの毛皮より薄めの色が、その滑らかな毛並みを一層引き立てている。明日香は、マルの背中を撫でた。鼻先を明日香の顔へと向けて、嬉しそうに言う。


「ねえねえ、アスカっ。葉っぱのフネを作って、川で遊ぼうよ‼︎」


それは先日、マルたちと遊びながらぶらぶらと散歩していた時、ここ最近ではあまり見かけなかった笹の葉っぱの茂みを見つけた。


「あ、この葉っぱはねえ。ここをこうすると……」


明日香は笹の葉を一枚ちぎって、折り目と切り目を入れて、笹舟を作った。


「ほら、できた。これは、舟と言って川に浮かべて競争したりするんだよ」


「わあ、スゴイスゴイ‼︎」


「アスカ、ボクのも作ってよ‼︎」


近くにいたマルにあげると、アクバとシュリも欲しがったので、明日香は笹舟を四つ作った。


「でも、川っていったら、あそこしかないよね」


アクバが、神妙に言う。


「うん、行ってみようよ‼︎」


「でも、パパが行っちゃダメだって……」


兄妹は笹舟を口に軽く咥えたまま、うな垂れた。明日香は苦笑しながら言った。


「川は危ないからかなあ。でも、パパの言うことは守らなくちゃ」


「でも、パパはいつも、あれもダメこれもダメって言うんだ」


「パパはみんなを守らなくちゃいけないからね」


「アスカのパパもそうなの?」


兄妹が明日香を見る。


「アスカはパパと離れてて、寂しいよね」


「……うん、そうだね」


明日香は、両親を思い出すところだった。この世界に来てからは、それを考えないようにと封印していたけれど、こうして親子の存在が近いと、やはり何かにつけて思い出してしまう。


目頭がじわっと熱くなり、やはり考えないようにと明るく言った。


「イアンに連れてってもらうってのは、どうかな?」


そして、その日は大人しく家へと帰ってきた、という経緯があった。それが、数日前のことだ。


「ふふ、じゃあ、イアンに訊いてみようか」


明日香が立ち上がると、兄妹は嬉しそうに飛び跳ねた。


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