ふたつの巨木
「きっと、心配してる。はあはあ、」
「そうだね、ずっと一緒だったんだもんね?」
イアンの背中を追って、明日香とコタローは早足で歩いていた。イアンの歩くスピードが速すぎて、ついていくのに精一杯の格好だ。
「そうなの、すっごいお世話になったっていうか、はあはあ」
「ボクの明日香を助けてくれて、お礼を言わなくちゃ」
「カスガの家にいると思っているのかもしれないけど、泊まるなんて言ってないし。ふう、多分だけど、心配してる。ふうふう」
明日香は額にじわりとかいた汗を、袖口で拭うと、前を歩くイアンを見た。
明日香は今、通訳の仕事で得たミックスの通貨で購入した洋服を着ている。この世界へ来た時は、高校の制服だった。けれど、制服はスカートだし、生地も上等でしっかりしている反面、動きにくくなる。最初はロウの服を貸してもらっていた。けれど、裾や袖を何重にもまくらなければならないし、サイズもぶかぶかでスースーするので、三国会議の帰りに『人−人族』の国の近くにある洋服店で、一式を購入した。
「これなんて、どうかな?」
本来なら一歩たりとも入ることができない『人−人族』の領域。ロウは、見るもの見るものが珍しいようだった。キョロキョロとして、ロウにしては珍しく落ち着きがない。
「……ん、いいんじゃないか」
使い勝手がいいように、長袖のTシャツにパンツのセットを手にして見せた。桜色の地で、胴の部分へいくにつれ、色が濃くなるグラデーション模様になっている。パンツは動きやすいようにと、黒のタイトなものだ。
その場で着替えさせてもらい、借りていたロウの服を持って帰った。
イアンの後を必死について行かざるを得ない今となっては、この伸縮性のあるパンツが、ありがたかった。
「はあはあ、ついていくのが精一杯。ねえ、イアン‼︎ もう少しスピード落としてえ‼︎」
情けない声が出た。
(どこ行くのかな)
コタローが一緒とは言え、こんな風に騙し討ちのように連れてこられたことで、不安が増している。
(あんまり、ロウたちと離れたくない)
明日香は、心からそう思った。
✳︎✳︎✳︎
「おい、ちょっと待て‼︎」
「待っていられるかよ、明日香がさらわれたんだぞ」
ユノが拳を机に下ろした。ドンっと音がして、机が揺れる。
「だから反対したんだ。一人で行くなんて、危ないって。あいつだよ、あのイアンって獣が明日香を誘拐したんだ。ジュドはあいつの仲間だろ。それに、あのカスガって議長だって、仲間かもしれないじゃないか」
「カスガさんは、違う。彼女は明日香を危ない目に合わせてごめんって言って謝っていた」
「演技かもしれないじゃん」
「いや、トニとマニが明日香が約束を破ったと言って泣いていたのを見ると、カスガさんは本当に明日香に子守りを頼んでいたんだろう」
「…………」
ユノが、不満げに唇をむうっと突き出している。
「とにかくカスガさんがイアンにどういうつもりなのか、訊いてくれているから、それを待とう」
「……それでも、心配だよ」
「だとしても、『獣−獣族』の領地には入れない」
「でも明日香がいるってことは、ミックスがそこに存在するってことだろ」
「デッドラインのどこからどこまでがミックスなのかは分からないだろう。そんなのは危険すぎる」
「でもっ‼︎」
「心配なのは分かるが、オレらが死んじまったら元も子もねえ。イアンも三国会議の通訳者に迂闊には手を出せないさ」
「……違うよ」
「?」
「…………」
ユノが黙り込む。眉間に皺を寄せて、何かを見つめている。そんなユノのおかしな様子にロウは嫌な予感を感じ、黙り込んでしまったユノに先を促した。
「どうした、何か知っているのか?」
「…………」
「ユノっ‼︎」
ビクッと身体を揺らしたユノは、ロウを見た。ユノの耳は情けないほど、垂れている。顔はみるみる泣き出しそうな顔へと変化していった。
「……行ってしまう」
「なに⁉︎」
「帰っちゃうんだよ、元の世界に‼︎」
「ユノ、おまえ、何を知ってるんだ⁉︎」
そのまま泣き出しそうな顔を、がくりと下げる。
「あるんだ、メインブレインが……『獣−獣族』の領地に」
「なんだって……」
「『ソウジュ(双樹)』っていって、二本の巨木があるんだ。それがこの世界の三ヶ国に巨大なドームを作って、その中の環境を管理してて。『双樹』がメインブレインなんだよ。明日香をここに連れてきたのも……」
「それが、何で『獣−獣族』の領地にあるんだ?」
「カスガさんに教えてもらっただろ? かつてこの世界は『獣−獣族』の一国しかなかったって。獣だけがここの住人だったって」
「ああ、その後どこかからか「人」がやってきて、それで「獣人」が……」
「だからだよっ‼︎ 元々、「獣の国」だったからだ。それで、その「人」ってやつをメインブレインが連れてくるんだ‼︎ い、今の明日香と、同じだろ?」
はあはあ、と荒い息遣いをし始めたユノを見て、ロウは慌てて言った。
「ちょ、ユノ、ちょっと落ち着け‼︎」
「お、ちついて、いられるか、ごほっ」
ユノはその興奮から、ゴホゴホと咳き込んでしまった。手を口に当てながら、イスに座り込む。ロウは、コップに水を入れると、ユノに渡した。水を飲み干すと、ユノはぜいぜいと背中を波打たせながら、コップを机の上に置いた。
「……ユノ、おまえが言いたいことは分かった。明日香が向かった場所がその『双樹』とやらのメインブレインがあるとするなら、それが明日香を元の世界へと帰しちまうかもしれない、ってことだろ」
「…………」
ユノが無言の代わりに、こくんと顎を打った。
「でも、帰さないかもしれないだろ」
「そんなの、分かんないじゃん」
「ああ、分からない。だから、カスガさんの返事を待とう」
「…………」
ユノがまだ納得できない様子を見せる。けれど、ロウは畳み掛けるように言った。
「さっきも言ったが、『双樹』はもとより明日香が『獣−獣族』の領内にあるとするなら、どっちにせよオレたちは手も足も出ないんだ。『双樹』の元へと行くのなら、オレたちは明日香と行くしか手立てがない。分かるよな、ユノ」
言い聞かせるようにロウが言う。ユノは諦めたように、座っていた背中を丸めて、うなだれた。
「それより、ユノ。おまえに訊きたいことがある。『双樹』のことといい、どうして、そんなことを知っているんだ?」
ロウのその言葉に、ビクッとユノは顔を上げた。眉は下がって、唇は真一文字に結ばれている。
言葉が出るまで、ロウは辛抱強く待った。そして、ユノがついに話した言葉に、ロウは驚きを隠せなかった。
「ナスダリ博士が……」
「……亡くなる前にか?」
「うん、死ぬ直前だと思う」
「オレが死にそうになった時か?」
「そうだよ。あの時、どこかから悲鳴が聞こえてきたんだ」
「悲鳴? 誰のだ?」
「女の人。ボクの知らない人だよ。でも、ナスダリ博士の側にいたんだと思う。ミックスから弾かれて亡くなった時、博士は『人−人族』の領地にいた。だから、死ぬしかなかった。その時、側にいた人ってことは、多分その女の人は「人」だったんだと思う。ナスダリ博士が苦しんで死んでいくのを、その人は見ているしかなくて……」
「ちょっと待て。ユノはどうしてそんな詳しく? おまえ、オレの側にいたじゃないか」
「ロウ、キミはボクの能力を過小評価し過ぎだよ」
嫌そうな顔をして、ロウを見る。
「聴こえるんだよ、ボクには」
そう言うと、三角の耳をピクピクと動かした。
「博士は亡くなる直前に、その女性と言い争っていたんだ。その時、博士はその女性と、さっきボクが話したようなことを話をしてた。その時、もちろん明日香の名前も出ていた。だから、ボク、気がつけたんだ。耳をすまして集中すれば、案外遠くの音まで拾えるんだって、この時分かったわけだけど」
「……おまえの、明日香愛は半端じゃねえな」
「まあね‼︎」
さっきまで、泣きそうだった顔や不満げな顔はどこにもなく、ロウに褒められた(?)ことによって、ユノの顔が自信に満ち溢れていくのを、ロウは苦笑しながら見ていた。




