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衝撃

カスガの家は、ロウの家のある森の中を、デッドライン方面に向かって北のはずれの方にあった。ロウがこの森に詳しいと思っていたのも本人の思い込みであったようで、『獣−人族』の領地であるこの森は意外と広範囲に渡っているということを、この訪問で初めて知ることとなったのだ。


「いらっしゃい、待ってたわ。意外と遠かったでしょ。道に迷わなかった?」


カスガが、ドアを開けて中へと促してくれ、明日香たちは遠慮なく靴を脱いで上がった。玄関ホールには畳が敷いてある。


「ごめんね、これ厄介でしょ。でも、主人がどうしても畳にしたいって言うから」


見ると、玄関から続く廊下にも畳が張ってある。ロウの家では土足だったので気づかなかったが、この畳を見て、明日香は自分の家を思い出した。畳の匂いに、心のどこかの琴線が触れた。じわりと涙が滲んでくる。


「どうした、明日香」


ロウの優しい声に顔を上げると、先に奥へと入っていったユノの背中と、振り返って心配そうに見ているロウの顔。


「ううん、何でもないよ」


二人がいて良かった、と明日香は素直に思う。この、信じられない世界。一人だったらきっと、どうしていいか分からなかったに違いない、と。

明日香は、心底ほっとした。胸をなでおろす、という言葉の意味を初めて実感しているくらいに。


明日香は、ロウの手に促されて、廊下の奥へと向かった。


「座ってて。今、お茶を淹れるわ」


熱湯をポットに注ぐと、ブワッと白い湯気が盛大に湧き上がる。カスガは曇ってしまったメガネを取って、長いかぎ爪を器用に使って布で拭いた。


「この爪、ほんと厄介。キミたちみたいに、尻尾とか耳とかが良かったわ」


そう言いながら、ティーカップを置いて回る。


「生活するには困ってないように見えるけど」


出されたティーカップを取り上げて、ロウが啜った。


「まあねえ、どうにも使いこなさなきゃ、仕方がないっていうか……」


ユノと明日香も同じように、ティーカップを持って口をつける。


「ボクの耳も厄介といえば厄介ですよ。獣の耳はすごく遠くの音まで聞こえるのはいいんですけど、夜寝る時なんかは、色々聞こえ過ぎて。気になって眠れないんです」


「そうなんだ」


明日香が口を挟む。


「オレは特に困っていることはねえけど。あ、時々仰向けに寝ていると、尻尾が身体の下に巻き込まれてて、ケツが痛くなる時があるな」


ぶふっと、吹きそうになる。明日香は慌てて、口元を手で押さえた。


「明日香は、獣的なものを持たないから、困ることなんかないでしょ」


そう言われて、素直にハイとは言えないのだ。


「そんなことないです。だって……足は遅いし、泳げないし、とにかく運動音痴だから、そういうのは日常生活にも支障をきたしているし、私なんて何やってもダメダメで……」


「何言ってるの、明日香は可愛いよ‼︎」


脈絡のないユノの言葉に、明日香はえっ、と驚いてしまった。


「ね、ロウ」


ロウも少しの驚きとともに、ああ、と共感の顎を打った。


「え、と……」


照れてしまって言葉が出ない。


「あら、明日香のボーイフレンドはどっちなのかしら?」


その言葉に、さらに驚いてしまって、明日香は混乱した。


「あややや、違くて。ふ、二人は、友達っていうか、お、お世話してもらってるってだけで」


「ミセスカスガ、恋人はボクですよ」


ユノが、冗談めかして答える。


「でも、こっちの生意気な後輩も、明日香のことを愛しています」


その言葉に、ぎょっとしてしまった。慌てて、ロウを見ると、ロウも同じような驚きの顔。


「お、おい、ユノっ‼︎」


ユノは、お茶を飲みながら、ニコニコと微笑みを浮かべている。

もちろん、明日香の中は、大いに混乱していた。


(うそでしょ、うそでしょ、なに言ってんの、なに言っちゃってんのー‼︎)


気まずい微妙な空気を破るように、カスガが笑い声を上げた。


「あははは、明日香、両手に花ってやつね。羨ましいわ‼︎」


その時、ドアがバタンと開いて、バタバタと子どもが二人、部屋の中へと入ってきた。


「ママあ‼︎ おはなし、おわったんでしょ‼︎」


「遊んでもいい?」


二人の子どもは男の子でとても顔つきが似ていて、すぐにも双子だと分かる。手には小さくて可愛らしい母親譲りの獣のかぎ爪を持っていた。カスガの笑い声を聞いて、大切な話は終わったと思ったらしい。ぴょんぴょんと飛び回っている。


「トニ、マニ、まだお話の途中よ。大切な話はまだこれからなの。大人しく、向こうで遊んでいなさい……っていうか、お客さまにご挨拶は?」


「こんにちはあ」


カスガの優しい声に、ぴょこんと頭を下げる。

あはは、と笑ったユノが、相好を崩しながら、両手を広げた。


「いいよいいよ‼︎ まずは遊んじゃおっか‼︎」


ユノの言葉に、子どもたちが、わあああっと歓声を上げた。

明日香も思わぬ恋バナがうやむやになり少しほっとすると、足にまとわりついていた一人を抱き上げた。


✳︎✳︎✳︎


「それにしても、重厚な内容だったな。とても、為になったぞ」


「うん、長かったあ」


「三国の歴史を一からってなると、ね」


三人がカスガの家を出た時には、すでに日も暮れて辺りは薄暗くなっていた。話をしながら歩く。けれど、核心をついた話は誰も口にしなかった。重い空気になりそうなのを、誰か彼かが明るくすくい上げる。


「でもさ、途中からトニとマニが加わって、楽しかったあ。ってか、可愛すぎだよね、あの二人」


「明日香は、子どもが好きなんだね」


「うん、私、兄弟いないから、弟とかいたらこんな感じなのかなって思って遊んでた」


「そっかあ。それにしても、ロウは相変わらず、小さい子苦手だねえ」


「まあな、どう相手していいかわからん」


「ロウってば、木登りの木みたいになってたもんね。マニがぶら下がってて、笑えたよー」


「あのやんちゃ坊主め。あいつの爪が刺さって、痛えのなんのって」


仏頂面に加え、口を曲げた。

その顔を見て、あははは、と明日香とユノの笑い声が響いた。けれど、その笑い声もどこか乾燥していて、虚しく漂うだけだ。


「ロウとユノは、兄弟とか、いないの?」


明日香はその流れで訊いてみた。普段から、いつか訊いてみようと思っていたことだ。けれど、直ぐには答えは貰えなかった。沈黙が続き、気まずくなった明日香が口を開こうとした時、ユノがぽつりと言った。


「ボクたちは、親なしなんだよ。もちろん、兄弟もいない」


「……そっか、」


力のない明日香の言葉に、次には謝罪の言葉へと続いていきそうになるのを感じると、慌ててロウが口を出した。


「別に、どうってことねえよ。最初っから、家族はいなかったし、全然気にならねえ」


「そうだね、ボクも遊び相手で近くにロウがいたし、そんなに寂しいと思ったことはないかな」


「ん、」


ユノの努めて出してくれた明るい声を聞いても、明日香は次の言葉を続けることが出来なかった。自分には両親もいて、コタローもいて、周りには友達がいて普通に学校生活を送っていた。恵まれていたのだと、今更に思う。


(大切ってことは、離れてみないとわからないものなんだな)


すると、途端に涙が溢れてきた。それを二人に見られまいと、手の甲で素早く拭う。


「なあ、それでだ。カスガさんが話していたミックスが平和の象徴だっていうの、おまえ信じられるのか?」


話題を変えたロウの言葉が、現実味を引っ張り戻す。明日香は、濡れた目のまま、顔を上げた。


「そうだね。会議に参加してた人たちは、きっとそう思って参加してるんだろうけど……」


そのまま、明日香も話に加わる。


「……イアンも、ミックスの平定を望んでるって言ってたよ。まずはミックスを一つの国として安定させて、最終的には三国を一つにしたい、みたいな。ミックスをそのモデル国にしたいんじゃないかな」


「統一ってわけだね」


ユノに言われて明日香は、「統一」を考えてみた。


「じゃあ、この世界では誰が一番偉い人になるんだろ」


明日香が、ぽつりと呟いた。

その言葉にロウとユノが顔を見合わせた。


「政府か、メインブレインか、ってとこだな」


そこで触れたくない話題に触れそうになり、三人ともが口をつぐんだ。けれど、三人はそのロウの言葉に、数時間前にカスガが話していたことを思い出さざるを得なかった。


衝撃の事実。


「政府なんて言っても、ボクらの目や耳には全然入ってこないから、その存在すら最近まで知りませんでした」


ユノが神妙に言った言葉に、カスガは落ち着いた様子で説明を被せた。


「ここは一国一政府制を掲げているから、三国それぞれに独自の政府を持っているのよ。『今』はその三政府が、この世界を管理している、って感じね」


『今』に力が入っていたように感じ、ロウはもやっとした感覚を抱いた。


「けれど、ナスダリ博士はメインブレインは巨大なる意思だって言ってました。それでボクはメインブレインは独立しているという印象を持ちましたが?」


「おまえ、よく覚えてんな」


ロウが感心して言った。


「まあね、記憶力はロウより良いからね」


はん、とロウは呆れたように横を向いた。


「ナスダリ博士を知っているのね。彼のことは本当に残念だったわ」


その言葉で、二人は顔を合わせた。明日香は何の話かもちろん知りはしない。


「知ってらっしゃるんですか?」


「ええ、有名ですもの」


「どうして、お亡くなりに?」


その時、リビングの外から、うわああんという大きな泣き声が聞こえてきた。


「あらあら、トニとマニがケンカでもしているのかしら。明日香、ちょっと見てきてくれない?」


明日香は、いいですよとニコッと笑って、廊下へと出た。二階にある子供部屋へと階段を駆け上がる音がする。それを聞くと、カスガは話を進めた。


「ナスダリ博士はミックスで開催された地方会議に出席された時、お亡くなりになったの。その時起こった急な環境変化についていけなくて、ね」


「?」


ユノがロウを怪訝な顔で見る。ロウが言葉を繋げた。


「え、ナスダリ博士はミックスには行ったことがないと言っていた。どういうことだ」


「そうなのね。でも、博士はそれこそ政府の顧問的なお立場でいらっしゃったわ」


「え、」


「でも、博士はその政府から命を狙われていたんです。現にボクらだって、博士が襲われたところに遭遇……」


「三国の統一に反対の人たちもいるってことね」


「…………」


ロウとユノは顔を見合わせた。


「メインブレインのことについては、私もこれ以上話せないわ。ごめんなさいね」


足音が聞こえてきて、ドアがガチャリと開いた。明日香が笑いながら、「二人とも、今、折り紙しています」と入ってきた。


「折り紙?」


「はい、真四角の紙を折って作るんですよ、ほら」


明日香が広げた手のひらには、黄色の紙で作られた宝箱がのっていた。


「作り方を教えてあげたんです。トニもマニも夢中になって作ってますよ」


「わお、綺麗ねえ」


これにはロウもユノも難しい顔を解くしかなく、すごいなぁなどと宝箱を手にとってみたりした。


「ところで、お話はどうなりました?」


明日香の言葉に、お互いがちらっと顔を見たが、ユノが率先して明るい声を上げた。


「政府なんて組織の存在を全然知らなかったっていうか、ボクたち学校でも教えてもらえなかったっていう話をしていたんだよ」


明日香が頷いた。


「ふうん、でも確かに私の国でも、子どもは政治に触れる機会がないっていうか。若い人は政治に無関心だし」


明日香が宝箱を指先で直しながら、言った。


「そうね、どの世界でも子どもへの教育内容は、大人たちが管理しているからね。『獣−人族』も然りってとこかな。キミたちは、早く知ることができた方ね。明日香のお陰で、というか明日香のせいで、とも言えるかしら」


この言葉には、明日香は動揺を隠せなかった。自分が、この『獣−人族』の世界では異質であることを、十分承知しているからだった。


「でも、そんなことを言ったら可哀想ね。明日香だって、知らず知らずのうちに連れてこられたんだから」


「元の世界に戻ることは出来ないんですか?」


明日香がそう訊いて、ロウとユノの身体がぐらっと揺れた。動揺を隠すようにして、ユノが言葉を続けた。


「明日香がいた世界っていうか、『人−人族』の世界へ戻ることは可能ですよね? だって、明日香が移動することで、バッファーゾーンが……ミックスが移動するんだから、明日香は安全に元の世界へと戻ることが出来るはずだ」


自分で言ったはずの言葉に、さらに動揺し、ユノは胸が締め付けられる思いがした。けれど、前から考えていたこと、もし明日香が戻ったとしても、明日香がいる所がミックスになるわけで、明日香の側にいることができるのなら、自分も安全だということ。


(離れたって、離れ過ぎなければいいんだし、会えなくなるわけじゃない。明日香が会いにきてくれればいいだけのことで)


ロウとユノは視線を交わした。その視線で、お互いがそう思っているということを確信できた。


(時々でも明日香と会えるなら、明日香を家族の元に帰した方がいい)


長年、付き合ってきたのもあって、お互いの思いが、透けて見えた。


けれど、そんな考えも、カスガの次の言葉で打ち砕かれた。


「うーん、それは難しいかも。あなたたちは明日香が『人−人族』の国から来たと思っているようだけど、違うのよ」


ユノもロウも、本人である明日香も、目を見開いた。いつのまにか、明日香の手に握られていた宝箱が、ぐちゃりとその原形をとどめていなかった。


「明日香は、もう一つの世界からやって来たのだから」


その衝撃で、三人の息が一瞬、止まった。

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