三国会議
「でね、なんか、それが私の仕事のようなのよ」
通訳をすることとなってから一週間が経ち、一旦はロウの家へと戻った明日香たちは、再度バッファーゾーンの仮の中心地へと向かった。
明日香に合わせてエリアが移動することが分かり、そのエリアの中心地といえば明日香のいる地点であるのだが、やはり会議場を移動させるのは大変なのでと、議長のカスガに言われたためだ。
「はああ、意外と遠いんだね。この前は、そんなに感じなかったけど」
「当たり前だよ。明日香は途中、黒豹くんに乗せてもらってるんだからね」
「そうだけど……」
ここ最近、ユノの明日香に対する当たりがキツくなったような気がして、明日香は少しだけ落胆する。
(私が不甲斐ないもんだから……二人には迷惑ばかりかけちゃってるからなあ)
悶々としながらも、足を前へと動かしていく。目的地に着く頃にはもう、昼を過ぎていた。
「着いてすぐだけど、お弁当食べようよ」
明日香が横たわった木に腰掛けると、ユノもロウも同じ場所に座った。弁当は、明日香が作ったおにぎりだ。
「海苔的なものがなかったから、ただの握ったご飯になっちゃったけど」
差し出すと、二人は手を伸ばして受け取った。
「着いてきてくれて、ありがとう。一人だとなんか不安で」
そのお礼の意味でもある今回のお弁当なのに、内容がおにぎりのみで、明日香は少しだけ恥ずかしかった。
(もっと、ちゃんとした料理を作りたかったけど)
料理経験のない明日香に、母親が作る弁当のようにバリエーション豊かなものは、逆立ちしても作れない。迷った挙句、おにぎりならできるという結果に落ち着き、様子を見ていた二人を呆れさせた。
「明日香はもうちょっと器用なのかと思ってた」
ユノにそう言われて、ガックリと肩を落とす。そんな経緯があったので、おにぎりを差し出すのも、なんだか心苦しかった。
「普通にうまいぞ」
ロウが、しょげている明日香の様子を見て、声を掛けた。
「え、ほんと?」
明日香が笑ったのを見て、ユノも続く。
「うん、これなら食べられるよ」
「美味しい?」
「んー、もぐもぐ」
「ユノぉ、」
「うそうそ、美味しいよ」
ユノが笑う。
その顔を見た明日香も、ほっとした様子を見せながら、自分が作ったおにぎりをほおばった。
その後、会議場へと足を運ぶと、今回の議会の参加者がすでにズラッと着席していた。「人」「獣人」「獣」の三種族が勢揃いの、異様な光景だった。
「すげえな」
「うん。やっぱ、想像してたよりインパクトあるね」
二人は息を呑んだ。
デッドラインの近くに居を構える二人ですら、「人」と「獣」は行き倒れたものしか見たことがなく、話をして動き回っている生きたものを見たのは、今回が初めてだった。その存在は、本や写真、ポスターの中だけ。
他の二種族について書かれた詳しい本ですら、発禁本扱いで、目に触れることはなかった。
片隅に腰を下ろしたロウとユノを、参加者たちが訝しげに見る。ヒソヒソと小声で話す声が漏れてきて、二人は不快に感じた。
けれど、何を言っているのか、まるで理解できない。
「驚いたな、本当にこんな世界があったなんてな」
ロウの言葉を皮切りに、二人は会話を続けた。
「あり得ない光景だもんね」
『人−人族』『獣−人族』『獣−獣族』の相容れないと思われていた三種族が、同じ席についている。
「何の話し合いがされるんだろう」
「さあな」
ロウは真ん中に設置されている大きな壇上の一角に目をやった。明日香がキョロキョロとしながら、「通訳者」の席に座るのを確認する。
その視線を追うように、ユノもその視線をなぞる。
「ねえ、ここがバッファーゾーン、っていうかミックスだとして、メインブレインってのは、一体どこにあるんだろ」
「分からねえ」
チラチラと見られている気がして、ユノは声をひそめた。
「周りを調べてみる?」
「ああ、オレが行ってくる」
ロウが視線を止めた。
先日、助けてもらった『獣−獣族』のライオンのイアン、狼のダイチ、黒豹のジュドも並んで座っている。
「おまえは明日香を見ていてくれ」
ユノはわかったと言うと、立ち上がった。明日香の席に近い、前側へと歩いていく。その様子を見ると、ロウも立ち上がり、そっと会議場を出た。
✳︎✳︎✳︎
「それでは、第156回 三国会議を始めます。今回のこの会議名を命名したのは、『人−人族』族長代理、ウェンディア」
議長のカスガ オーリーが、違う言語で同じ内容を三回、繰り返す。
いや、同じ内容だと分かるのは、ここではただ一人、明日香だけだった。
すると、女性が一人、立ち上がった。
その金髪を全て細い三つ編みにし、ドレッド風にしてさらに束ねている。赤や黄色の刺繍が施されているカラフルな衣装をまとっている。
持っていた紙を両手で広げる。
「今回の会議名は、お互いの手を差し出そう、という意味を含んだ言葉『友好』と命名しました」
女性が読み上げ、席に座ると、参加者は一斉に明日香を見た。明日香はたくさんの視線にうろたえながらも、席に設置されているマイクに向かって口を近づけた。話そうとして口を開けると、勢い余ってマイクに前歯を打ちつけてしまった。
「痛っ‼︎」
ガチっという音と、明日香があげた小さな悲鳴がマイクによって会場中に響き渡る。ざわっと、会場がどよめいた。
慌てて、すみません、と言い、手元にあるメモを読み上げた。
「今回の会議名は、お互いの手を差し出そう、という意味を含んだ言葉、『友好』(ユウコウ)と命名しました」
『獣−人族』と『獣−獣族』の言葉を使って、同じ内容を二度繰り返す。
すると、さらにどよめきが起こった。
「なんだ、やればできるじゃないか」
「先回は、どうなることかと思ったぞ」
すると、議長のカスガが机をバシッと叩いた。かぎ爪が机に刺さらないかとハラハラしながら、明日香はその様子を見ていた。
「静粛に‼︎」
その一言で、会場内がしんと静まり返った。
「皆さんもご存知の通り、本日より通訳者の交代がありました。明日香 小日向です。明日香の通訳で、何か不明な点があれば、その場で挙手し質問してください。それでは、第156回 ユウコウ会議を始めます。よろしくお願いします」
議長のカスガは、三ヶ国語を話せるので、彼女の発言は、通訳の必要がない。
すると、場内が拍手に包まれた。
(でもなんか、ちゃんと通じてるみたい)
明日香は確信すると、ペンを握る手に、ぐっと力を入れた。
✳︎✳︎✳︎
会議場の外に出たロウは、あてもなく近場をうろうろとしていた。
(メインブレインについて、何かヒントのようなものがあれば、それを目標に調べるなり何なりできるのにな……)
バッファーゾーンの管理はメインブレインが行なっているという。
(ミックスは明日香に合わせて移動しちまうんだから、メインブレインがミックス内にあるとは言えないしな)
ロウは、再度周りを見渡した。
自分の家の周りにある森のように、ここも樹々などの緑に囲まれてはいる。しかし、所々にポツンポツンとではあるが、いくつかの建造物が見える。大きなものや背の高いもの。その風景は、シモン大師が書いた発禁本で読んだ『人−人族』の街並みによく似ている。ロウは、ここが『人−人族』の領地である可能性が高いという結論を導き出した。
「ここに明日香がいなければ、人以外は全員死んじまうってことだな」
ロウは皮肉を込めて言った。
少し歩き続けると、重要なことに気がついた。
「ちょっと待て……」
歩みを止めて、その場で考え込む。
「ミックスは、明日香ら通訳者に合わせて移動するんだろ。じゃあ、その中にいる人や獣人たちはどのタイミングで自国に戻るんだ? オレたちは通訳者である明日香と一緒に行動しているからいいものの」
いや、ちょっと待てと思う。
ロウは、死にかけた先日の出来事を思い出していた。呼吸が苦しくなり、意識が飛んだ。後に、離れていった明日香との距離ができてバッファーゾーンからはみ出してしまい、死ぬ手前で明日香が戻って助かったのだと知った。
(もうその時点で、『人−人族』か『獣−獣族』の国に足を踏み入れていたのだろうな。けれど、獣の鳴き声は一切しなかった。それで油断したってのもあるからな。ってことは、『人−人族』の領地に入っていたってことか)
呼吸ができなくなることの恐怖が、まだロウの中にはあった。
「……もしかしたら、オレがこれまで見つけた行き倒れの連中も、勝手に移動しちまうミックスからはみ出しちまったのかもな」
明日香がらみのその自分の考えに気分が悪くなると、ロウは頭を振ってそれを否定したい気持ちになった。
それから、ロウは小一時間ほど、ぐるぐると歩き回ったが、何の手掛かりも得られなかったため、明日香のいる会議場に向かって、元来た道を戻っていった。
✳︎✳︎✳︎
「アスカ、ハヤク、ツウヤクヲシテクダサイ」
「は、はい。ただ今のフレイルの発言ですが、前回の会議『ダヤ議定書』の第四十二項、すなわちここミックスの地で流通予定の通貨についての規定は、採用予定の貨幣を作製している『人−人族』によって成されるべきだ、とのことです」
「ギャギャギャ、ホゥホゥ」
「なんだ、あいつは何て言っている」
「はい、その案で賛成だ、とのことです」
「貨幣を作製する技術を持っているのは、『人−人族』しかないのだから、主導権を握りたいと思うのも、ある程度は仕方があるまい」
「……と、チャーリーが発言しています」
「ウォ、ウォーン」
「規約ができ次第、報告して欲しい、とのことです」
明日香は、聴きながら話しながらと、手早くメモを書き留めていく。メモはノートの半分にも達しようとしていた。
(何時に終わるのかなあ、これ)
ちらっとユノの方へと目をやると、ユノは腕組みをして、うつらうつらと船を漕いでいる。
(はああ、疲れてきたよう)
大欠伸が出そうになるが、口を半開きにして堪える。ここで議長であるカスガが机を叩いた。
「他にご質問はありませんか? 無いようですので、以上で質疑応答は終わらせていただきます。それでは、今回の三国会議はこれで終了し、閉会とします」
そして、皆がそれぞれに帰り支度をして、散っていった。その様子を見て、明日香は気を抜いた。
「はああああ、疲れたあ」
明日香は背伸びをし、今度は我慢せずに大欠伸をすると、背後から「お疲れさん」と声が掛かる。
「イアン、お疲れ〜。どうだった? 私の通訳」
「ああ、初めてにしちゃ、なかなかの出来ばえだったぞ」
「お疲れさま、頑張ったわねえ」
議長のカスガも分厚いファイルを抱え込んで、明日香の元へとやってきた。
「でも、こんなスゴイ会議だったんですね」
「まあな、三国の政府の代表、まあ、いわゆるエリートが集まっているからな。途中で議論が白熱して、驚いただろう」
「うん、言葉が追いつかなくて焦っちゃたよ。カスガさん、フォローありがとうございました」
「どういたしまして。でも驚いたでしょ。いつも、あんな風にケンカ腰になっちゃうのよ。イェンナの時は……前の通訳者の時は、相手を罵るような汚い言葉など不要なものは、上手にカットしてくれていたから、いざこざまでにはならなかったけどね」
「その、前の通訳者の方は、どうして辞めちゃったんですか?」
イアンとカスガが、視線を合わせた。明日香はそれに気づかない。
「一身上の都合、と言いたいところだけど、急にいなくなってしまったの。失踪なのか行方不明なのか、まあ、そんなとこね」
「その方も、私みたいに連れてこられた方なんですか?」
「そうよ、」
「……そうなんですか、」
明日香は、カスガの言葉を複雑に聞いていた。
「明日香、お疲れさま。堂々と通訳できていたよ。すごいよ、明日香」
振り返ると、ユノが立っていた。ユノは明日香へと近づくと、明日香の肩に手をかけて言った。
「明日香の通訳、どんだけ間違えてても、誰にもわかんないっていうのが、ミソダネ」
「ユノっ」
明日香は、真面目な顔を作って肘でユノをドンと突くと、あははと一緒になって笑った。