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大切

ユノは、その場で立ち尽くしていた。

空を見上げると、頬に冷たい感触を感じ、それが雨だと分かると、斜めにかけたバックから雨具を取り出して、それをロウの身体に掛けた。このマントはロウに貰ったものだ。サイズが小さくなり合わなくなったと言って、譲ってくれたものだ。


「……ウソだろ。ロウ、ロウ……」


少し前、広場に入っていくロウの後ろ姿を見つけ、追いかけようとした。すると、目の前でロウは、ばたりと倒れて、動かない。

急いで近づいて抱き起こしたが、すでに呼吸をしていなかった。


「し、死んだのか」


ロウの身体を軽く揺さぶる。


「ロウ、ロウ……ロウっ‼︎」


それでも、まぶたは開かない。

涙が一筋、こぼれていった。


「ウソだ、ウソだと言ってくれ。ロウ、息をしろよ」


揺らしてみる。ロウの顔にも雨がパラパラと当たり始めた。


「ロオぉぉぉ」


ユノが叫んだその時、自分の意識も遠くなっていくのを感じた。嫌な汗が背中を伝って流れていった。背筋にその感触を感じると、次の瞬間、息が吸えなくなった。


「ふ、っふ、ぐう……」


なんだこれ、と言いたかったが、声の一つも出ない。喉を締め上げられるような感覚に、ここがデッドラインを越していること、こんな苦しみの中でロウが死んでいったのだと、理解した。


けれど、その時。


甲高い声が聞こえた。遠くから、何かが近づいてくるがそれが何であるかはよく見えなかった。


「ロウっ、ユノっ‼︎」


まだずっと遠くの方でする微かな声だが、ユノの優秀な耳がそれを拾った。

顔を上げる。すると、みるみる息ができるようになり、ユノは精一杯空気を肺に吸い込んだ。ハッ、ハッ、ハッ、という規則正しい息遣いに戻る。


「あ、明日香……」


声を上げると、さらに新鮮な空気が、どっと肺へと入ってきた。

はあはあと息を続けていると、何かの獣にまたがっている明日香の姿が目に入った。

その獣は近づいてくるとそのスピードを緩め、二度くるりくるりと回ると、明日香をその背中から下ろした。


「ロウ、ユノ‼︎ 大丈夫なの? ロウっ‼︎」


明日香が、ロウの身体に縋るようにして、座り込んだ。そして、ゆさゆさと揺らす。


「ロウ、ロウ‼︎」


ユノは何が起きているか把握できず、混乱しながらその光景を見ていたが、明日香がロウを助けようとしていると認めると、ユノもロウを呼んだ。


「ロウ、目を覚ませよ‼︎ ロオお‼︎」


「ロウ、起きてえぇ‼︎」


その時、明日香がロウの胸をドンッと拳で叩いた。その衝撃で、ロウの身体が仰け反る。がはっと、大きく息をすると、ロウは目をカッと開けた。

ぜえぜえぜえ、と、体全体を揺らして大きく息をする。半身起き上がり、何度か、えずいてからロウは唾を吐き、ユノと明日香を見た。

顔面は蒼白で、胸を手で掴むようにして押さえている。


「う、……うえ、おええ、はっはっはっ……」


垂れた唾を腕で拭いながら、ロウは息を整えていった。


「よ、良かったあああ。生きてる、生きてるよおおお」


明日香はロウへと両手を伸ばした。けれど、そのままがくりと前のめりになる。明日香は腰が抜けてしまい、下半身に力が入らず、ロウへと届かなかったのだ。


「ロウ、良かった」


ユノもその場でへたり込んだ。

そんな二人を、ロウは代わる代わる見つめるだけだった。


✳︎✳︎✳︎


「狼さんが、教えてくれたの」


事情を説明しながら、明日香は半時間前に交わされたイアンとのやり取りを思い出していた。


「おい、ロウとやらを見つけたみたいだぞ。さっき、ダイチから連絡があった」


「え、ほんと? 連絡って? 携帯かなんかで?」


ぐわっと口を開けて、威嚇するような素振りをする。すでに、イアンには心を開いていた明日香なので、そんな素振りにも驚くことはない。


「ケイタイ? 何だそれは。違うぞ、オレたちはそんなものは使わない。ダイチが遠吠えで知らせてきたんだ」


「そうなんだ。よく聞こえるね」


「……おい、明日香。ロウがデッドラインに近づいているそうだぞ」


「うそ、そんなことしたら死んじゃうんでしょ」


「ああ、そうだ」


「早く、知らせてあげてっ‼︎」


イアンが一つ、吠えた。


「だめだ、獣は獣人とは話せない」


「じゃあ、狼さんに脅してもらって……」


「威嚇でもすれば、獣人は自分が襲われたと思い、こっちの意図は伝わらない。それにそんなことをしてみろ、争いになって余計にデッドラインに追いやることになるかも知れん」


そして、もう一度、ウオーと吠えた。

イアンが明日香の背を鼻先で押し、洞窟の外へと促す。すると何処かからか、しなやかな体型の黒豹が一匹、現れた。


「ジュド、明日香をダイチの元へ連れていってくれ」


「いいよ、乗りな」


ジュドと呼ばれた黒豹は、明日香へと背中を向けた。

明日香は、重くない? などと訊きながら、黒豹の背中へとしがみついた。


「明日香、おまえが行けば、バッファーゾーンもおまえに合わせて移動する。そうすれば、その獣人も息ができるようになるだろう。急げよ、ジュド」


わかった、言うが早いか、ジュドは足早に駆けた。森の木々を写した背景が、あっという間に後ろへと流れていく。目が回りそうになり、明日香はジュドの首元に顔をうずめた。

時々、ウォンと吠えては、ハッ、ハッ、ハッと短い息を繰り返す。


「振り落とされるなよ」


そう聞こえたような気がしたが、明日香は必死で目をつぶりながらも、力任せにしがみついた。

そして、狼のダイチに導かれ、ロウを見つけた、というわけだった。


「もう、だめだと思った」


ユノが持ってきた木の実の中に溜まっている水分を飲み干してから、ロウは言った。


「大丈夫かい? ボクもどうしていいか分かんなかったよ」


ユノの瞳がゆらりと揺れる。そして、意外といえば意外だが、明日香が一番、力強く言った。


「間に合って、本当に良かった。ジュドやダイチにもお礼を言わないと」


明日香は立ち上がって、遠巻きに見ている一匹の狼と黒豹に向かって、お礼を言った。おうい、と手を振りながら、明日香は「本当にありがとうねー‼︎ イアンにも大丈夫だったって、伝えておいてねー」と、大声を上げた。

ぶんぶんと両手を大きく振っている姿に、ユノとロウは顔を見合わせて、ふっと吹き出した。そんな明日香の姿を見て、安心感を覚えたのだ。


「ウオウ、ウオーウ」

「ワオン、オォー」


彼らが吠えながら去っていくと、明日香は手を振るのをやめて、その場に座った。


「帰りも気をつけるように、だってー」


その言葉に、二人は「えっ」となる。


「言っていることが分かるの?」


「あいつら獣、だよな」


明日香はぷうと頬を膨らますと、「適当に言ってるんじゃないからね‼︎」と言って、二人を笑わせた。


✳︎✳︎✳︎


(明日香がもしあの時、腰を抜かしていなければ、両手を伸ばしてロウに抱きつきたかったのかな)


ふるふると頭を横に振り、ユノはくだらないことを考えるなと自制しようとした。けれど、やはりどうしてもそのことが気になって仕方がない。

前を歩く二人の背中を、ぼんやりと追う。


(そんで、明日香に抱きつかれたら、きっとロウも抱きしめていたんだろうな)


「はああ、なんか安心したら、おなか空いちゃったあ」


なんか、落ちてないかなと、下を見ながら歩く明日香の声で、我に返る。顔を上げると、ロウがこちらを見ていることに気がついた。慌てて、目を逸らす。

考えていたことを見透かされた気がして、ユノは下を向いた。


「ユノ、おまえ、大丈夫か?」


ロウの問いかけに、生返事で答える。


「う、うん。別に何でもないよ」


「そうか、ならいいけど。ユノ、あのバナナケーキはもう食っちまったか?」


「あ、そうだった」


カバンの中身に気がついたユノは、ガサガサと包み紙を取り出した。包みを開けると、ふわっとバナナの良い香りが漂った。


「わあ、美味しそう‼︎ 食べていいの?」


明日香が目をまん丸にして、近づいてくる。その姿を見て、ユノは嬉しくなって言った。


「うん、食べていいんだよ。明日香のために作ったんだ」


そう言ってから、ハッとしてロウをちらと見た。

ロウは、明日香を見てはいなかった。そんなロウの姿を見て、ユノは胸がキリリとするのを感じた。


「三つに切ったから、食べよう‼︎」


その明日香の言葉に、ユノは慌てて、「ボクはいらないから、明日香が食べていいんだよ」と言った。


「ううん、おなか空いてるのは皆んな一緒だから、分けて食べようよ」


明日香が笑う。


手渡されたバナナケーキを頬張ると、やはり空腹だったのだということを思い知らされた。当たり前だ、明日香を探しに出てから大して食ってない、ユノはそう思いながら、ロウを見た。ロウも同じように、今まで何も食べていなかったのだろう。バナナケーキを食べる一口が、いつもより大きかった。


「美味しいっ‼︎ めちゃくちゃ美味しいよー‼︎」


ありがとうね、ユノ。


明日香の言葉を、ユノは胸の中へと大切に仕舞った。

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