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拾われた女子高生


「ねえ、ここに来る途中で、変なもん見たんだけど」


茶味がかった髪に光沢のある髪留めをいくつも差しているユノが、おかしな顔を作りながら、それがさも独り言のように呟いた。べっ甲の髪留めのすぐ横に存在する三角耳が、ピクピクと動いた。


「……変なもんっ、て……何だよ」


同年同士のような返事の仕方に、ユノは苦笑しながらも、「それがさあ、たぶんだけど」


「?」


「たぶん、だよ」


もったいぶるような言い方にイラつかされ、一言出そうになるが、ロウはぐっと我慢した。黒く太い眉が、寄せられる、不機嫌丸出しのいつもの表情。


「たぶんだけど……人、……」


その言葉を聞いて、ロウは呆れて止めていた手を動かした。パックリと開いているリュックの口へと、体操服を無造作に突っ込む。


「はっ! 行き倒れなんか、珍しくねえだろ」


乱暴に返される言葉に、ユノはムッとしたような顔を返した。


「知ってるよ、「人」の国が隣だってことぐらい。でも、お互いの国に足を踏み入れたら、普通は生きていられないじゃん。すぐに死んじゃうじゃん。だから、国境のことを……」


ロウが口を挟もうとしているのに気がつくと、ユノが慌てて続けた。


「デッドラインって言うんだろ‼︎ 分かってるよ‼︎ そうじゃなくってさ、」


「はあ? おまえが言いたいことは、生きた人間を見たってことか?」


「……うん、たぶんだけど」


「ありえねえ」


後輩の容赦のない即答に、ユノはさらにムッとした表情を見せる。


「ロウ、キミねえ、ボクの方がいっこ歳上なんだぞ」


「夢でも見たんじゃねえの。夢か現実かも判断できない先輩を、先輩だなんて思えねえ」


口では勝てない。それに非現実的な話をしているのは自分の方だ思うと、ユノは諦めて止めていた手を動かし始めた。横がけのエナメルカバンに教科書を数冊、放り込む。ジッパーを閉めると、ユノはカバンを斜めに掛けた。


「でも……本当に、生きてた気がするんだ」


ユノの脳裏に何か浮かんだのだろう、再度手を止めて遠くを見つめるような眼をする。ロウはそれが気に入らないとでも言うように、否定的な言葉を重ねた。


「だとしても、今頃はもう死んじまってるよ」


リュックを背負い、ロウは自慢の黒い尻尾を左右に振ると、教室から出ていった。


✳︎✳︎✳︎


『『人–人族(ひと–ひとぞく)』の人権を守ろう』


そうスローガンを掲げて、最近の選挙でトップ当選を果たした「人」は、その国の新しい族長になり、政府の一員となった。道沿いに立ててある看板の写真を見ると、ヒゲを蓄えた強面で、一見するとなかなかのやり手のように見える。


ロウはそのスローガンが、「人権」とは全く関係のない、この国の国民の目に届くようなところに貼られているのを、苦々しく見ていた。


「どうやって、このポスター持ち込んだか知らねえけど、じゃあ、オレら『獣–人族(じゅう−じんぞく)』の人権も守ってくれよってことだよな」


ははっ、「人権」だとよ、笑っちまう。そういうのはさ、お前らだけでやれよ。

ロウは、嘲笑を含ませた声で言った。


「国交が無いんだから、お互いがお互いをどう思ってるかも知らねえんだぞ。相手の人権なんて、考えてるヒマなんかあるかよ」


そう呟くように言ってから、ポスターを破り捨てた。


隣国とはいえ、互いを隔てなくてはいけない理由は、その二つの世界の特異性にあった。いや、正確に言うと世界は三つに分かれていた。


『人–人族』『獣–人族』『獣–獣族(けもの–けものぞく)』


その名の通り、人と獣が混じり合う割合で、棲み分けられている三国だ。それぞれの国は、広大なドームに覆われていて、生命維持に必要なそれぞれの環境を整えている。


『人−人族』のドームの空気は酸素が多く配合されており、低体温の身体に負担がかからないように、常に気温115ギロン、湿度Bマイナの状態が保たれている。程よい気温ではあるが、そう感じているのはそこに住まう「人」だけだ。


『獣−人族』であるロウが住むドームでは、それよりもう少し低く、しかし「獣人」にとってはそれでも薄っすらと汗をかくくらいの気温85ロンと湿度Fマイナ。


「人」に比べると体温は高く、免疫力がより強い。


そして、『獣−獣族』。


先の二国のように環境のコントロールを敢えてなされない、過酷な環境。獣しか住まわない国を心地の良い環境下に置くと、途端に繁殖し始め、その個体数を爆発的に増やしてしまう。それを抑えるための、ノンコントロール。言わば、「放置」である。


「そんな環境で、人も獣人も生きていけるわけがねえ。獣の国だけじゃない、オレだって、人の国なんかに放り出されたら、暑さと酸素過多で死んじまう」


ロウは、学校からの帰途につく林道の途中で左に折れ、鬱蒼とした森の中へと入っていった。気温と湿度がちょうどいい塩梅なのか、獣人の国は植物の成長が驚くほど早い。


ロウは大木の周りに茂る、自分よりも背の高いシダの葉や茎を、手で掻き分けながら進んでいった。


「く、痛ってえ」


掻き分けるシダの葉の切っ先で、腕や脚の褐色の肌に細かい切り傷ができていく。


「くそっ、どうしてオレが」


見つけたのはユノだしオレには関係ない、放っておけばいいんだ、そう思い込もうとするが、思い切れない。


(でももし、生きていたら……いや、そんなことがあるはずがない)


脳裏をかすめていく可能性も、直ぐに否定され潰される。それは今の今まで、森の中で発見した「人」という「人」は皆、見つけた時点ですでに絶命していた、という実体験に基づいているのだ。

背負ったカバンにツタが絡まり、グイッと後方へ引っ張られる。


(……じゃあ、互いの国で生きられないというのなら、どうして昔、人と獣は交われたのだ?)


出てくる疑問、それは「獣人」の起源に繋がる。


ロウやユノが通っている学校で習う『獣−人族の歴史』では、始祖ハンダルはすでに獣人なのだ。


ロウは、ついとその場で立ち止まった。自分の両の手のひらを見る。そして、その手を顔まで持っていき、頬を撫でた。


(どう見ても、これ、人間に近いだろ)


『人−人族』の人間との違い。


それは、ロウの場合は尻尾があるという点に限っている。ロウのそれは、黒く硬い毛で覆われており、ムチのようにしなやかで、自分の意志で操作もできる。時々イタズラ心から、ユノの足に引っ掛けて、転ばしたりしていた。


そして、そのユノには獣の耳が、ロウの歴史の教師であるシモン大師は、手に獣の鋭い爪を持つが、ただそれだけの違いだけなのだ。


(それなのになんだろうな、この劣等感は)


言葉にはしないが、獣人の誰しもがそれを持っていると、ロウは感じていた。


そして。

『獣−獣族』。彼らとの間に存在する決定的な違い。


それは、意思疎通ができない、ということだ。人の感情や考えなどは一切持たず、「生き延びる」という本能だけに従って生きている「獣」だけの国。


『人−人族』、『獣−人族』。


この二つの国は、独自の文明や文化を持つが、『獣−獣族』の国は、「生きること」自体がまさに獣の行為、そのものなのだ、と。


ロウの中で、小さい頃から燻っている、疑問。


どうして昔、人と獣は交われたのだ?


ユノに『生きた人間を見た』と聞いて、その疑問に火が灯った。

立ち止まっていた足をようやく進めると、ロウは森の奥深くへと踏み入っていった。


✳︎✳︎✳︎


「なんだ、これ……は、」


大木と大木の間に、植物の蔦がびっしりと張り巡らされている。露に濡れて、所々で水滴が滴り落ちている。そんな光景が広がる一角。


ここはロウとユノが小さい頃待ち合わせをしてよく遊んだ、森の中でも比較的、日の光が差す明るい空間だった。あまり、葉が茂らないタイプの巨木がスラリと並び、その割に手に入る木の実の種類が豊富で、甘さのある果実もよく取れる、恰好の遊び場だった。


大木と大木との間には、植物の蔦が縦横無尽に行き交っていて、網のように張り巡らされている。ロウとユノは、その網にわざと絡まったりして遊んでいた。


二人は歳は違うが、この森の奥にあるそれぞれの家が近いので、学校も一緒に通っていた。子供と成人の中間あたる中学年の歳になってからは、お互いに気恥ずかしさもあって別々に通うようになったが、その時期を過ぎるとまたつるむようになり、成人の手前である高学年の今では時々、行動を共にしている。


「これは、いったい……」


ロウは、普段ならあり得ない光景に眼を見開いた。


蔦が張り巡らされている場所に、「人」が絡まっている。がくりと、こうべを垂れているので顔はよく見えない。


ロウは、異様な光景に一歩、後ずさりした。


(これは……ユノは怖くて確かめられなかったんだな)


デッドラインに近いこの森の中で、こんな風に「人」に出くわすことがあっても、それはもう物を言わない死体となっていることが、ほとんどだ。

ロウは、気弱なユノが「人」の死体に近づけた試しがない今までのことを、思い出した。


「ねえ、ロウ。早く、行こうよ」


「ちょっと待ってろ。オレが見てくる」


遠巻きに見るユノを置いて、その生死をロウが確認してきた。そして、それは毎回「死」だ。


空気が薄く、気温も低いドーム違いのこの場所に来るということは、「人」にとって自殺行為に等しい。だが、森を彷徨っているうちに、迷い込んでしまうのだろう。それは、『獣−獣族』でも同じで、時々「獣」の死骸も転がっているのだ。


実は三国間の国境、デッドラインは明確にはされておらず、ドームの境界付近は混じり合っているから、道を知らない者がそのまま迷い込み、知らず知らずのうちに生き絶えてしまうという理由。


ロウは、「人」を再度、見た。


黒く長い髪。


その頭にユノのような耳は生えていないし、ダラリと蔦に絡まっていて上へと上げられた両腕は白く細く、獣の爪も生えていない。


(尻尾は……見えない)


ユノが言うように、『人−人族』の人間だ。そうであればもう、息もしていないだろう。


ロウは、じりと足を数歩前に出し、近づいた。近づくと、落ち葉や枯れ枝を踏む音が、パチリと鳴った。足元で小さな音を感じながら、警戒心とともに歩を進めていく。


ある程度いったところで、「人」が女だと分かる。白色の服の所々に黒のラインが入り、胸には朱色の光沢のある布が、ぐちゃりとぶら下がっている。その服が、その白い肌を一層浮かび上がらせている。


ロウは自分の日に焼けた浅黒い肌との対比を感じざるを得なかった。


そしてそこで、少しだけ違和感を感じた。『人−人族』の行き倒れは皆、カラフルな衣装を身にまとっていたが、この女は地味な服装だ。


(オレも「人」について詳しいわけじゃないから、な)


小さな違和感を頭の中で握りつぶすと、腰に差していた小さなナイフを取り、絡みついている蔦を切る。

ロウが蔦を切ると、ぐったりとしている小柄な身体が、ゆらゆらと揺れた。その度に長く糸のように細い黒髪も揺れ、それがさらにその肩から滑り落ちて、頬にかかる。最後のツルを切り、その束縛から解放されると、女はガクッと身体を倒した。


ロウはナイフを腰へと戻すと、近づいて覗き込んだ。


(死んでる、よな)


手を伸ばして、頬にかかる髪を払いのけようとした時。

唇がひらいて何かの音を発した。


「うわっっ」


ロウは驚き、後ずさった。

再度、女の唇が動き、言葉が鳴った。


「オナカスイテ、シニソウ」


今度は聞き取れた。が、意味は分からない。ロウは慌てて、「人」を抱き起こした。


✳︎✳︎✳︎


(うわあ、うわあ、うわあ、どうしよう、どうしよう)


明日香は、ベッドから身体を起こすと、壁際に追い込まれるようにしておしりをずらし、後ずさった。


(どうしよう、どうしよう、めっちゃ……い、イケメン)


同じくベッドに腰掛けて、じっと見てくる男を前にして、明日香は顔を真っ赤にして照れた。明日香を見てくるその瞳は、グレーに彩られたビー玉のように綺麗だ。


(が、外国人? なんでこんな、ガン見してくんの、やだやだ)


その男の視線をかわすようにして、明日香は周りに視線をやった。見たことのない部屋。ぽつんと一つ置いてあるベッドに、寝かされている。


(これは……なんか、事件に巻き込まれて、いる?)


明日香は、記憶を辿っていった。すると、頭頂部に何かの痛みがある。


「イタ」


その痛みに気付き、頭に手を当てる。後頭部をゆっくりと指で撫でてみると、ぼこっとした膨らみを見つけた。


「イ、イタッ」


その痛みで、何かを思い出せそうだった。けれど、その声に反応して、男が立ち上がった。ベッドから距離を置く。


「お、おまえはだれだ」


立ち上がると、男の背が高いことが分かる。そして、その声の低さと顔の表情で、自分が警戒されていることも。


何を言ったのか、よく分からなかった。

明日香は痛みにしかめていた顔を元に戻すと、「アノ、スミマセン」と呼びかけてみた。


すると、男はさらに半歩退くと、「だ、だれなんだ」と言う。

次の言葉は聞き取れて、話が通じそうだということが分かり、明日香は自分の名前を言った。


「ワタシハ、マツヤマコウコウノ、コヒナタ アスカ ッテイイマス。ア、サンネンセイデス」


「マツ、ヤマ、サ、サンネン?」


男の困惑する表情で、早口過ぎたと感じると、明日香は今度はゆっくりとした口調で続けた。


「アスカデス、アスカ。コウコウセイデス」


「…………」


反応がないので聞こえなかったのかと思い、再度名前を口にしようとした時、困ったような顔をした男は、逃げるようにして部屋を出ていってしまった。


「あ、あの、」


ズキッと頭が痛んで、手で触れる。


「痛っ、なんだこれ、どっかで打ったのかなあ」


さすっていたその手を離して、そのまま手のひらを見た。


「ぜんっぜん……覚えてない、や」


頭を打ったこと、男やこの部屋に一切の覚えがない。そのことに気がつくと、不安な気持ちがずくずくと湧いてきた。明日香は、足にかけられていた薄い毛布を肩まで引っ張りあげると、ベッドに横になった。


早くこの場を立ち去ったほうがいいと分かってはいたが、ズキズキと痛みが増していく頭は徐々に重くなっていき、お腹は空いていて、起きる気力も湧いてこない。


眼を瞑るとすぐにも睡魔に襲われ、明日香は眠りに就いた。


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