本能
酷い頭痛で目が覚める。暖炉の火は消えていた。
「いつの間にか寝ていたようだ...うっ、頭と口の中が痛い」
鏡の前に立ち、口を開けてみる。切り傷から血が滲み、唾液と混ざっているのが見えた。
頭の痛みも酷く、斧で頭をかち割りたい気分だった。
それに家に異臭が漂っている。尋常じゃない臭いだ。
「何だこれ、いや。それより今は何時だ」
携帯を開くと、彼は衝撃を受けた。もう約束の日だ。そろそろ例の場所に行かなければならない。ジェフリーは急いで小切手を用意し、ダーマーの別荘へ向かった。
扉を開けると、乾いたベルの音が聞こえる。
「誰もいない。そうか、ダーマーにはここを空けておくよう言っておいたんだった」
酷く頭が混乱しているようだ。
しかし、それからいくら待っても、「例の男」が現れることはなかった。
「一体どうしたっていうんだ」
湖を一周しても、観光客以外誰もいない。
日にちを見間違えたかと疑ったが、やはり約束の日だった。
ジェフリーは首を傾げ、一旦家に戻ることにした。
「とにかく何が起こったのか唐突すぎてわからない...臭いの原因も気になる」
吐きそうなほどの異臭がスーツにも染み付いていた。ジェフリーは家に帰ると、部屋を隅々まで調べた。
「最後は風呂場か。3日も経ってるから私の体臭だったりしてな。ついでにシャワーを浴びよう」
扉を開けた瞬間、異臭の原因が目に映った。
内臓内臓内臓内臓内臓内臓内臓内臓内臓。
夥しい量の血液。
浴槽には血の風呂ができあがり、臓物や持ち主の不明な手足、身体が漬けられていた。
小腸はシャワーヘッドに絡みつき、手足は切断され、断面から流れた液体が、濃厚な血の海を作りだしている。
「うぅ...おぇえええ」
ジェフリーはその場に吐瀉物を撒き散らした。まともに食事をしてないので、出てくるのは胃液ばかりだった。胃酸の酸っぱい臭いと血と肉の臭いで更に嘔吐する。
「はぁ...はぁ...何が、何があったんだ...私が気を喪っている間...誰がこんなことを」
私だ。
ジェフリーはすぐに答えを見つけた。それ以外誰がこんなことをするのだろう。仮に他人がやったとして、他人の家に死体を置く理由が見当たらないし、寝ている自分に何もしないのがおかしい。
膝をついて、浴槽に浮かぶ首を見つめる。
ホテルマンだ。ジェフリーがダーマーと密会していたビジネスホテルのホテルマンの男だ。
「まさか...ルイスと名乗る男は君だったのか」
血塗れで誰かわからなかったが、手で血を拭うとようやくわかった。
「私が...私がやったのか...!?」
その時、記憶の刹那が次々に脳裏をよぎった。
.........
......
彼は今日、ピクチャー湖に向かい、例の男と会っていた。その例の男がホテルマンだったのだ。自分がその事実にたいそう驚いたことも思いだした。
「私はずっとあなたのファンでした。You vs the worldを読んでから、ずっとあなたを見てきました。しかし、ホテルで老人と密会しているのを見つけ、盗聴器とカメラを仕組ませてもらいました。初めは好奇心でした。一流の作家がどんな会話をしているのか気になったのです」
ルイスは続けた。
「あなたは私の期待を裏切って、ゴーストライターなんかを雇っていました。失望です。私はあなたが偽りの業績で富を貪っているのが許せなかった」
「ふーん。それで、君は僕のお父様とお母様のようになるの?」
蘇る記憶の断片に、ジェフリーは同様を隠せなかった。喋り方がおかしい。
更に記憶は蘇る。
鳩が豆鉄砲を食らったようにきょとんとした顔をしたホテルマンに、ジェフリーは隠しもっていたナイフで胸を刺す。
ホテルマンは反射的にジェフリーの頬を殴る。更に2人は取っ組み合いになり、湖の水辺に倒れこんだ。ジェフリーはナイフで何度もホテルマンを刺し、彼は近くにあった石でジェフリーの頭を殴りつけた。
しかし大量の血を流したホテルマンは、その後頓死状態に陥る。
ジェフリーは暫く頭を抱え、悶えたが、なんとか体勢を立て直して、ホテルマンの足を掴み、車の荷台に乗せた。
「はぁ...はぁ...僕はお腹が減ったんだ。生きるためには...食べるしかないんだ」
そして今に至る。
ジェフリーは全てを思い出した。だが、自分がなぜこんなことをしてしまったのか。それだけが腑に落ちなかった。
「何だこれ...私がなぜこんなことを」
心当たりがあるもの。
一つだけある。
人を殺す小説。
そう。ジェフリーは小説に殺されたのだ。
彼はソニーに共感するあまり、ソニーに心を奪われた。ソニーに心を食われた。
ジェフリーはそっと、ホテルマンの遺体を撫で、血でできた湯槽から切断された手を取り出す。
ゆっくりと小指を囓る。人間の肉は硬く、中々食べにくい。顎を思い切り使い、小指を食いちぎった。
ジェフリーは人肉に命を感じた。
「うまい」
とても食えるようなものではなかったが、ジェフリーはがつがつとホテルマンの遺体を食べ始めた。口周りを赤く染め、目を虚ろにして...
それはさながら、動物が本能のままに動物を食しているようであった。




