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血を侵漬させ字を綴る  作者: 清水遥華
4/8

文藝とは

 太陽はまだ山の後ろに顔を隠し、濃淡な青が空を覆っていた。ダーマーが別荘として使っているウッドデッキの前には、黒のマセラティが停まっている。


早朝の寒さを纏った空気が鼻の奥を突く。ジェフリーは合鍵を使って玄関に入った。

ウッドデッキの内装は味わい深いもので、暖炉とソファ、絨毯があり、書籍が並んだ本棚が多く設置されている。


朝は小鳥の囀りを聴き、昼はピクチャー湖にうつるシャクサン山を眺め、夜は深い青に心を奪われる。書斎としては最高の場所だ。


しかし、ここは3日後、ジェフリーが汚名を着せられる取り引き現場となる。


(ダーマーに言わなければ)


そう思ってはいるものの、ジェフリーは責任感と羞恥心から、言葉になかなか出せなかった。


ダーマーは机に一冊の赤い表紙の本を置いて、ひとつ深呼吸をした。


「これは先日、私が執筆し、早急に本にしたものだ。これを読めジェフリー。サスペンスが何か、ミステリーが何かを教えてやろう」


ダーマーの眼は充血している。おそらく彼は、私に本物の小説を魅せようと、飲まず食わずでこの本を完成させたのだろう。ジェフリーはそう思った。


「これを、三日三晩で作ったのか」


「私たちは同じ(まどか)な文藝の中心に立っていた筈だ。



知的好奇心を思い出せ。思考を忘れるな」



ジェフリーは核心を突かれ、一瞬表情が固まる。


(私は何を怯えていたのだろう。読者のニーズに合わせた作品を作る。確かにそれだと受けは良いし、多く売れるかもしれない。だが、それでどうなるのだろう)


ジェフリーは、小説を書いていない。


実際はそうではない。


売れる小説を書いていないだけなのだ。彼の中にある知的好奇心と探究心は、常に彼が書く文章に表れていた。


ジェフリーという、ベストセラー作家としての名前が世に知られている間、彼は別に、無名で小説を書いて投稿していた。


勿論、人気は中の下。小冊子の端に枠を維持するのがやっとであった。


しかし、それでも彼は、書き続けた。


ジェフリーはひとつの真理に辿りついた。





我々小説家にとって、ペンを手に取り字を綴ることは本能である



と。


眼の見えぬ人に空の美しさを伝えたい。産まれる前の子供に世界の愛を伝えたい。ただそのために小説家は文字を書くのだと。


(250万ドル。安いじゃないか。私が全て払おう。そうして、これからは本能に従って生きようじゃないか)


ジェフリーは頬の筋肉を動かし、不自然な笑顔を作った。


「ありがとうダーマー。そうだ、3日後はここを空けておいてくれ。少し私も一人で耽ってみたいのだ」


「ほう。愛情物語でも書くのかね」


ダーマーが重たそうな瞼をして皮肉を言った。電気を消すと眠ってしまいそうだ。


「強いていうならば、小説への愛情。君には劣るがサスペンスものを書きたくてね」


本当は、身代金を払うだけだが、ジェフリーの言葉は半分本当だった。


「ほほっ」


意表を突く言葉に、ダーマーは失笑した。そしてそのすぐ後に、こう付け加えた。


「ならば、この本はいらないな」


ダーマーが本をバッグに入れようとした。

彼は、この小説を見せて、ジェフリーに感動を与えようとしていた。ジェフリーの思想さえも変える一流の小説を見せようとした。


それも杞憂で、ジェフリーは自ら己の過ちに気づき、もう一度小説を愛した。

だからもうこの小説はいらないのだ。



......

.........


 ここまでの話を、ジェフリー・デュマガリエフは嬉しそうに語っていた。まるで昔話をするように。彼は私が話をする時、終始落ち着きのない様子だったが、自分が話す番になると、肘を机につき、両手を重ね真剣に話した。一人称は「私」ではなく、「僕」。


会話表現に知性は感じられなかったが、物事

の本質を見抜く力、自分の意志を確固たるものにする力には長けていた。


解りにくいと思うが、簡単に言えば、彼は彼独特の思想を持ち、本能が赴くままに行動しているようにも見えた。


彼は【自分が誕生する前の話】を終えると、口を閉ざしてしまった。


2時間40分弱。彼は口を閉ざして私を見ていた。私の質問にも全く応えなくなった。そこで、私以外の人間を部屋から追い出し、もう一度質問をした。


「ボイスレコーダーはきったよ。さぁ、話してくれ。君が今に至るまでのことを」


私はそう言った。

彼はこくりと頷き、ポケットからダーマー氏が書いたであろう小説を取り出した。


彼がこの小説を読んだのはすぐにわかった。

問題は、この小説がどんなものだったのか。

私はそれが気になって仕方なかった。



それでは、続きを書くとしよう。

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