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血を侵漬させ字を綴る  作者: 清水遥華
2/8

密会

 ハンマーの先が欠け、埃をかぶったタイプライターが机の上に佇んでいる。煤で少し黒くなっている暖炉の火がぱちぱちとはじけていた。


ジェフリー・デュマガリエフは暖炉の前のソファに座り、少し甘いアメリカンコーヒーを啜る。鬼才作家と呼ばれる前は、この仕事前の日課が一日の全てだった。


「Three perfect days」。3日あれば女性を完全に奴隷と化させてしまう心理学者のサイコスリラーを描いた小説だ。


勿論、一般層には受けが良くない。だが、作家としてはコアなファンを惹きつけ、メディアの前では、紳士的な男性として女性を惹きつけた。


悦に浸っていると、時計の針が早く進むものである。ジェフリーはすっくと立ち上がり、暗いグレーのスーツを身に纏った。ネクタイを結び、クローゼットの鏡で身だしなみをチェックする。


「ふむ。歳をくったかな」


豊麗線をなぞり、顔を顰めてみせた。鏡の中の自分を煽るように眉を動かし、目を見開く。これ以上時間をとっていられない。彼はそう思い、タイプライターの横にある車のキーを取った。


これから行く場所は所謂「作業場」だ。

ファンへのサイン会でも、メディアへの対応でもない。街のビジネスホテルに着くと、受付に自分の名前を告げる。受付の女性は「少々お待ち下さい」とだけ言い残し、奥へ引っ込んでいった。代わりに出てきたのは30歳ほどのホテルマン。丸メガネに薄い口髭、先が跳ねた黒髪。


ジェフリーはここに来ると、いつも彼を呼び出す。そしてこう尋ねるのだ。

「ダーマー氏は来ているか」


ホテルマンは口の端を吊り上げ、

「えぇ。いつもの部屋にいらっしゃいます」

と言った。

ジェフリーは何も言わず、エレベーターに向かう。


401号室。彼等が「作業」を行う場所だ。

この作業が無ければ、ジェフリーのこれまでの輝かしい業績は無かっただろう。


部屋に着くと、ジェフリーは3回、少し間をあけて1回扉をノックした。数秒後、鍵を外す音が聞こえ、扉が開いた。


中から、白髪の老人が顔を覗かせる。

老人は優しい微笑みを零すと、ジェフリーに入るよう促した。


「Three perfect days は271万部のベストセラー。サイコホラー小説でこの数字を出せるとは、私も驚いたよ」


ジェフリーがスーツを脱ぎながら言う。


「閃きは一瞬さ。歌を聴いている時、詩を読んでいる時、突然頭の中を駆け抜ける。だが、それは一瞬。その一瞬の閃きを掴めるかどうかなのさ」


ニコライ・ダーマー。彼は、ジェフリーのゴーストライターとして活動していた。ジェフリーが今まで発表してきた小説は、全て、彼のアイデアだったのだ。


「閃きねぇ。昔はあったかもしれない。いや、なかったからこそ、今、こうやって君を雇っているのか」


ジェフリーは煙草を取り出し、口に咥える。罪の意識からか肺に入ってくる煙はもやもやと気持ち悪く感じた。長年使わなかったタイプライターは、過去の未練だったのかもしれない。自虐的な言葉に、ダーマーは反応を濁し、本題へ入った。


「ところで、次は何を書けば良い?」


「そうだな。今まで、サイコホラーやサスペンス、スリラーでコアなファンを付けてきた。だが、今回は愛情物語でいきたい」


突拍子もない言葉にダーマーは目を細めた。

彼の発した言葉を疑いに疑っている様子だ。


「愛情、愛情じゃと?一体どうしてしまったんだジェフ。何が狙いだ?」


「考えてみてくれダーマー。今まで一般層にはあまり受けが良くなかったが、私の容姿で補ってきた。だが、これからは一般層にも受ける愛情物語路線へと変更すべきだ。同じジャンルだと必ず飽きがくるし、アイデアも枯渇するだろう?」


「ジェフ。忘れたか?商業主義へと走った文藝は必ず破滅を招く。ここらが潮時なのかもしれないな」


彼の一言の後、静寂が部屋を支配し、時計の音が妙に大きく感じられた。

沈黙を切ったのはジェフリーだ。


「わかった。一旦考えを練り直そう。焦りすぎて転けるのは良くない。お互いにとってな」


機嫌を損ねたのか、ダーマーは机の引き出しにあった聖書を読み始めた。


「世界一売れた本だ。当時の誰がこうなると予想していただろうか」


その言葉の裏には、商業主義に対する批判が込められているようにも思えた。


「なぜわからないんだ!!今じゃ流行で全てが左右される!!生き残るにはそれに乗っかるしかないんだ!!」


ジェフリーは少し声を荒げた。


「わかっていないのは君だ。出て行け」


対してダーマーは冷静に彼を制する。


ジェフリーは、机に土産物を置いてから部屋を出た。重い足取りで廊下を歩いていると、先程のホテルマンとすれ違う。


彼は業務用の愛想笑いをこちらに見せた。

レールに乗って上手く運べていた事が、脱線しかけている。ジェフリーの眉間に皺がよる。


怒りを表に出さぬよう表情を作りながらエレベーターに乗る。設置してあった鏡にうつる自分を見て、深い溜息をした。


「だめだ。皺が増える。しかしダーマーめ、何もわかっていない」


エレベーターの中で、彼はひとり、愚痴を零した。




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