小説家になりたかったある男の後悔
どうして、こうなってしまったのだろうか?
このオレの人生は、なんだったのだろうか?
こんなはずではなかったのに…
毎日毎日、同じ日々の繰り返し。
今日は昨日と同じ。昨日は一昨日と同じ。きっと、明日も同じ日が来るのだろう。
こんな日々が、あと何日続くのだろうか?退職するまでの20年間か?それとも、死を迎えるその瞬間までか?
もちろん、人並に幸せではある。少なくとも、世間の人々からすれば、幸せに見えるだろう。
妻がいて、子供がいて。それも、子供は2人もいて。大きな失敗はせず、それなりの稼ぎもある。
そりゃあ、あまり自慢できほどの金持ちとは言えないだろう。それでも、とりあえず家族4人が食うに困るほどではない。いずれ、子供たちを大学に進ませることくらいはできるだろう。
だが、この人生は失敗だったと言える。断言できる。
「このオレの人生は、失敗だった!」と。
若い頃、オレは物書きになりたかった。それも、小説家に。毎日毎日、小説を書いて暮らす。それ以外は何もなくていい。そんな生き方にあこがれていた。
自分で言うのもなんだが、それなりに才能はあったと思う。あのまま進んでいれば、三文文士の端くれくらいにはなれていただろう。だが、今はない。才能は涸れ果ててしまった。それが、自分でもよくわかる。
「何がいけなかったのだろうか?」と、考え直してみれば、答は決まっている。いつも同じ答にたどり着く。いつもいつも、同じ答に。頭の中で思考を巡らせていくと、様々なルートを通過し、紆余曲折を経ながらも、最終的にはいつも同じ結論にたどりつく。
それは、こうだ。
「生き方が平凡過ぎたのだ」
今のオレの生き方。それは、絵に描いたような平凡なルートだ。典型的日本人のあるべき姿。
毎日決まった時間に家を出て、会社に通う。ま、会社の人間からはそれなりに信用もされているし、仕事だってできる部類に入るだろう。
休みは週に2日。祝日や盆や正月にも何日か休日がある。それ以外に休むとすれば、せいぜい年に2日か3日。風邪をひいて寝込んだ時くらいのものだろう。休んでも給料がもらえる有休というものもあるが、ほとんど使ったことはない。
休日は、家族と過ごす。妻や子供たちと一緒に出かけ、動物園やら遊園地やら買い物やらにつき合わされる。
そりゃあ、最初はそういうのも楽しかったさ。若い頃は、そんな生活にあこがれたりもしたものだ。だが、実際にやってみると、思ったほどおもしろいものでもない。そんなのは、何度かやればすぐにあきてしまう。あとは、苦痛の日々さ。
「ああ…また、こいつらにつき合わされるのか。これだけの時間があれば、どれほどの小説が書けたことだろう?自由が欲しい。もっと自由が。自由に小説を書けるだけの時間が欲しい…」
考えるのは、そのコトばかり。いや、今や、それすらあまり考えなくなってきた。
「仕方がないか。人生とは、こういうもの。生きていくとは、こういうコト。もはや子供じゃないんだ。夢ばかり追ってはいられない。現実に生きていける立派な大人にならなければ!」
頭の中にあるのは、そればかりだ。
そのコトを妻に伝え、大口論になったこともある。
「お前のせいだ!お前のせいで、オレは小説家になれなくなったのだ!小説家になる道をあきらめなければならなくなった!オレはほんとは小説家になりたかったのに!」
日々のストレスから、ついついそんな風に口走ってしまったのだ。あの時は、随分と妻を傷つけてしまった。申し訳ない。
もちろん、オレ自身わかっていた。それが原因ではないと。少なくとも、それだけが原因ではないと。結婚は理由の1つに過ぎない。あるいは、イイワケの1つに過ぎない。
一番の原因は仕事だったのだろう。
この年齢になれば、いくらかゆとりの時間もできたが、若い頃はそれはそれは忙しかった。入社したての頃は、覚えるコトも多かった。
最初は、「なぁに、働きながらでも小説は書けるさ。休日だってある。仕事から帰ってきてからでも書ける。ほんとにやる気さえあれば!それで書けないのは、やる気のない奴だけさ」などと考えていたものだが、結局は小説なんて書けはしなかった。ヘトヘトに疲れてしまって、それどころではなかったのだ。若い頃、休日はいつも寝て過ごした。
それに、仕事って奴は小説の才能を削り取っていく。ガリガリと音を立てるように、オレの中の何かが削り取られていくのがわかった。小説と仕事は相性が悪い。独自の世界を構築することと、世間に従って生きていくことは、相反する。自分自信でそれをわかっていながら、止められなかった。止めようとはしなかった。逆らえば、仕事に支障をきたす。人間関係も悪くなる。
仕事というのは、そういうものなのだ。それまでの自分の生き方や考え方を殺してでも、従わなければならないものがある。昔からの慣例や、組織、取引先、世間の常識といった得も言われぬ巨大な力だ。
もしも、それに逆らおうとすれば、莫大なエネルギーを必要とする。そんなものと戦おうとするだけで、エネルギーを使い果たし、精も根も尽き果ててしまうだろう。
残された唯一の手段は、会社を辞めることだけだった。会社を辞め、もっと別の仕事につき、最低限の収入だけ確保して、残りの時間は全て小説に注ぐ。それくらいのコトをしなきゃならなかった。だが、オレにはそれもできなかった。
それに加えて、結婚だ。
「なぁに結婚したって小説は書けるさ。幸い、仕事の方も慣れてきたし、いくらか時間にもゆとりが持ててきた。これならば、仕事と結婚を両立させ、さらにいくらかの小説も書けるだろう」
そんな風に考えていた。
結果、このザマだ。
もしかしたら、それはオレが悪かったのかもしれない。それだけの情熱も才能も、オレは持ち合わせていなかったということなのだから。
真に才能や情熱のある者ならば、いかに忙殺された環境下でも、必死になって書き続けただろう。石にかじりついてでも自分の信じる作品を書き続けたはず。
だが、オレはそこまでの器ではなかった。
若い頃に持っていた情熱は、どこへやら消えてしまった。わずかに、残り火がくすぶっているのみ。
もはや、2度と戻ってくることはないだろう。いや、かろうじてながら、まだ希望はある。
「60か65くらいまで働いて、隠居する。その後は、静かに自分の書きたい小説でも書いて暮らそう」
そういう希望だ。だが、こんなご時世だ。今の会社を退職して、貯蓄と年金のみで悠長に生きていけたりするものだろうか?
そうなったらそうなったで、また何らかの仕事をして働かなければならないのではないだろうか?
それに、その頃には、もはや小説を書こうだなんて気力はコレポッチも残ってやしないかもしれない。今はまだわずかながらに残っている情熱の残り火すら消え失せてしまっている可能性は高い。さらに言えば、若い頃に持ち合わせていた鋭い感性や洞察力、世界に反抗しようという反骨精神などは全て失ってしまっている。それなくして、どのような小説が書けるというのだろうか?
まったくもって、どうしてこうなってしまったのやら…
この人生は、完全に失敗だ。仮に人として成功でも、作家としては大失敗だ。
※この作品は「ある小説家の後悔」と対になっています。