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ルシフェルの過去

作者: 美冬

ひどく、雨の降る日だった。




全てを洗い流してしまう程、強く激しい雨。





口の中一杯に広がる鉄の味、泥水の味。




無様に髪の毛を鷲掴みにされ、地面に押さえつけられている




身体中が酷く痛み、今意識があるのが不思議なくらいだった。




ああ、私は…これから死ぬのだろうか。




何も出来ず、何も叶わず、何も為せぬまま…。






「…痛いだろう?辛いだろう?憎いだろう?」





私を力で押さえつけている人間が、狂気にも似た感情を抱きながらそう言う。






「人は…無力だと思わないか。今こうして自分の命を奪われんとする時に、何も為せぬとは」






「た……たすけ…て…」




切れている唇、あらぬ方向に曲がった右腕。



全ての痛みに堪えながら…私は必死に呟いた。







「…余興でも楽しもうか。君を完全に壊すために…クク…」





口元を鋭角に歪め、悦びに震えながら男が言う。





私が、一体何をしたと言うのだろう。





何にも悪いことなんてしたことない。





ちゃんと両親の言うことを聞いて今まで真面目に生きてきたつもりだ。





それなのに、このたった一人の男によって全て壊されてしまった。



真面目に生きていれば報われると私に諭し続け、厳しい躾を強いてきた両親。



そんな両親は包丁で滅多刺しにされ、酷く醜い骸と化した。




それは、あまりにも呆気なかった。




壊れるというのは、あまりにも容易い事だった。






そして、今こうして私も命を奪われようしている。




たった一人の、狂気に満ちた男によって。






「よし、そうだなぁ…じゃあ最期はバラバラにしてしまおうかな」




私が身動き出来ないと慢心した男は手を離し、父親に刺したままだったナイフを取りに家の中に入っていった。








…今しかない。




完全に家に入った事を確認し、私は満身創痍の状態で苦痛に堪えながら起き上がる。





急いで逃げ出そうと試みるも、固く閉ざされた玄関口の門を開けることも飛び越える事も出来なかった。




焦りに感情が支配される。




もう時間がない、急がないと殺される。





しかしどう足掻いても門を飛び越える事は叶わない。




完全に不可能だと分かると私は諦め、直ぐに庭の方へ行く。




確か物置の裏に人一人がやっと通れる穴があったはず。そこからならきっと…。




私は必死に庭の物置へと向かう。




ただひたすらに、おぞましい程の恐怖にうち震えながら。





しかし、私はすぐに絶望に染まる事になる。






「なぁに逃げ出してんだよ…クソガキが……」




先程の口振りが怒りによって本性を露呈させる。




狂気に満ちた男が、私の目の前に立ちながらそう言う。




…そう。簡単な事だ。




物音から察知して、居間の窓からショートカットして私を待ち伏せしていたのだ。





「残念だったなぁ…せっかく後もう少しで逃げられたのに…なぁ?」





男の言葉に、心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。





もう駄目だ、私は助からない、このまま殺される。





まるで私の人生の終わりを告げるように雷鳴が轟く。





「じゃ、さよならお嬢ちゃん」




すっとナイフを持っている右手を振りかざす。






―ああ、こんな事になるならもっと遊んでおけば良かった。





こんな事になるならもっと好きに生きてればよかった。





こんな事なら、もっと―。








…いや、違う。





どうして私がこんな目に合わなければならない。





どうしてこの世界はこんなにも残酷で、不条理で、理不尽なの…。






世界が憎い、私から全てを奪った人間が憎い、この腐った男が憎い。






―なら、全部壊せば良い―







気付けば、私の身体は返り血を浴びていた。




…そう、男の返り血を。





何故?どうして私が生きてる?私は今殺されたはずじゃ……。







「ああ、確かにお前は死んだ」





そう私の心の問いに答えたのは、男の背後から現れた謎の黒装束の人だった。





私は、助けられたの?




いやでもどうやってここに?そもそも何故私を助けたの…?







「あ、あなたは……?」





「…黒雪。この世界の人間の敵だ」





白く紅きラインの入った仮面で隠された素顔、身を黒装束で隠したこの人は…そう私に告げる。




私達魔女の味方であり、人間の敵である…と。




そして―血の中傷―と呼ばれる魔女のみで形成された組織のリーダーであると。






「…私と共に来い。理不尽な世界を、魔女を弾圧するこの世界を壊す為に…」






「…この、世界を壊す……?」






朦朧とした意識の中、それでも私は心の底から沸き上がる世界への憎しみははっきりと覚えていた。





私はこの世界が憎い、この世界をめちゃくちゃに壊してしまいたい。





大事なものを失う辛さを、何も出来ない恐怖を感じさせてやりたい。






「私は…壊したい。この歪んだ世界を…それが為せるなら、私は何だってする……」





私は真っ直ぐな眼差しでそう黒雪と名乗る人に訴えた。









…これが、黒雪様との出会い。





全てを奪われ無に帰した私の、再びの始まり。








「今日から君の名は…ルシフェル。ルシフェル・リステアだ」








あの日私は絶大な力を得た代わりに、大事なものを失った。





それは―。








―唯一自身を証明できる、本当の名前というものを―













人間の王は言った。




異質である魔女こそ悪、我々人類に災いをもたらさんとする存在である。



よって魔女たる存在を根絶やしにすべきである。邪悪なる遺伝子を後世に残してはならぬ。





王の言葉により、後に言う魔女狩りが行われた。



各地で起きる無情な偽りの正義を掲げた殺戮。



一部では己の持つ能力を使い対抗した者もいた。




しかし、私達魔女の決まりごとでは決して人間に危害を加える目的等で魔術を使ってはいけないとあった。




律儀にも、我等魔女のほとんどはそれを守りそして散っていった。






魔女狩りが発令されてから、一年が経った。




魔女の人口は7割程が殺され、全員殺されるのはもはや時間の問題であった。





誰もが諦め、生を捨てようとすらしていた。







しかし、それを許さぬ者がいた。





今こそ、立ち上がるべきだと告げる。





古き約束を守ったばっかりに、同胞は皆死んでいった。





今こそ、古き因縁を解き放ち人間に復讐すべきであると。





その者には力があった。純潔なる血筋があった。有無を言わせぬ程のカリスマ性があった。





その名は黒雪。




白き仮面と黒装束に身を包んだ魔女。





何故魔女と断定出来るのか。




それは純潔なる魔女の血筋を引く者のみが語れる名であり、その仮面も魔女のみ身につける事が許されていると言われているからだ。





「我が同胞よ…共に立ち上がり、人間共に復讐を果たすのだ」





私達魔女にとって最後の希望であった。





それまで生を捨てようとしていたものも、再び瞳に光を宿し闘志を取り戻す。




たった一人の言葉で、そこにいた全ての魔女が奮起する。




憎き人間を根絶やしにする、その日まで死ぬことは許されない。




我等魔女の安寧を取り戻すまで、諦める事は許されない。






…こうして、魔女のみで構成された組織が出来上がった。





その名は―血の中傷―





同胞が流した血を、人間から受けた中傷を決して忘れぬために―。










血の中傷結成後、私達魔女は散り散りになった仲間を集め徐々に力を蓄えていた。





各地で暴動を起こし、村一つを火の海に変えたりもした。






私には、もはや情はなかった。





一人…また一人、躊躇わず殺し、任務を遂行する。





いつも、同じことをしている。





胸元の紋章から鎌―ウェンヘイズ―を取りだし、虐殺の限りを尽くす。





私に救いを求める人が居た。



私を最期まで罵倒する人も居た。



私に情けを求める人が居た。






人は、自分勝手だ。




そして傲慢であり、自分の願いばかりを口にして他人の事を考えない。





私は躊躇わず、その人達を殺した。





その後ろで、子供が呆然とこちらを見ていた。





きっと今殺した女の…娘だろう。どこか顔つきも似ている。





幼い少女は、現実を受け入れられないのか言葉を発しなかった。



光のない虚ろな瞳。その中に映る私の姿は…酷く不気味だった。








「私も…殺すの…?」




震えた声でそう少女は私に問い掛ける。





「ええ。人間は全て抹殺だから」




どこか心に引っ掛かりを感じながらも、私は答える。






「し、死にたく…ない…よ…」






少女が懇願する。




醜くも、生にしがみつき足掻こうとする。





私は、無言で持っていたウェンヘイズを少女に向ける。





月明かりに照らされ、漆黒のウェンヘイズの刃が妖艶に光る。






何の明かりもない、ただ月だけが照らす部屋の中で、私の歩み寄る靴音と互いの息遣いだけが響く。





「たす…け……」






ウェンヘイズを振りかざした瞬間、私は静止した。






何か引っ掛かると思ったら…そうか…。






ああ、これは…昔の私そのものだ。






突然何もかもを見知らぬ誰かに奪われ、そして自分の命すらも…。






今の私は、あの日の男と同じ…変わらないじゃないか…。







私は振りかざしたウェンヘイズを下ろし、胸元にしまう。





「…え……ど、どうして…」





「…勘違いしないで、貴女はこれから死ぬのよ」




「…も、もしかして…魔術…?」




「代償は、貴女の名前。これから貴女は私が与えた偽りの名で生きる事になる。私を殺さない限り、貴女はずっと死んだまま」




そうして、私は紅き悪魔のような右目で少女の瞳を覗き込み、偽りの名を与える。





黒雪様と違って名前を封印するだけの力。




人を縛り、屈辱に伏し、家畜と成り果てた人生へ変えるだけ。





きっとこれから少女は私を憎み続ける。




しかしその憎悪がきっと生きる力となるだろう。




親の敵であり、自身の名を奪い家畜の人生を強いた私を…殺すまで死ねないと。




どんな逆境に立たされようと、きっとその憎悪が糧となってくれるだろう。





そしていつか、私の目の前に現れる。




今までの原動力となった、果てしない程の憎しみを晴らすために…。








そして私は、再び出会ったその時に、貴女に問おう。





あの時生を望んだ事が、果たして正しかった事なのか…と。









作戦が終了し、私達のアジトと呼べる場所に帰還していく中…一人の魔女が私に話しかけてきた。





「ねぇ…貴女、さっき人間の子供を助けていたでしょ?」





癖のある紅蓮の髪を腰ほどまで伸ばした、私と同じくらいの年齢である魔女。




名前は確か…セミナ。セミナ・アルセンス。





その魔女…セミナ・アルセンスの質問に、私は一瞬戸惑いを見せたが冷静を装い答えた。





「…だから、何?」





「人間を助けるなんて…反逆行為じゃないかな?」




薄ら笑いを浮かべながらそう言う彼女に、私は不気味さを感じていた。






「無力な子供まで殺す必要はないと考えたまでよ。一方的な虐殺は趣味じゃないわ」







「へぇ…意外と甘いんだねルシフェル・リステアって魔女は。それともただ心が弱いだけなのかな…?」





「…何が、言いたいの?」






「まだまだ甘いって意味だよ、リステア。貴女は情を捨てきれてないんだ」






「…違うわ、私は…」





「いいや違わない。…そんなつまらない情は捨てちまえよ」




今までのお気楽な表情から一変し、突然鋭く冷徹な眼差しを私に向けそう吐き捨てた。





「やるなら余力を残さず徹底的に殺せ、容赦なく、完膚なきまでに叩き潰せ。中途半端な情はいつか自分を殺す事になるぜ…?」




そのあまりにも冷たすぎる言葉は…確かに正論である気がして、私は何も言い返すことが出来なかった。





セミナ・アルセンスの言う通りだ。





憎き人間共の抹殺を望んでいながら、人間の子供を助ける。何ともおかしい話だ。






確かに…私は甘いのかもしれない。




あの少女を助けたのは、昔の自分を重ねたからだ。




最後の最後で、非情になりきれずあの少女に、同情をしたのだ。








彼女の言う通り私は…確かに甘かった。








「…ごめん、少し言い過ぎたな。別に脅してるわけじゃないんだ。共に戦う仲間だから、変な情に邪魔されて死んでほしくないだけなんだよ」







「…いえ、こちらこそ心配してくれてありがとう。確かに、私は甘かったのかもしれないわ…アルセンス」





「セミナ…でいいよ。私もルシフェルって呼ばせてもらうからさ。これからもよろしくね」




ぎこちなく、互いに微笑み合いながら、私達は握手を交わした。










しかし…子供まで徹底的に殺す事が果たして正しいのか。




この情は無差別に人を殺し悦楽に浸る狂人と成り果てないための…最後の抑止力ではないのか。




そして、あの時のセミナの鋭く冷酷な眼差し。





それらがずっと疑念として、恐怖として…私の心の深くに渦巻いたままだった。























血の中傷結成から、半年が経った。






徐々に蓄えた勢力も、今やかなりの規模にまでに成長した。







私達魔女の中継場所とも呼べる拠点も、今では3桁にも及ぶ。





しかし、それでもまだ世界を…国を転覆させられる程ではなかった。




まだ、力が足りない。






そしてこれから戦いの激しさが増すと懸念した黒雪様は、ダステアータキル隊という…いわゆる親衛隊のようなものをメンバーの中から新たに編成した。





黒雪様と共に最前線で戦う為、我等が血の中傷のエースとなりうる人材のみを引き抜いて選ばれた、優秀な部隊。






黒雪様によって選ばれたのは4人。





乱雑に伸ばした黒髪、左腕の禍々しい悪魔の如く異形な義手が特徴的な少女。



フレイラ・セントノイズ



通称、殲死の偽鎧手。







白銀の髪を腰ほどまで伸ばした、少々お気楽なポニーテールの盲目剣士。





レヴァイア・リアリエヴェル





通称、閻血の隻眼剣士。






そして、セミナ・アルセンス。




通称、狂奏の七刺槍。









最後に、私…蒼白の髪を肩ほどまで伸ばした少女。ルシフェル・リステア。





通称、蒼夜の黒焔刃。









これが、ダステアータキル隊の編成。





黒雪様の傍で共に作戦をこなしていく、新たなる精鋭部隊。






そして、私は黒雪様から直々に副隊長として任命された。





私は異議を申し立てたが、結局上手く言いくるめられてしまった。






他のメンバー達も、異存はないようだった。









一抹の不安を抱えつつも、私は副隊長の地位についたのだった。











それから一ヶ月が経った頃、いつものように作戦をこなしていた私達ダステアータキル隊。





そして今本部の拠点から離れている為、私達は中継地である新しい別のアジトである村に一時帰還していた。







「はぁー…でかい風呂に入りてぇー!」






隠れ家に着いた途端床に寝転がりそうぼやくセミナ。






一ヶ月共にして分かったのは、人一倍がさつで結構短気だったって事だ。






「今はドラム缶の風呂で我慢しなさい。黒雪様だって…私達と一緒なんだから」




年端のいかない子供をなだめるように、私はセミナに言った。





「女に風呂…凄く…大事…」




そう部屋の隅で静かに呟くのは、一番の人見知りであるフレイラ。





これでもまだ心を開いている方で、ほんの一週間前までは会話すらままならなかったのだ。





「いや、だからフレイラ…私がさっき言った事聞いてたかしら?」






「ほら皆委員長苛めたら駄目だって言ったろー?」





私を委員長呼ばわりし、呑気にそんな事を言うのはレヴァイア。





「だから…私は委員長じゃないわ。そして良いから皆ドラム缶で我慢しなさい、嫌なら入らなくて構わない。分かったわね?」







周りのメンバーよりは多少話の分かる人ではあるんだが、レヴァイアは結構適当でお気楽すぎる面があり…私は苦手だった。








皆の姿を見回して、私は思わず溜め息をついた。




そして何となく…黒雪様が私を副隊長に任命したのかが、理解出来つつあった。





確かに力はあり強く、優秀ではあるんだが…それぞれが個性的過ぎてまとまりがなかったのだ。




きっと黒雪様はそれを、私に纏めさせようとしているんだと思う。






そんな事を考えていたら私は為すべき事を果たす前に、ストレスで死ぬんじゃないかとすら思えてきたのだった。








「…黒雪様、少し良いですか」







隠れ家から少し離れた小高い丘。






優しげな風が頬をくすぐり、下弦の月だけがそっと私達二人を照らしている。






「ああ、構わないが…どうしたルシフェル」






「い、いえ…これと言った用事があったわけではないのです。少し…世間話でもと」





「あぁ…別に構わないが。さて、何を話そう?」






「で、では…趣味とか…聞いても良いですか?」






返答に困り慌てて出した苦肉の話題ではあったが、黒雪様は丁寧に答えてくれた。






「趣味か…結構裁縫とかはやったりするが、あれは趣味に入るだろうか?料理とかはてんで駄目だったんだが、裁縫だけは得意でね…」





「そ、そうだったんですか…意外と可愛らしい趣味を持っているんですね」





「…ふ。仮面と黒装束の者に可愛らしいと言う奴が居るなんてな…全く世界は広い」





「ふふ…そうですね。世界は広いです。どこまでも果てしなく…それでいて儚いです」





「ふふ、お次は哲学でも語るつもりかな?」





「い、いえ…私はそう言うのは苦手ですので…」





「うむ…それは残念だな。君と是非世界平和について語り合ってみたかったんだがな」




どこかそっぽを見ながらそんな事を呟く黒雪様。



「か、からかわないでください黒雪様…」





「からかってなどいないさ、多分メンバーの中で君が一番優しい心を持ち合わせていると私は思ってる」





「そんな事は…ありません…」




あまり聞き慣れる事のない優しいという言葉に、私はあまり良い気持ちにはなれなかった。






「敵である子供を助ける、怯える妊婦を見逃したりと…他のメンバー達は絶対にそんな事はしないだろう」






ああ…流石黒雪様、全てお見通しだったって事なのね。






「も、申し訳…」




反射的に謝ろうとした私だったが、黒雪様がそれを静止した。





「いや、私は別に咎めているわけではない。むしろ誉めているんだ」






黒雪様の口から出た言葉は、あまりにも意外な言葉だった。






「力の無い者、抵抗の意思がない者、それらを一方的に殺す事が私は正しいとは思えない。しかし、世間ではそれを甘いと言う、だからメンバー達にそんな命令は下せない。そんな生ぬるい命令を出せば士気が下がり統率を失いかねないからな」





そう語る黒雪様を見ていて、ふと昔にセミナに言われた台詞を思い出した。







「やるなら余力を残さず徹底的に殺せ、容赦なく、完膚なきまでに叩き潰せ。中途半端な情はいつか自分を殺す事になるぜ…?」






そのセミナの台詞は、今でもはっきりと脳裏に焼き付いていた。








「だからこそ…私は嬉しかったんだよ。自発的にそう行動を起こしていた君を見つけた時はね」






「い、いえ私はただ…甘いだけなんですよ。優しさとか、そんな大層なものではないんです…」





「ふ…なら私もただ甘いだけなのかもしれないな。理想を掲げ、現実に抗おうとしてる中でも過去を捨てきれずに未だ囚われている私は…」





「過去…ですか?黒雪様程の方が…過去に囚われるなど想像がつきません…」





「ふふ、君は私を聖人君子とでも思っているのかい?私にだって情はあるし、傷もあれば心の闇だってある。私だって一人の魔女に過ぎないのさ」





「それでも私は、聖人君子にはなれなくても世界を変えなくてはならない。たった一人の魔女であっても…私は皆を救って見せる、歪んだ今を変えて見せるさ…」






「黒雪様は…たった一人の魔女であっても、たった独りではありません。私達が付いています。一人一人の力は微量であっても、それら全てが合わさればきっと強大な力となりましょう」






「おいおいルシフェル、私達も忘れんなよ?」




突然背後から現れそう呟いたのはセミナだった。





その後ろにはレヴァイアとフレイラも居た。






「委員長ー!私だって黒雪様に救われたあの日から、全てを捧げるつもりなんだぞ」







「私も…一蓮托生……」







「み、皆……!」






「…私は仲間に恵まれたようだ。なら、私も約束しよう…必ず皆が笑いあえる未来を手に入れてみせると」







それぞれ手を合わせ、円となり互いに見つめ合いながら…私達は誓いあった。





蒼白に光る月明かりの下で、きっと叶うと信じて……。










あの忌々しい、魔女狩りから2年。




血の中傷結成から、一年が経とうとする頃。






こちらがやや優勢を保っていたのも束の間、突然46もの中継地点が国軍に襲撃され半数が全滅。




被害は甚大なものだった。





中継地点は元々本部の場所を撹乱するために存在していたので、本来の機能を果たしたとも言えるのだが…。





失った仲間も少なくなく…そんな呑気な事を言える状況ではなかった。







戦いは激化し、徐々に中継地点は壊滅させられ勢力が削られつつあった。






私達血の中傷の、分岐点が迫っていたのだ。







ここで戦争を起こすか、それともゆっくりと朽ちていくか。







「…決め手を打たれる前に、王城へ鉄槌を下す。暴君の王に鮮血を見せる日が来たのだ」






作戦内容は、多数の都市と同時に王城を奇襲。



戦力が分散され守りの薄い王城を叩き、王の首を獲る。





もし王の首を獲る事が出来なければ、私達の負け。




単純にて明解、それ故に過ちは許されない。







「個人の力では私達の方が勝る。ここが私達の未来の分岐点となるだろう、皆全力で作戦に望め」







士気を最大限まで高め、私達はおそらく最後であろう作戦に臨む。






陽動部隊が主要都市を襲撃、混乱に乗じて王城に侵入し王を殺害。





もちろんダステアータキル隊は黒雪様と共に王城へ向かう事になった。








「…何だルシフェル、お前怖いのか?」




作戦前夜、最後の会議を終えた私達は皆で集まって話していた。




「違うわセミナ…多分、緊張よ」





「へぇ委員長が緊張なんてするとは…驚いたな」





「見かけによらず…小心者…」






「本当…言いたい放題ね貴女達は」





溜め息をついて私は諦めたようにそう呟いた。





段々こんな空気になれてきてる自分が怖いわ…。






「まあ安心しろよ、私達なら楽勝だぜ」





「確かにそうだな、ちゃっちゃと済ませてまた皆でホットドッグとやらを食いに行こうじゃないか委員長!」





「私達は…強い…だから…大丈夫…」







気付けば、私は皆に勇気付けられていた。





私達は、いつの間にか固い絆で結ばれていたのだ。





揺るがない、大きな絆で。







「そうね……私達は負けない、絶対に。無事成功させて…今度は皆で、遊びにでも行きましょう…きっと、楽しいわ」









そして、作戦は開始された。







予定通り同時期に主要都市を襲撃、混乱に乗じて無事王城への侵入を果たした私達。






限りある魔力を節約しながら、私達は王を捜し続ける。






しかし無数もの兵士に襲われ続け、徐々に疲弊していく私達。





何度目かとなる多勢の襲撃を受け逃げ続けている時、セミナが一人その場に立ち止まった。






「このまま行っても奴等が邪魔になる。ここは任せな」






「ま、まてセミナ!一人では無茶だ!」






セミナの言葉に、黒雪様が動揺する。






あんなに動揺した姿を見たことがなかったからか、セミナですら驚くだった。






「黒雪様、そんなに驚く事ないでしょう?この世界に犠牲はつきものですよ」





「…それに、こうしてる今も仲間の命が散っていってる。そんな中私だけ我が身大事って訳にはいかないでしょう」





「し、しかし……」






「…貴女は最後まで優しいお方だ。でも、私は曲げません。最期くらい…仲間の為に、自分ではない何かの為に命を張ろうと思えたんです。今まで自分だけが大事だった私が…ですよ」





そう呟いた瞬間、セミナが私達との間に結界を張り巡らした。






「セミナッ!!」





「そんな泣きそうな顔すんなよルシフェル、私が死ぬわけないだろう?だけど…もしもの時は、後は任せたぜ。私達の未来…その全てを」







それだけ私に言うと、セミナは背中から魔力で繋がれた七本の刃を展開し元来た道の方へ走り出した。








「…行くぞ皆、セミナが時間を稼いでくれている間に少しでも前に進むんだ。そして、必ず助けに行くぞ」






私達は己の心に鞭打ち、ひたすら前へと進んだ。






そして、その通路の先にある上へと続く階段の前に立ち塞がったのは、一人の騎士だった。




第三騎士、サンフェルグ・リ・セレナーデ。



帝国にて選ばれし5人の精鋭騎士の一人である。




過去、レヴァイアの瞳から光を奪った、黄昏色の髪を腰まで伸ばした少女。







「ふふ、黒雪様…今度は私の番みたいだ。あいつは、私が殺す…」





「…分かった。しかし、必ず生きて追いかけてこい、レヴァイア…これは命令だ」






「死ぬ気なんて更々ないですよ。すぐに追い付きますから…」





そう言い、右の掌にある紋様から刀を取りだし…敵であるセレナーデに刃を向ける。





「委員長、負けるなよ…昔の自分に」





「…ええ、約束するわ」





熱くなる目頭を抑えながら、私は平静を装ってそう答えた。





階段に進む私達をみようともせず、セレナーデは静かに瞳を開けレヴァイアを見据え、腰に提げていた鞘から剣を抜いた。





「…ここで、全てを終わらせようレヴァイア。永き因縁に、終止符を」







階段を昇っていく中、刃の交わる鈍い音が響き渡っていた。










階段を昇りきった先に待っていたのは、左手に鎧のような鋼色の義手をつけた少女だった。






「……姉…上…」





どこか憎しみにも似た感情を秘めた眼差しで、フレイラが睨む。





「あら…姉に向かってそんな眼をするなんて…関心しないわねぇ」





どこか歪んだオーラを醸し出しているその少女は、フレイラの姉であるフローラ。






フローラ・セントノイズ。人間と魔女のハーフであり、フレイラとは父違いの姉妹である。








「黒雪様…私に…任せて…」






魔力を解放し、瞳を紅く染めフレイラが呟く。







「…私達は進む、必ず追い付いてこいフレイラ…」








フレイラは小さく頷いて、私の方を見てはそっと微笑んだのだった。







その時、私は初めてフレイラの笑顔を見たのだった…。








扉を開け、等間隔に並ぶ松明と紅いカーペットが果てしなく続く廊下を歩き続ける。






私と黒雪様の靴音と、燃え盛る松明の音だけが廊下に響く。






永遠とも感じられた歩いている時間、私達は何も喋る事はなかった。






ただ前に進み、私達の願いを掴む為に。









そして、大きな扉の前についた私達はゆっくりと扉を開けた。







闘技場のような大広間が視界に入る。




そして外を見渡す所、掲げられた忌々しい国旗。





そして目の前に立ち塞がる、見覚えのある一人の少女だった。





「黒雪様、きっとあちらの扉が最後になりましょう。ここは私に任せて下さい」





目の前に立ち塞がる少女を見つめながら、私はそう呟いた。





次は…私の番、か。






今まで心に渦巻いていた疑念が、確信に変わった瞬間だった。






この城に配置した人選、帝国の王はよほどの切れ者か…それとも徹底的に私達を殺すつもりなのか。











黒雪様は小さく頷いて、静かに歩み進める。






私は、もう一度少女を見つめる。






この国の王による仕組まれた運命か…それともこうなる宿命だったのか。






黒雪様が扉の先へ行ったのを確認して、私は口を開いた。





「…きっと、戦う事になると思っていたわ」







「そうね…私はずっとこの日を待っていた。どんなに辛いときも…ただこの日を迎えるために必死に生きたわ」






やっぱり、私の思っていた通り…だった。





憎しみは生きる糧になると。






「…全てを奪った貴女を、殺すために」





持っていた拳銃の銃口をこちらに向け、少女は憎しみに表情を歪ませる。






…そう、彼女はかつて私が救い…偽りの名を与えた少女。シーヴィア。





私が奪った本当の名は、イリアス・エングリア。





没落貴族の、箱入り娘だった少女。





整ったブロンズのツインテール。澄みきったオーシャンブルーの瞳、まだあどけなさの残る端正な顔立ち。





その少女が今、憎しみに身を任せ…表情を歪ませ、

復讐を果たそうとしている。







「…一つ、聞かせてもらえるかしら」






「…良いわ、答えてあげる」






「貴女はあの時、私に生を望んだけれど…憎しみに溺れ日々を生き続けて、本当にその選択は正しかった?」







「…分かるわけ、ないじゃない。人は誰だって…死ぬのが怖いのよ」





俯き、悲痛の声を漏らす彼女。








「…そう。後悔、してるのね…あの日の選択を」






憎しみに突き動かされ、ただ復讐だけを目的に生きていた彼女の人生は…囚われの地獄と変わらない。




きっと笑顔も…不器用にしか作れなくなって。






彼女を地獄に突き落としたのは、私。





全てを奪い絶望を与えたのは、私。





彼女の向ける銃口は、しっかりと私を捉えている。




逃げることは、多分不可能…。




いいや、逃げる必要なんてない。






何故なら、彼女…イリアスを地獄から救い出せるのも私だけなのたから。






私の……本来の目的を果たす時が来たのだ。









「…なら、私を殺せばいい。貴女には、私を殺す権利があるのだから」





そういって私はウェンヘイズを胸元にしまった。




そして、彼女を真っ直ぐに見据える。






「ど、どうして抵抗しないのよっ!!私を…そうやって最期まで愚弄して…屈辱を味わせるつもり…?!」






「罪には罰を。行動には結果を。軌跡には対価を。…唯一私が信じた人間が、教えてくれた言葉よ」









「そ、その……言葉って………!」







「…少し、昔話を…しましょうか」






一つの、魔女の家族のお話。




日々を平和に生きて、贅沢はなくても毎日が幸せだった。






魔女と人間の棲む、小さな村ディルグルトにて密やかに私達家族は暮らしていた。






しかし、王の魔女に対する差別、偏見の言葉により情勢が変わり始め、次第に魔女に対する人間の態度が歪み始める。






人間達の、まるで腫れ物を見るかのような眼差し。






徐々に魔女を差別する人間が増え始め、私達同族は村に移住し続ける事が困難になりつつあった。






そんな中、唯一魔女を擁護してくれる人間が現れた。





グリディン・エングリア。当時、その村の中では有名な貴族の人間だった。





私達を何故擁護してくれたかは分からなかった。



何か裏があるんじゃないかと皆は勘ぐっていたが、その者はただ真摯に間違っていると思っているから正そうとしてると私達に言った。








その言葉を聞いて、人間全てが悪いのではないんだと…私達は思い始めていた。






グリディンさんのお陰で次第に悪い噂等は消え、少しずつ平穏が戻りつつあった。





元々何も問題を起こしていないというのもあり、そう時間はかからなかった。





このまま上手く、全てが丸く収まると誰もがそう思っていた。






しかし、そんな平和はすぐに儚く消えてしまうのだった。





魔女だけを狙った、殺人鬼が出没しているという噂。




当時まだ10歳の私には、その時ただそれぐらいしか分からなかった。






そんな噂を耳にしたグリディンさんは、すぐに対策として皆になるべく独りで行動しないよう呼び掛けた。





しかし、被害はどんどん拡大していく。



周りの人間達は掌を返したように一切無視し、殺人鬼を逮捕しようともしなかった。





人間は薄情。そして、残酷だ。







古くからの決まりにより人間に対し力を行使出来ない私達。




村を離れる同族も増えていった。






そんな中、私達の家族だけは村に残っていた。




唯一の人間の理解者であるグリディンさんが居たからだ。




両親共にグリディンさんとは仲が良く、たまに私も当時5歳くらいの娘さんと遊んだ事もあった。






しかし、それをあまり快く思わない人間も…確かに居た。






…そして、最悪の事件が起きる。






殺人鬼により、私の家族は目の前で残酷に殺害された。



いとも簡単に、あっさりと。




そして、私もまた…殺されるはずだった。





しかし幸か不幸か、黒雪様に助けられ一命をとりとめた私は…人間に対し復讐を決意し、黒雪様と共に歩もうと決意した。



しかし、そんな時…この場にいるはずのないグリディンさんが…確かに視界に入ったのだ。




すぐに行方が分からなくなったものの、確かに私は…グリディンさんを見た事だけははっきりと覚えていた。






そして私は…すぐに今までの事を裏で意図を引いていた人物がグリディンさんであったのだと感じた。






そう、私達は裏切られていたのだ。







私達魔女の味方になる人間なんて…本当は居なかったんだ…。








深い絶望の中、朽ちた我が家の前で必ずグリディンさんを…村の皆を殺すと誓った。







それから7年という永い時を経て、私は再びディルグルトの土を踏むこととなる。





ボロボロになった身体、壊れきった精神を癒すため。



黒雪様から与えられた力を完全に使いこなせるようにするため。



そして沢山の同志である同族を集めるため。




7年もの永い歳月、何度も折れそうになった心を憎しみで奮い立たせ、ひたすらに堪え生き延びてきた。






…そして、時は来た。




反魔女派に対する弾圧を続けていた私達の次の目標が、ディルグルトとなった。






「やっと…この時が来た…やっと…!」





作戦当日、美しい満月の輝く夜…私は独り歓喜に打ち震えた。





瞬間、誰かの能力によって村は火の海に変わった。





作戦開始の合図である村に放たれた火を見つめ、私は直ぐ様エングリア家の屋敷に向かった。










以前と変わらない、村の中でも数少ない純白の大きな屋敷。






この屋敷一帯はまだ火の海と化していなかった。





「…ふふ、昔と変わらない屋敷のおかげで探す手間も省けたわ…」






無断で屋敷に侵入し、2階にある書斎に辿り着いた私は…ゆっくりとその扉を開けた。




扉の先に居たのは、見るからに衰え弱りきったご老体と化した…グリディンさんの姿だった。





「…どなた、かな…?」



こちらに顔を向け、優しそうな声でそう彼は言った。




「…私が、分からないの…?」




一瞬怒りに飲まれそうになったが、すぐにグリディンさんが盲目となっていることに気付いた。




何があったかは分からないが、視力を失ってるのだ。










「…私は、魔女。貴方を殺しに来たわ」




敢えて名乗らずに、私はそれだけ呟いた。





「…そう、か…」




私の言葉を聞いても、彼は動揺することなく平静でいた。




「貴方はこれから殺されるのよ?怖くはないの?抵抗しないの…?」





予想外の彼の態度に、私が動揺を隠しきれなかった。





普通なら自分が殺されるとなれば抵抗の一つくらいするはずなのだが、彼は一切そんな素振りを見せなかった。




むしろ、どこか安心したようにも感じられた。





「…やっと、罪を償う事ができるのか……」




「何を…言っているの?」





「…昔、私は君達と同じ魔女の…家族を殺してしまったのだよ…」





「…罪を償う覚悟があるのはいい事ね」




やっぱり…こいつが全ての元凶だったのか。




こいつが…私の家族を…!!






「最期に、言い残した言葉はない?」




抑えきれぬ憎しみに飲まれながらも、私は遺言を尋ねた。





「…きっと、どこかに生きていると思う魔女の子に渡して欲しい。あの時死体は発見されてなかったから…もしかしたら生きていてくれていると思うから…」





「その子の…名前は?」




私は、分かっていながらそう問い掛ける。





「…アイリス・ヴェンシア。蒼白な髪の似合う、優しい女の子だよ」







「…そう。じゃあ、さようなら……グリディンさん」





そう一言告げ、私はウェンヘイズを彼に向ける。





今の私の言葉に勘づいたのか、今まで動揺を見せなかった彼が初めて動揺した。





「…君は…まさか……」




言葉を最期まで連ねる前に、ウェンヘイズの黒刃が彼の身体を貫く。





「あぁ……良かった……本当に…生きていて…くれて……」





「君に殺されるのなら…罪を…償えるのなら…もう未練は…ない……」





「…そう」




私は、ただ無表情で貫いたウェンヘイズを抜き、朽ち逝く彼を見つめた。




しかし、私は…彼の最期の言葉によって平静は壊された。





「…本当に…すまなかった……君達家族を……見殺しに……してしまって……」




すまなかった。その言葉を最期に、グリディンさんは息を引き取った。





「い、今…何て……?」





見殺しに…って言ったのか?




どういう事だ、貴方が殺したんだろう…!?




なのに何故見殺しにしたなんて言うんだ…!






「ねぇ……答えてよ……ねぇッ!グリディンさん……!」





その時、私は先程グリディンさんから託された手紙を思い出した。




そうだ、あの手紙…あれに何か手掛かりが…。





私は直ぐ様手紙を手に取り封を開け、中身を確認する。






手紙の中には、一枚の紙だけが入っていた。





私は震えた手つきでその紙を広げ、書かれた内容を確認した。










私は、アイリス・ヴェンシアという一人の女の子が生きていると信じて、この手紙を遺しておこうと思う。





まず最初に、本当にすまなかった。



私の力は非常に無力だった。





もっと私に権力があれば、きっとあの惨劇を回避する事が出来たかもしれない。






それに…結果的に私は、君達家族を見殺しにしてしまったんだ。





前日に、何やら不穏な噂を耳にした。



それは君達家族が村長からあまり快く思われてないと。



殺人鬼を、村長が雇ったんじゃないか。等という噂だった。



私は、耳を疑った。しかし、そんな事をするような彼ではなかった。




だから私は、そのまま聞き流してしまったんだ。





私は、あの惨劇の痕を見つめながらその事を酷く後悔した。




あの時私が、噂を気にかけていたら…私が君達に一言、教えてさえいたら…。





そんな後悔の感情に潰され、日々悪夢にうなされ、次第に精神が病んでいく中、私は一つの希望を見つけたんだ。




そう、アイリス…君の死体だけは無かった。それに殺人鬼も死んでいた。だから私はその事に希望を持った。


必ず、君は生きていてくれていると。




だから私は、必ず裏で意図を引いていた人物を見つけ出し…仇をとって見せると心に決めたのだ。





そして、あの時見殺しにしてしまった罪を…ここで償おうと…。





6年かけて、私が手にいれる事が出来た情報は、本当の黒幕は村長ではなく…実はその村長に命令をしたやつがいたと言うこと。




それは…国そのものだったんだ。



国王自らが命令し、魔女惨殺を目論んでいたのだ。




全てを私が知ったのがバレたかは分からないが、明日…国王の居る首都サンクトペテルブルクまで出頭命令が出ている。




きっと処刑でもされるのか、拷問でも受けるのか。




事実を隠蔽しようとしているのは確実だ。きっと私は五体満足では帰れぬだろう。




だから、先に手紙を遺しておこうと思う。きっと君が、ここに来てくれる事を信じて。





私は、君達家族を本当に大事にしていたつもりだ。それだけは、信じて欲しい。




だからこそ、私は国王の元に出頭し、真実を訴えるつもりだ。




今度こそ、見殺しにしないために。






罪には罰を。行動には結果を。軌跡には対価を。







ただ唯一妻と娘だけが心配だ。私のせいで何かされないだろうか。それだけが気がかりだ。







最後に、一言だけ書いておこうと思う。









私達家族を信頼してくれて、ありがとう。











手紙を最後まで読み終えた私は、ただひたすらに涙を流し泣きわめき、狼狽した。





目が見えなくなったのは拷問を受けたから。椅子から動かなかったのは拷問で足を切られていたから…。




きっとつい最近にここに戻され、椅子に座らされ…自然に死ぬのを待つだけだったのだろう。




だから身体が衰退しきっていた…。






「そんな……そんな事って…!!」






じゃあ……私は…ただの逆恨みで……グリディンさんを……殺したの……?!






本当は裏切ってなんてなかった…見殺しになんて、貴方はしていない…!




その証拠に貴方は私達家族の事をこんなにも心配して、気にかけてくれているじゃないか…。





私に殺されて、何でそんな安心しきったような笑みを浮かべて死ねるのよ…!!!





気づけば、部屋の隅には潜むように倒れ亡骸と化していたグリディンさんの妻の姿があった。





私は…その亡骸の前に立ち、溢れる涙を拭きながらひたすらに謝罪を繰り返した。





あなたを殺したのは私だ。





あなたの大事な夫を殺したのは私だ。






あなたの家庭を壊したのは私だ。







許して欲しいなんておこがましい事は言えない。




だから、私もここで命を絶とう。




もう生きる理由なんて何一つありはしない。





私はゆっくりとウェンヘイズを拾いあげる。





死を決めた瞬間、背後に人の気配を感じた。





「誰ッ…?!」





そこには絶望に染まりへたりこんだ、グリディンさんの娘…イリアスの姿だった。





何故かは知らないが怪我もなくイリアスだけは無事のようだった。





そこで、私は一つの答えに辿り着いた。






せめてイリアスを…助けよう、これで少しでも罪滅ぼしができるなら…。






憎しみは人の心を強くする、生きる糧となりうる。






きっと彼女は私が両親を殺したと思っているだろう。今、生に絶望されてはいけない。貴女は…いや、貴女だけでも生きるんだ…。





そして、私は国からも逃れる為に…イリアスから名を奪った。







私は全てを奪ったこの国を壊すため…そして、イリアスに殺される為に今までを生きてきた。









「これが…私の罪。そして、貴女が生き延びた理由よ」






「…そんな……そんな事って…」






「私は、絶対にこの国を許さない。だけど、私は貴女に殺される事を拒む事は出来ない。拒む権利は私にはないから」






「わ、私は……私は…ッ!!!」






イリアスは葛藤し、やがて持っていた拳銃を下ろした。








「勘違いしないで、私は…貴女を許したわけじゃない。本当の黒幕である国王を、先に倒すべきだと考えただけよ…」





「い、イリアス……」






「…それは、誠に残念だ」




突然背後から響く声。黒雪様が行った所であるイリアスの背後の扉が開き、何者かがそう呟いた。





「所詮は…異端者の娘…か」





そう言いながら、持っている銃を…私ではなくイリアスに向ける。





「やめろッ!!!」





私は直ぐ様イリアスの傍に行き突き飛ばした。





銃口は私に向き、凶弾が左肩を貫いた。





言葉にならない激痛が私を襲い、そのまま力なく倒れ込んだ。






「ッ…!!」




左肩を押さえ、痛みに苦しみながら…引き金を引いた彼を睨む。




こいつが……悪逆国王レグラス…!!!




「へぇこれは面白い!魔女が人間を助けるなんてね」





「…こ、国王……さま……?」





「君がエングリア家の一人娘だった事くらい皆知ってるさ。ただ殺すだけじゃつまらないから利用してたにすぎないんだよ…悲劇のヒロインさん♪」




国王レグラスの言葉に動揺し、絶望し、そしてイリアスは戦意喪失した。








「お前だけは……お前だけは……!!」




私は憎しみを奮い立たせ、左肩の痛みに堪えながらそう叫び、立ち上がろうとする。





「…跪け、異端なる魔女」




ためらいなく引き金を引き、私の両足に凶弾を撃ち込む。






私は身体から力が抜けたように倒れ込み、激痛に苦しみ悶える。





「いいねぇやっぱり絶望の叫びってやつはさぁ!!」





見下し、下劣な眼差しを私に向けながらそう語る。





「君達の隊長さんは何にも叫びを聞かせてくれなかったからさぁ!つまらなかったんだよねぇ」





「貴様…黒雪様に…何をッ…!」






「異端なる魔女には…裁きの鉄槌を、ね」





そう言い指を差した方向には…。




先程の部屋でぐったりと横たわる黒雪様の姿があった。




満身創痍の状態ではあったが、まだ息はあるようだった。






「そうだな、じゃあ…国家に反逆した大罪人、黒雪の処刑でも始めるか」




笑顔でそう言うと、先程の部屋に戻って黒雪様の身体を引きずり…私達の所まで持ってくるレグラス。







「それにしてもすごいね…魔女ってやつは皆こんなにタフなのかい?いつも他人任せだから知らなかったよ」






「ふ、ふふ…私達を…甘く見ないことね…」




黒雪様が、苦痛に堪えながらもそう強がってみせた。




精神的に限界なのか、黒雪様のいつもの口調は消えていた。





「さて、ちょうど良い。皆揃った所でこの黒雪の正体を明かそうか。誰しも気になっている所じゃないのかな?」





気づけば背後にはセレナーデとフローラ、そしてボロボロになり捕らえられたセミナ、レヴァイア、フレイラが居た。





「み、皆…!!」





私は声にもならない声でそう叫ぶ。




皆はこちらに悔しげな瞳を向け、静かに俯いた。







「…さあ、見せてもらおうか…黒雪、その仮面に隠された素顔を…」







「さあ…それはどうかな……」






その瞬間、床に巨大な魔術の紋章が妖艶に輝き浮かび上がる。




深い紫の光に辺り全体が包まれる。





「こしゃくな…その様な手など…!!」





「もう遅い、術式が展開された以上止めることは出来ない」





次第に、私やセミナ、レヴァイア、フレイラ、そして黒雪様の身体が光に包まれ始める。






「黒雪様…こ、この式は…一体…?!」





「皆…すまない。私の力が足りなかったばかりに君達を危険な目に晒してしまった。もし、もう一度やり直せるなら…もし、今を変えることが出来るなら…私は…」







「…虚構と現実の狭間に生まれし歪みよ、我らの希望を携え今終焉を覆えん」






「これは……!」






「…皆…これから先何が起きるかは分からない、一時のその場しのぎだけど…信じて。きっとまた巡り会える、私達は…仲間なんだから…」













瞬間、一つの銃声と…仮面の割れた音と共に私の意識は暗黒へと堕ちていった。






どこからかくる肌寒さに、意識が覚醒する。





ぼんやりとした意識の中、辺りを見回してみる。





見慣れぬ小高い丘、辺りは不格好な石が並ぶ異質な場所だった。




自分の身体に怪我もなく、どこも異常は見られなかった。






「廻魔…遺跡…?」





見たことのない文字が書かれた看板を見つめ、私は無意識に呟いた。





何故だろう…この文字は読める気がする…。






「とりあえず…どこか人気のある場所に…」





酷く痛む頭を押さえながら、私はその遺跡を後にした。







ずっと歩き続けても一向に見覚えのある場所に辿り着かない。




むしろどんどん分からない所へ来てしまっている気がして、今が夜と言うこともあり少し恐怖を感じつつあった。





そんな中、私は一つの明るい建物を発見した。





「24時間…?ファミリーマート?…これは…お店なのかしら?」





確かに歩き疲れて喉乾いたし、空腹もある。




しかし、こんな店は見たことない…。





恐る恐る私は、その店に向かった。






扉の目の前に立つと、突然勝手に扉が開き始め思わず距離を取る私。




「いらっしゃいませー」




会計の場所らしい所に立つ店員らしき人が、気のない声でそう言った。





私は、入らなければいけないような圧力とも呼べる空気に堪えきれず…店の中へと入っていった。






「わ、私…お金あったっけ…?」




立ち並ぶ数多の商品を見つめながら、私はそこに疑問を感じた。





一人デザートが置かれている場所で立ち尽くしていると、何やら隣に見知らぬ少女が二人で話していた。






「いやぁーやっぱり夜にプリンはダメかなぁ?」





「ふふ…美紀、太るわよ」




そんな事を言いながらも、目の前のデザートを一つ手に取っていた。




「うげっ…確かに…ってそんな事言いながら姫華モンブランをカゴに入れてるし!」





「良いのよ、私は太らない体質だから…♪」





「うわっ!そうやって自分は太らないとか言っちゃって!知ってるんだぞこの前美由ちゃん家のお風呂に行った時鏡の前でお腹を気にし…ごふっ!」





「分かった、分かったから美紀…公衆の面前でプライバシー駄々漏れな発言は控えなさい…というか見てたのね貴女…!」





どこか楽しそうに会話をしてる二人を見つめていた私は、つい笑ってしまったのだった。





「美紀…貴女のせいで笑われたじゃない…!!」




「ご、ごめんなさいッ!!ってあれ?何かあの子の格好おかしくない?」




「確かに…黒いマントにどこかのアニメみたいな服…もしかしてコスプレかしら?」




「魔女っ子の感じかな?」





「今、魔女って言ったかしら…!?」





目の前の女の子が呟いた言葉を私は見逃さなかった。




魔女って存在を知っている、ならばやっぱりここは…。





「良かったわ…やっと安心したわ。変な世界に迷い混んだのかなんてふざけた考えがあったけど、やっぱりここは「名も無き世界」なのね」





「…え?名も無き世界?」





「…何かのアニメかしら?」





私の言葉を聞いた二人が、どこか不思議そうな顔をしながら呟いた。





「何言ってるのよ、ここは名も無き世界でしょ?」





「い、いや…日本…デスヨ…?」




どこか遠慮がちに、お気楽な女の子がそう私に言った。





「………は?ニホン?」




「いや、だって貴女さっき私を魔女って言ったじゃない」





「そ…それは魔女みたいな格好してるから言っただけで…本当に魔女なんて存在はしないしさ…うーん説明がしづらいよ姫華ー!!」





頭をわしゃわしゃとかき乱しながら、どこか苦しそうに彼女は助けを求めた。





「ふふ…美紀、それじゃ美由と変わらないわよ?とりあえず説明するべき事は、魔女という存在は知っているけどあくまで空想上のものであり実際には存在しない。そしてここは日本という国で、名も無き世界なんて名前ではないし、そんな所も聞いたことはないという事ね」




深く鮮やかな蒼の髪を肩ほどまで伸ばした、私とあまり変わらない身長の低い女の子に淡々と説明を受けた私だが…思わず言葉を失った。





「…ありゃ、姫華…この子かなりショックを受けてるみたいですな…」




お気楽な調子の、薄桃色の髪を腰まで伸ばし、両端を兎の耳の様な白い髪止めで結んだ少女。




身長は私以上あり、体型も私と違い発育の良い体つきをしていた。





…なんて、混乱しすぎて目の前の女の子達をまじまじと観察してしまったわ。





「…じゃ、じゃあ私は今異世界に来てしまったというの…?」





「にわかには信じがたいけれど…貴女の言葉が真実ならそうなるわね」





「そ、そんな…馬鹿な話が…」




腰の力が抜け、思わず座り込んでしまう。





じゃあ黒雪様は…セミナ達はどうなったの…?




私だけこんな世界に…?




いや、違う…これはきっと最後に黒雪様が使った魔術では…?




もしそうだとしたら、この世界に皆も迷いこんでいるはず…!




だとしたらこんな所で座り込んでいる場合じゃない…!!




「ありがとう人間。私はまだやることがあった」




すっと立ち上がり、私は二人を見つめながらそう呟いた。




「…行く宛はあるのかしら?」




「大丈夫よ、ひたすらに捜し回っ…」




全部言い終わるより早く、私の腹の虫が高々と鳴った。




「…………………」





「…とりあえず、私の家に来ると良いわ」




「腹が減ってはなんとやらって言うしね!」




…恥ずかしすぎて、早速心が折れそうだった。






「…まあ、有り合わせだけど良かったら食べて」





あれから、片方のお気楽な女の子とは別れ、もう一人の物静かそうな子の家へお邪魔していた。





「…いや、凄く助かるわ…ありがとう」




彼女の部屋へと招かれ、手頃な大きさの四角いテーブルの上に広げられた手料理。





鳥の揚げ物や野菜の煮物など、彩りよく並べられていた。





「まだこんなに温かいって事は…もしかして今作ってきてくれたのかしら…?」




少し申し訳なさそうに私は問い掛ける。





「ふふ…違うわ、この世界には電子レンジという便利なものがあるのよ。こうやって料理を手軽に温められるの」




どこか微笑みを浮かべながら彼女がそう教えてくれる。




「す、凄い便利な世の中になったのね…」




私は料理を味わいながら染々と呟いた。





「…そう言えば自己紹介がまだだったわね。私は許斐 姫華。呼ぶ時は姫華きはなで構わないわ」




「私は…ルシフェル・リステア。まあ…好きに呼んでくれて構わないわ」




本当は人間に自己紹介をするなんてしたくなかったが、今この助けられている現状で…そんな無礼を働こうなどとは思えなかった。




それにこの姫華って人は初めて会った私にこんなに優しくしてくれる。それに違う世界の人間だ。




まるで…グリディンさんの様に…私達魔女を嫌っていないようだし。




「…姫華、今更だけど…何故私を助けてくれた?こんな…人間の敵である魔女の私を」




「ふふ…貴女は何か勘違いしているわ。貴女達の世界では人間の敵であるのかもしれないけど、少なくとも日本ではそんな事はないわよ」




「そ、そうなの…?」




「ここは色んな人種が存在する世界だけど、皆均衡を保ちルールを決め、平和に共存しているわ」




「共存……か」




それは…かつてグリディンさんが望んでいた事だ。




魔女と人間の、争わず共存できる世界。




もし、そんな事が私達の世界であったなら……グリディンさんは…お父さん達は…死なずに済んだのかな……?




「ごめんなさい、何か不快な事を言ってしまったかしら…?」




無意識に流れた私の涙を見つめ、姫華は申し訳なさそうに呟いた。




「い、いえ…ちょっと、昔を思い出しただけよ」




「そう…辛かったのね。今まで、ずっと…」





「そんな…そんな…事は………」





どうしてか、姫華の言葉で何かが切れたのか…私は溢れる涙を止める事はできなかった。






「…ここは貴女の世界じゃない。私は何も問わない、だから今は泣いていいのよ…」





姫華の胸に抱かれ、私はただひたすらに泣きわめいた。





今までの過去を、あの日の罪を、歩んできた道を、悔いるように……。









それから、私はお風呂を借り汗を流し、姫華から借りた服を着てベッドの上で座り込んでいた。





「お風呂と着替え…本当に助かったわ。ただ流石に少し小さいわね」




「見栄を張るんじゃないわルリ。貴女私と身長も体型も大して変わらないじゃない」





「る、ルリ…?ルリって誰よ」



聞き慣れぬ単語に、私は思わずそう問い掛けた。




「貴女のあだ名よ。毎回ルシフェルなんて呼ぶのめんどくさいからルシフェルのルと、リステアのリでルリってなったのよ」




どこかSちっくな笑みを浮かべ、姫華がそう私に言った。




「は、はぁ…」



ふいに出た私の少し不満げな態度を、姫華は見逃さなかった。




「嫌ならルシ☆ルシって呼ぶわよ」





「どうぞルリと呼んでくださいッ!」





究極の二択の中、私は喜んでルリと呼ばれることを選ぶ事にした。




「ふふ…素直は良いことよ、ルリ♪」





「…ちょっとトイレに行ってくるわ…」




姫華のSっぷりに堪えきれそうにない私は、とりあえずトイレに逃げることを選んだ。





姫華の家は二階建ての一軒家なのだが、トイレが一回にしか無いため私は仕方なく階段を降りることにした。




ちょうど居間を通りすぎようとした時、姫華の母親であろう人と目があった。




「すいませんお邪魔しています…」




凄く今更だが、とりあえずやっておくべきだと思い私は頭を下げた。




「いえいえそんな気を使わずに。久しぶりに姫華が友達を連れてきてくれたんですもの、どうぞゆっくりしていってくださいな」




どこか穏やかなオーラを醸し出している姫華の母親。




ふと、先程言った台詞を思い返す。




久しぶりに友達を連れてきた…?




一瞬友達が居ない子だったのかとも思ったが、店で一緒に居た子を思い出し、それが杞憂であると確信した。





しかしならば何故…。





…いや、他人の家庭の詮索はよそう。




私は助けられている身だ、余計な詮索は無礼だろう…。




「ありがとうございます、それでは失礼します」




私は何となく堅苦しく挨拶をしてしまい、少し気まずい空気の中早歩きで姫華の部屋に向かった。




「戻ってくるの遅かったわね。もしかして便…」




「違うわ、姫華の母親に挨拶していただけよ!」




「…そう」




母親の言葉を口にした瞬間、どこか冷めた様子でそっけなくなった姫華。




やっぱり、何か深い事情があるのは確かみたいね…。





「…少し今のは失礼だったわね。謝るわ」




「い、いや…こちらこそ複雑な家庭事情に首を突っ込んでしまってすまないわね…」




「…あら、別に複雑ではないわよ。ただ私はあの人と血が繋がってないだけだから」




平気な顔でそんな事をさらっと言う姫華。




「そ、そう…だったのね」




って全然「だけだから」で済む話じゃないじゃない!!





かなりヘビーな話だと思うのはもしかして私だけなの…?





血の繋がっていない親と暮らすことがこの世界では普通なのかしら…。




ますますわからないわ…ニホンって世界が…。





「と、とりあえずもうそろそろ寝させてもらうわ…」




どこか誤魔化すように私はそう呟き、ベッドの上で寝転がった。




「ふふ…確かに、もう12時みたいだし…そろそろ寝る時間ね」




そう言いながら、同じベッドの上に寝転がる姫華。




「わ、私やっぱり床で寝ようかな…」



流石にシングルのベッドに二人は中々窮屈なものがあった。



「…ダメよ、貴女今日の私の抱き枕決定なのだから」




「え、ナンデスカソレ…」




そ、そんな話聞いてないんだけど…。




「嫌なら別に良いのよ?ただ寝るベッドがベンチに変わるだけだから…♪」




ドS全開の姫華を目の前に、私はその案を承諾するしかなかった。




「わ、分かったわよ…流石に私もこんな寒い季節に外で寝たくないわ…」




「ふふ、素直なのは良いことよ♪」




こうして、私はずっと姫華に密着されながら一夜を過ごす羽目になったのだった…。




密着されあまり寝付けない私は、窓から覗く満月を見つめながら…これからの事を考えていた…。








朝、窓から射し込む日差しに目を覚ます。




隣にいたはずの姫華はもう居なく、テーブルの上には置き手紙とパンが用意されていた。





「ん…?学園に行ってくるから大人しくしていなさい…だって?」



一息ついてから、私は叫んだ。




「私は飼い犬かっ!!」








朝食を済ませた私は、あまり目立たないように姫華から服を借り…紺のコートを羽織ってそのまま姫華家を後にした。





「にしても…姫華は良い趣味してるわ。性格はあれだけど服のセンスは確かね」





ただ…一つ気になるとすれば、他人の下着を付けるという事かしらね…。




「正直…あまり良いものではないわ」





行く宛もない私は、そんなどうでも良いような事を考えながら歩いていた。





「そうだ、今思えば帝国の奴等も来てる可能性があるのか…あまりこの顔でふらつくのは危険ね…」




私は、直ぐ様顔や髪を魔術で変化させ…見た目を姫華に変えた。




まあ姫華になった理由は、この世界にきてはっきりと覚えてる顔がこれだけだったからというだけ。





「これなら、狙われる心配もなく手掛かりを探せるわね」





「…何やってんのよあんた」




突然背後から話しかけられ驚いた私は、思わず勢いよく振り返る。





クリーム色の癖のある綺麗な髪を肩まで伸ばした、白いパーカーにスカートの少女がそこに居た。



「え…もしかして私に言ってる?」




ま、まさか姫華の知り合い…?




「あんた以外に誰が居るのよ。学園はどうしたの?サボり?」




「あ、貴女こそ学園はどうしたのよ」




「いや、学園は美由に行かせてるから別に私は行かなくても大丈夫だし」




あたかもそれが普通かのように言う彼女をみて、私は驚きを隠せなかった。





この世界は他人を代わりに学園に行かせる行為が当たり前なの…?




も、もしそれが普通なら…今狼狽えた姿を見せるのは良くないわね…。





「そ、そうだったわね…。ま、まあ私もそんな所よ!」




苦し紛れにそう同意してみせる私。





「…は?え…いやあんたじゃ無理でしょ…?」




どこか呆れた様子の彼女。




あれ?皆そうしてるんじゃないの…?





「あ…ハハ…ハハハ…ちょっと最近寝不足で体調があまり良くないのよね~…」




「あ、なら家に来なさいよ。確か薬あったし」




何か閃いた様子でそんな事を言う彼女。



正直あまり嬉しくないのだけど…。




「い、いや…迷惑をかけるのも悪いから遠慮しておくわ…」




申し訳なさげにそう私が言うと、彼女は心底驚いていた。




「あ、あんたの口からそんな言葉が出るなんて…。しかも私をあまちゃん呼ばわりしないし、これは相当重症よ!!」




どこか切羽詰まった様子の彼女に、私はただ圧倒され連れてかれるしかなかった…。




というより姫華…貴女どれだけ普段ドSなのよ…。







「まあほら、とりあえず入って」





木造二階建てで、いくつものドアがある家に辿り着いた私達。




各ドアの横に名前が書いてある…まさかこれ一部屋ずつ違う人が暮らしてるというの…?




「…お、お邪魔します…」




丁寧にそう挨拶してから入室すると、先に入った彼女に変な視線を向けられた。




「…貴女それもしかしてわざと?新手の嫌がらせ?」




「え?いやだって他人の家に上がるのに挨拶は普通じゃない…?」




「いや、いつもあんた宮木ん家に上がるのにそんなかしこまった挨拶してないし」




「…あ、ああ…そうだったわね…」





「ねぇ…あんた本当にヤバイ病気とかじゃないでしょうね…?」





人として当然のマナーを守っただけでこの心配のされよう…。




姫華の普段が容易に想像できるわ…。




「だ、大丈夫よ…というか人として当然の事をしてそんなに心配しないで頂戴…」




「ま…まあそうなんだけどさ」




どこかぎこちないまま、私達は居間にて対面式に座る。





「とりあえずさ、皆学園行っちゃってるから暇なのよ!」





おい薬の話はどうした。





…なんてツッコミをしたくてたまらなかったが、私は押し黙る事にした。





「やっぱり二人居れば暇を潰せるじゃない?というわけで何かするわよ!」




何故か妙にテンションの高い彼女。




そういえば名前分からないからどう呼ぼう…。




ま、まあ適当に呼んでればどうにかなるか…?





「そ、それにしても二人で何が出来るのよ」





「んー…今日は1月10日だから…別に見たい番組もないしなぁ…」




なにやらうわ言をぶつぶつ吐きながら考え事をしている彼女。




そんな時、全身が何とも言えない悪寒に襲われた。





どこか平和惚けしつつあった私には、久しぶりの感覚だった。





「…ごめん、ちょっと席を外すわ」




私はほぼ一方的にそう言い、文句を言う彼女を無視して部屋を後にした。






「さっきの感覚はどこから…」





歩きながら辺りを見回してみるが、一向に先程の気配を感じることが出来なかった。




そんな一瞬の油断を許した時、腹部に強い衝撃が走った。




「ッ…!!」






腹部を殴り付けられ、そのまま吹っ飛び地面に横たわる私。



魔力による変装が解け、素顔が晒される。





「…そんなまやかしなど、私には通用しないぞ魔女」




私の目の前でそう言うのは…第三騎士セレナーデ、彼女だった。





「くっ……セレナーデ…か…!」




突然の不意討ちにより、立ち上がることすら出来なかった。





「…こんな異世界まで逃げて、貴様達は何を目論んでいる」






「さあね…私にだって分からないわよ……!」




そう悪態つきながら、胸元からブラックウェンヘイズを取り出そうと試みるが不可能だった。





「…どうやら、お得意の鎌を取り出せない様だな」




私の様子から察したのか、見下しながらそうセレナーデは言った。




「こちらとしては好都合だ…楽に殺す事が出来る」




そのまま、セレナーデは剣を抜き構えると…一切の容赦なく私に斬りかかった。





「…黒雪様ッ…!」




突然、刃がぶつかり合うような激しい音が辺りに響く。




恐る恐る私は目を開け正面を確認する。




目の前には、純白のマントを翻し黒髪を肩まで伸ばした少女がそこに居た。




セレナーデの太刀筋を、片手に持った槍で受け止めている。




その光景が、あまりに異常すぎて私は声が出なかった。





「…とりあえず、あんた大丈夫?」





こちらを向き、眼鏡をかけているその素顔を見せながら少女は言う。





「だ、大丈夫…です……」






「そう、ならいいわ。とりあえず目の前の貴女…剣を納めてくれない?」




一瞬の内に距離を離し、立て直したセレナーデは冷静に首を振った。




「無理な相談だ。…それに貴様は何者だ?」





「私?まあ正直自分でも分かってないんだけど…周りから神聖天使って呼ばれてるわ。人間でもなければ魔女でもない、そんな所よ」




どこか面倒臭そうにそう説明する彼女。





「神聖…天使…?」





「クレセントアーク…大天使の力を顕現させその身に纏う、聖天使の守護者。それが私、神聖天使…朝比奈 咲夜。はい自己紹介終わり」





「…その天使様が、私達に何の用だ」




「…話が通じない奴ねーあんた。だから、この世界で勝手に暴れんなって言ってるの。こっちのルールを守らないなら私は力を行使する、分かった?」




「ほう…私を止められると?面白い…」




自分の力を馬鹿にされたと思ったのか、怒り心頭のセレナーデ。




これじゃ完全に悪役ね、セレナーデ…。




「…二度同じ事は言わないわ。あんたが分らず屋なら…相応の態度を取らせてもらうだけよ」





「やってみろッ!エセ天使がッ!!」




一瞬で間合いを詰め、斬りかかろうとするセレナーデに対し彼女は構えていなかった。




恐らく反応が遅かったのだろう、これはセレナーデが勝った…確かに私はそう思っていた。





しかし、セレナーデの手が彼女の眼前にて止まる。





気づけば、神聖天使と名乗った彼女の左目が蒼白に輝いていた。




「…どうしたの、斬りなさいよ」




何者も屈服させるかのようなプレッシャーを放ちながら、彼女が呟く。





離れていても肌に刺さるほど伝わってくるプレッシャー…。




そしてあの蒼き左目…。



私は初めて、戦わずして自分はこの人に敵わないという事を…本能で感じた。





「ストーップ!!そこの二人ストーップ!!」





突然背後から見知った気を感じたと思ったら、全く知らない紫の髪を腰まで伸ばした白衣の少女が後ろから走ってきた。





「ちょっと咲夜ッ!乱暴は無しって言ったでしょ!?」




「何言ってるんですか、手は出してないですよ美冬先生」




気づけば蒼白の瞳は元の黒に戻り、彼女は冷静にそう答えた。




「ん…ミフユ…?」




先程のプレッシャーから解放されたセレナーデは、そう呟きながら白衣の少女を見上げる。





「お、お前ミフユじゃないかッ!!生きていたのか?!」




突然驚嘆の声を上げるセレナーデ。それは白衣の少女も同じだった。




「もしかして、セレナーデ?!」




「…ど、どういう事…?」




私は現状をあまり把握できずにいた。




今ここは異世界、そして私達は異世界の住人…なのに異世界に知り合いが居る?





「先生…もしかして知り合いなんですか?」




「知り合いも何も、共に旅をしてきた仲間だよー!」




「…つまり、貴女も私達名も無き世界の住人なんですか?」




私は半信半疑で、そう問い掛けた。





「うん、訳あって昔こっちに飛ばされちゃって…それからずっとこの世界で生活してたんだよね」




「…待ってください、ずっとこの世界で生活をしていた…?何故元の世界に戻ろうとしないんですか…?」




「ううんそれは少し違うよ。戻らないんじゃなくて……戻れないんだよ」





その日、私は…密かに抱えていた当たり前のように帰れるという感情はあっさりと壊され、目の前の絶望にただ座り尽くす事しか出来なかった。







あれから、美冬という少女に案内され私達は美桜学園の保健室…と呼ばれる所に来ていた。





先程ごたごたした事もあり、私達は改めて自己紹介をすることに。




「改めまして、私はミフユ。こっちの世界では美冬として、この学園で保健室の先生としてやってるよ」





「…まあ私はさっき名乗ったけど、改めて…。朝比奈 咲夜、ちなみに私はこっちの世界のごく一般的な人間だからよろしく」




「私はルシフェル・リステア。…そして聞きたいのだけど、何故ごく一般的な人間が、あんな人間離れした力を持っているの?まさかこっちの世界では普通だとでも?」




朝比奈咲夜と名乗る少女を見つめながら、私は冷静に質問をした。




「…まあ訳あって、天使と契約しちゃったのよ。お陰で平凡に委員長やって真面目に生きてた私の人生が台無し…最悪だわ」




どこか重い溜め息を吐いて、そう嘆く咲夜。





「…ちなみに、あそこの剣士はどうしたの?」




気づけば端に一人座り込んでるセレナーデ。




あまり友好的ではないのは変わらなかった。




「…そんな事より、何故私を助けたんですか?」




一瞬セレナーデの方から殺気を感じたが、私は構わず続けた。





「まず、貴女達が異世界の人間だから。そしてもう一つは…私が神聖天使だから、かな」





「それは…どういう…?」





「簡単に言ってしまえば役目みたいなものよ、神聖天使と呼ばれる立場の…本来の役割が私にはあるのよ」





「…役割、か」





私はふと、黒雪様の事を思い出していた。





私達血の中傷が為すべき行動にて、私の役割とは何なのだろうかと。





「とりあえず言いたいのは、私は誰の味方でもないって事。変な詮索は無意味よ」





「…そう、なら構わないわ。一応助けてくれた事への感謝はしておく」





そう一言呟き、保健室を後にしようとした時だった。





「ね、ねえそう言えば貴女今どこに住んでるの?」





突然咲夜からそんな質問を受ける。





「姫華って言う人間の所に居候してるけど、それがどうかした?」




「うげ…よりによって姫華……」




どこかばつの悪そうな表情を浮かべながら、そう呟く。




「…貴女、知ってるの?」




「まあ…同じクラスだからね…」





「…意外と世界って狭いのね」






私はそう呟き、今度こそ保健室を後にしようとした。






「ってちょっと待てぇ!!そうじゃなくて…あまり関係のない人間を巻き込むのは賛成しかねるって事!」





「…私に野宿しろと?」






「…違うわ。私の家に来なさいって事。監視も込めて、あまり余所に居られるのは喜ばしくないの」






「…まあ、私は野宿でなければ構わないわ」








こうして、私は朝比奈咲夜の元で居候することになった。






まだ離れ離れになった仲間とは合流出来ていない、さらに新しい勢力「神聖天使」の存在。




これからどうなってしまうかは分からないけれど、それでも私は歩き続けようと思った。





歩みを止めない限り、ゆっくりであっても確実に前には進んでいるはずだから。






私は改めて、そう決心した。








「…そう、行く当てが見つかったのね」




その日の夜、私は姫華に明日でここを離れる事を告げた。





姫華はどこか、寂しそうな表情を浮かべていた。





「それにしてもよくこの世界で見つけられたわね…?」





「た、たまたま見つけることが出来て…」





朝比奈咲夜の家に行くことは伏せろと言われている私は、あまりはっきりと答えることが出来なかった。





「…そう。たった一日だったけど、楽しかったわルリ。良かったら、貴女の身の上話でも最後に聞かせてくれないかしら」





姫華はどこか微笑みながらそう呟くと、明かりを消しベッドに寝転がった。





「姫華になら、話しても良いわ。つまらない話になってしまうけれど、それでも良かったら…」





私もそのままベッドに寝転がり、窓の外から射し込む月明かりに照らされながら…ゆっくりと語り始めた。







魔女と人間の対立する世界の事。




幼少期に出会った人間の理解者グリディンさんの事。





人間により両親を失ってしまった事。





黒雪様によって救われ、そして魔女のみで構成された組織「血の中傷」に入った事。




そして私は復讐として、グリディンさんを殺めてしまった事。




それがただの誤解と分かり、堪えきれず命を投げ出そうとした事。




唯一生き残ったグリディンさんの娘を見つけて、私を憎ませ生きさせようとした。





仲間と、それぞれに背負った絶望を抱えながらも生き続け…必ず良い未来を手に入れて見せると誓った事。





最後の決戦で、全てが終わると思えた時…黒雪様の術によってこちらの世界に飛ばされ、生き長らえた事を。






「…とても、私では堪えきれないわね。そんな過酷な世界の中、今まで生きてきた貴女を私は尊敬するわ」





「…人に尊敬されるような人生じゃないわ。ただの己の過ちによる、贖罪の人生よ」





私は目を合わせず、軽く吐き捨てるように呟いた。






「…そんな自分を卑下してはいけないわ。貴女がどんな気持ちで今まで生きてきたかは知らないけれど、自分が自分を認めなかったら何も報われないじゃない…」




真剣な表情でそう私を諭す姫華に、私は言葉を返すことが出来なかった。





「ふふ…まあ私もそんな人を諭せる程の人生は送ってないのだけどね」




「…私には、そうは見えないわ。貴女の瞳が、少し揺らいでいるもの」



きっと壮絶な過去だったのだろう、姫華の表情からもそれは一目瞭然だった。



「…そうね、少し…人よりは大変だったのかしらね」




















どこか懐かしむように、姫華はゆっくりと語り始めた。





幼少の時の話。




物心ついた5才くらいの頃に親に捨てられて、私は孤児院で育った。





心をずっと閉ざし、友達も居なかった。ただ親が迎えに来ることをずっと信じて待っていた。





そんな時だった。美紀に出会ったのは。




ずっと玄関口で座り込み母親を待っている私に、唯一話しかけてくれた女の子。




そしてもう一人、入ったばかりだという女性の先生。




「美紀の他にもう一人私を気にかけてくれたのが…恩師である崎村先生。その二人が居なければ、私はきっと今ここには居ないと思うわ」





「恩師…か。私にその感覚は理解できないけれど、友達なら私も分かるわ」





「ふふ…友達は大事にした方が良いわよルリ。きっと貴女を支え助けてくれるはずだから」





それから、私はある事件をきっかけに心を完全に閉ざし病んでしまう。




新入生の先生として孤児院に潜入し、子供に親が見つかった、親の元へ帰れると話し偽造した書類で手続きをし、そのまま騙した子供を売買するという事件。





私も、その被害者だった。





売買される前に、崎村先生に助けられたものの…心は既にボロボロに壊されていた。




実は後から分かった話、崎村先生は警察の潜入捜査員で…この事件の真相を掴む為に先生として孤児院に身を置いていたのだという。






私は人間を信用することが出来なくなっていた。




先生も、美紀も、今まで信じていた両親ですらも。






この時私はやっと、親に捨てられたんだという事実を受け入れた。





私はこの世界に必要ない、そう思えてならなかった。







事件から、一年が経った。





かつての被害者である子供達はほぼ療養によって立ち直っていた。




沢山の子供達が孤児院へと帰っていく中、私だけが病院に残っていた。





一年経った今、私だけが変わらなかった。




誰とも会話せず、意思を伝えず、主張もしない…ただ生きている、だけだった。





それでも、美紀だけはずっと見舞いに来て私に話しかけ…孤児院であった楽しい出来事を語ったりしてくれた。




一切私が干渉しなくても、美紀はずっと続けていた。




それでも、その時の私には…惨めな私を嘲笑いに来ているだけにしか見えていなかった。






いつもと変わらない美紀が見舞いに来るある日の事。




車椅子に乗せられ、美紀に押されながら私は見晴らしの良い草原に来ていた。




「いやぁーもう春だねぇー!」





暖かな風が吹き渡る中、美紀は明るくそう叫んだ。





「はなちゃんは春好き?」




いつもと変わらず、私は黙って風景を見つめていた。





「私は…好きだなぁ春…」






「夏を迎え、秋を迎え、そして冬を迎えて…花や木は枯れ果ててしまうけれど、巡りめぐって春を迎えれば…また綺麗に花はを咲き誇り、草木は生い茂るんだよ」




気づけば美紀の声は、涙声に変わっていた。





「私は…はなちゃんの力になれないのかな…はなちゃんが笑顔になれるなら、なんだってするのに…」





その美紀の言葉に、私の疑心がピークに達した。




今まで閉ざしていた口を、私はゆっくりと開いた。





「じゃあ…私のお母さんを捜してよ、何でもしてくれるんでしょ、なら見つけてよ…私のお母さん…」





突然立ち上がり、美紀を見据えて私がそう言うと、一瞬驚きを見せた美紀だが…やがて真面目な表情へと変わった。





「分かった…はなちゃんがそれで笑顔になるなら、私絶対見つけてくるよ」







その約束から、半年が経った。





あの日以来、美紀は私の元に顔を出してはいなかった。



きっと見つけられなかったから顔を見せられないのだろう。




そもそも私の母親を見つける事なんて出来るわけがない。





出来もしないことを軽々と出来るなんて言ったのが間違いだったんだ。






窓から見えるのどかな緑の風景を見つめていると、ふいに病室の扉が開いた。




「久しぶり…ね姫華。今、美紀じゃなくてがっかりした?」




からかうように笑みを浮かべながら入って来たのは、崎村先生だった。





「…相変わらず、みたいね。まあそれは良いとして、ほら美紀…入ってきなさい」




こちらを申し訳なさそうに見つめながら、恐る恐る部屋へと入る美紀。





「…美紀から、話があるの姫華。…ちゃんと説明しなさいよ、美紀」




崎村先生の言葉に、美紀は小さく頷き…それを確認すると先生は部屋を去っていった。




「…え、えっと…その…久しぶり…だね…」




どこか気まずい空気が流れる中、美紀がそう呟いた。




「そ…そうね…」



私は、ぎこちなくもそう返した。





「あのね…実は、ズルかもしれないけれど…崎村先生に手伝って欲しいってお願いしたの」





「そしたらね…時間はかかったけど、見つける事が出来たんだ」








―はなちゃんの、お母さんを―







一瞬、私は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。






う、嘘…でしょ…?





そんな簡単に見つかるわけ…。





「本当に……見つけて…くれたの…?」





私は、震えた声でそう美紀に問い掛ける。





「うん…ほとんど、先生のお陰なんだけどね…私は…何も…」





俯き、そう自虐的に呟く美紀を見て…私は今美紀にかけてあげる言葉が何かを察した。





「ありがとう…美紀。貴女のお陰よ。美紀が行動してくれなかったらきっと…見つかる事はなかったわ」




「ほ、本当に……?私、駄目な友達じゃない…?」





「駄目なんて事ないわ、私の方が駄目な友達よ…。たった一人の親友を、試すような真似をして…八つ当たりして…」





「そ、そんなことないよ!!はなちゃんが駄目なんて事ない!!」





一瞬間が空いて、私達は揃って笑いだした。




久しぶりに、私はこんなに笑った。





笑うというのは楽しくて、何より幸せになれる。




友達と笑い合える、そんな当たり前の事が本当は凄く大事な事なんだって。




そう思えた瞬間だった。









その後、私達は病院の入り口で待っている崎村先生の元へ行き…車でお母さんの元まで送ってもらう事になった。





長い間離れていた母との再会、それは私がずっと待ち続けた瞬間だ。






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