キャット・セルフィー
逃げ去ったゼラを追いかけるかどうか。
月夜は、ゼラの入った先の森とカメラを何度か見なおして、振り切るようにカメラの前を離れて森へと入っていく。
ネコ科並みのスピードで森の中を突っ走るゼラに比べると、しょせんは木にくっついて育つだけのツキヨタケの月夜では、まったく速さは敵わない。
草を踏み、樹の枝を避けながら、一歩一歩と森のなかに分け入っていく。
その姿が消えた頃、
「なんか変な叫び声が聞こえたと思ったら、月夜いなくなってるな」
様子を見に来た幹生が、カメラと三脚を回収する。
カメラの前に月夜を釘づけにしたのは、和歌恵の出すヒラタケに、月夜のツキヨタケを混入させないための措置だ。どこかへ行ったなら、幹生にとってはそれでいい。
変な叫び声は、何か大怪我をしたとか、何かに襲われたとか、そういう危険さを感じさせるものでもなかった。例えば、シャツの背中に氷でも入れられたような、そんなマヌケさのある声だった。なら、心配もないだろうと幹生は判断する。
そこに、森からがさがさと、下生えをかき分けてくる音がする。
イノシシか? と、身構えた幹生の前に、
「にゃうん!」
と、ゼラが飛び出してきた。
「おー、ゼラ。ちちちち」
猫を呼ぶように舌を鳴らす。
ゼラは少し苦笑気味に幹生を見返す。
ほとんど人の言葉を話せないゼラだが、これは舌が猫のようなつくりだからで、聞いて理解することはできる。知能・知性も、人や他のキノコの娘と変わらない。
だから、猫と同様に扱われても、ちょっと落ち着かない。
とはいえ、それを伝える言葉がない。
「あー、猫じゃらしあったっけな……」
幹生はカメラを置いて、茂みにエノコログサを探しにいく。
あれを見ると、つい猫みたいになっちゃうからイヤなんだけど、とゼラは苦笑を重ねる。
幹生を見送ったゼラは、置いて行かれたカメラに触れる。
あくまで、人並みの知恵はあるのだ。スイッチを入れて、レンズを向けて、右肩のボタンを押せば写真が撮れる。それくらいはわかる。
スイッチは少し迷ったが、何かのボタンに触れた拍子に、液晶画面がついた。レンズの向こうの景色が映っているから、これでいいらしい。
先ほど、幹生が月夜を撮ったふりをしたときにスイッチはオンになっていた。そして今、ゼラがボタンに触れたせいで、省電力スリープモードから復帰したのだ。
「みゃん」
ゼラはレンズを自分の方に向けて、ボタンを押す。
ぴぴっ、ぱしゃ、とカメラが鳴る。多分これで撮れているはずだ。
あまり自分の顔はまじまじと見れることがない。たまに風のない晴れた日に、水に写った自分の顔を見ることがあるくらいだ。
笑顔を作ってぱしゃ。牙をむいてぱしゃ。横顔をぱしゃ。耳を向けてぱしゃ。舌を出してぱしゃ。舌の裏をぱしゃ。顔を上げてのどをぱしゃ。
「くるくるくる」
のどをならす。普段見られない自分が撮れた。満足だ。
どうなっているかは、あとで幹生に見せてもらおう。
「猫じゃらしなかったな……。ん、なんだゼラ、カメラの使い方わかるのか」
「にゃおにゃお! くるくる」
戻ってきた幹生は、液晶画面を指さしてアピールするゼラを見て、意図を考える。
向こうが写ってるのが興味深いのか、あるいは。
「再生モードかな。って、おぅ」
液晶画面には、さっき撮ったゼラの自撮り写真が表示された。明らかに表情を作って何枚も撮っているから、どう見ても偶然触って写ったものではない。
「こことここを押したら、写真が切り替わるから」
と、十字キーを押して見せながらカメラを渡すと、ゼラは喜んで撮った写真を眺める。
「へー、カメラがどういうものかとか、わかるんだなぁ……」
猫と全く同じようにゼラを扱っていた幹生だが、考えを改める。
偏見を持たずに考えてみれば、確かに猫にしては賢すぎるようなことをしていることは、他にもあった。猫扱いは、バカにしてるみたいだったかもしれない。
「悪いことしてたかもな。よし、じゃあ」
幹生は、一度家に戻る。
どうしたのか、とその姿を眺めているゼラの前に、ネックストラップをつけた小型のカメラを持った幹生が戻ってくる。
「ほら、前に使ってたやつ。貸してやるから、電池切れたら持ってきな」
「みゃおう!」
勲章のようにコンパクトカメラを首にかけられ、ゼラは目を丸くして満面の笑み。