高尚な趣味
和歌恵の趣味は、古典文学を読み漁ることだ。
残念ながら、なかなか同好の士と盛り上がれる趣味ではない。野球ファンやサッカーファン、アニメファンやラノベファンとは違うのだ。
「ねー幹生。『大唐西域記』って知ってるー?」
だが、和歌恵のマイペースは、趣味の話する相手を選ぶなんていう分別はない。
「知るわけないだろ。俺理系だよ」
「だよね。それで、『大唐西域記』にはこんな話があるわけよー」
お構いなくしゃべり始める。
この本は、作者だけなら誰でも知ってる、あの有名な三蔵法師。彼がはるばるインドに旅した時に、聞いたことや知ったことをレポートにまとめて皇帝に提出したのがこれだ。
つまり、『西遊記』の元ネタになった本でもある。もっとも、七世紀前半のインド旅行から千四百年を経て、脚色されまくってまるで別の話になっているのだが。
「こういう話、きらいじゃないでしょー?」
そんなあらましを話し始め、一応、和歌恵は幹生の興味を確認する。
「あー。まあ、知らないことを教わるのは好きだけど」
幹生は、知的好奇心は強いほうだ。本もよく読む。一日中ゴロゴロして、本ばかり読んで過ごす日々が続いても、特に苦痛に感じないタイプだ。
もっとも、そうでないと、こんな人の居ない村の一軒家で過ごす生活は耐え辛いが。
「ハラショー。それで、三蔵法師がインドで聞いた話にこんなのがあってねー」
インドの山の中に、ひとりの仙人がいて修行をしていた。
しかし、やっぱり誰とも会わずに孤独に生きていると寂しくなるのか、ある時、たいそう美しい女性を見かけて恋に落ちてしまった。
「女性っていっても、鹿なんだけどねー」
「鹿って……」
「で、仙人と鹿は結婚して、子供ができたわけよー」
幹生は、そんなバカなと思わざるを得なかったが、昔話はそういうものだ。
「子供は人間の女の子なんだけど、地面を歩くと、足の触れたところにきれいな蓮華の花が咲くの。で、その花を見た王様に見初められて王妃になって、それから王子を産んだらトラブって内戦が起こったりするんだけど以下略」
「なんでそこ略なの……?」
「小泉八雲の『怪談』は知ってる?」
「話変わるのか。知らないけど」
「ある若い武士が、山里で青柳という美女と出会うんだけどねー」
和歌恵のマイペースな話しぶりは、怪談でも怖そうな調子にはならない。
武士と青柳は、いろいろな障害を乗り越えて結婚して、子供もできてようやく幸せな生活を送り始めたところで、突然、青柳が倒れてしまう。
病かと心配する武士だったが、青柳の話を聞くと、彼女は柳の木の化身だという。しかし、その本体の柳の木が切り倒されてしまい、もうここには居られなくなったと。
そして、着物とかんざしを残して、武士の腕の中で消え去る青柳。
「出会った山里を訪ねた武士は、切り倒された柳の切り株を見つけたわけよー」
「もうちょっと物悲しく話してよ……」
「ま、木一本の化身だったのが敗因だよねー。ヤーみたいに、キノコ一種類の精霊だったら、ちょっとやそっとじゃ消えられないのに」
「台無しだ」
小泉八雲も泣いてるぞ。
「もうひとつ、『徒然草』にある話なんだけど……。ところで、キノコってやっぱり健康にいいでしょ?」
「まあ、そうだな。低カロリーで栄養あるし」
腫瘍ができにくくなるとか、血圧が下がるとか、他にもいろいろあるらしい。
「ある武士が、もう大根大好きでねー。これさえ食べてれば病気にならないんだー、とかいって、毎日二本も食べてたわけよー」
その大根好きの偏食武士が、ある時、敵に襲われて屋敷を包囲された。
大ピンチ、というところで、屋敷の中にふたりの見知らぬツワモノが現れ、決死の奮戦を見せて敵兵を追い払ってくれた。
私を助けてくれたあなた達は何者だ、と武士は聞く。
「いつも食べてもらっていた大根ですよー、って答えたってー」
「今の僕には、本当にあった話に聞こえる……」
身の回りのありさまを見ると、鹿とか柳とか大根の精霊とか化身がいても、ありえないなんてとてもいえない。
「幹生が敵に襲われたときは、ヤーが助けにいくからねー」
「今の時代、そんな機会ないと思うなあ」
幹生は苦笑するだけだ。
「幹生さー。あんまり国語の成績よくなかったでしょ」
頬をふくらませて話を切り上げ、和歌恵はパソコンに目を戻してしまう。
なんで拗ねるんだ、と幹生が聞いても、和歌恵は答えない。