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       §



 あたしの目の前には、不機嫌MAXでにらみつける美術部部員が立ちはだかっていた。


「どうしたんですか、明良先輩」


 中学時代の戦いで身に着けた天真爛漫な笑顔でそう問うけど、敵も手強く全く騙されてくれない。それどころか。


「俺の名前を気安く呼ぶな」


 えー。今まで普通にスルーしてたじゃないですかー。


 ゆかり先輩の姿が見えないとわかったとたんに豹変した彼の態度と強い口調に、色々と経験してきたはずのあたしも流石に戸惑う。そんなにゆかり先輩と一緒にいたかったんだろうか。目を瞬かせると、明良先輩も思うところがあったのか、いつも通りの誠実さをにじませた口調で語りかける。


「萩月さんはどうしてこの部活に入ろうと思ったの?」

「ど、どうしてって……実家の近くに美術館があったから、そこそこ楽しめるかな、と思いまして」


 彼に対しては、まだそのくらいしか言うべきことはない。


 いくら穏やかな様子を取り繕っても、藪から棒に聞いてくる明良先輩の目は、見たことのないような獰猛な光を宿していた。動揺が隠せず柄にもなくどもりながら答えた返事に、彼は機嫌をよくしたのか、それとも悪くしたのか。どうにも判断できないような引きつらせ方で、頬を上に挙げた。


「だったら、それほど思い入れはないはずだろう。悪いがもうこの部に顔を出さないでくれ」

「は?」


 どんな理論だ。混乱でまともな返事ができないあたしを睥睨しながら、明良先輩は口を開く。


「俺とゆかりは、誰にも邪魔されないこの部屋で平穏に過ごしていたんだ。萩月さんが来るまで、何の問題もなく、穏やかに。だが、今はまるで状況が変わってしまった。初めは、ゆかりだってたまには同性と話したいだろうと思って静観していたが……このままじゃおかしくなる。いや、すでにおかしくなっている。ゆかりはお前を信頼し始めている。どうして。どうして俺ではなくお前がゆかりについて詳しく知っている? 俺が、ゆかりの唯一なのに。ゆかりには俺だけがいればいいのに」


 途中から剥がれだす仮面。もっと自分の性格をコントロールできる人だと思ってたけど、怒りはそれを凌駕したのか。


 彼の心を荒立たせている元凶が垣間見えて、あたしはただただ呆れるしかなかった。彼の発言はつまり、ゆかり先輩とあたしが仲良くなっているのが気に食わないから出てけ、と。そんなバカな話あるわけない。そもそも、ゆかり先輩に対して先輩はそれほどの支配権を持ってるのか。勝手に、仲の良い後輩を追い出せるほどのものを? そんなの普通じゃない。何様のつもりなのだろう。


 クラスでたった一人の味方を失うと恐れる彼女を、明良先輩はいいように利用してるのだ。彼が傍若無人に振る舞うさま。それはどう考えても、友情とか、慈愛とか、そういった心から生じるものじゃない。もっと粘着質で薄暗くて、打算と計画に満ちたもの。彼らの関係は絶対おかしい。間違ってる。


「だから、もうこの部屋には来るな」

「……それに従う道理も義務も、あたしにはないと思いますけど」


 あたしは割と人の態度を気にする。明良先輩とも、嫌われているならこれ以上は嫌われないような関係でいたいと思ってた。でも、流石にこれは看過できない。


「あき……藤堂先輩がゆかり先輩と一緒にいたいという気持ちはわかりますけど、だからってあたしを排除していいことにはならないですよね。それに、もしそうなったとしたら先輩は悲しみますよ」


 それは想像でしかないけど、あの優しい先輩なら、きっと心を痛めてくれるだろう。


「ゆかりは俺がいればいい。彼女だってそう言っている」

「それはあたしと仲良くなる前の事でしょう。今のゆかり先輩がそう言うと思っているなら、明良先輩、それは見る目がなさすぎます。友達として失格ですよ」


 言ってから、しまった、と思った。ゆかり先輩があまりにも友情を強調するから、するりとその単語がでてしまった。でも、明良先輩が抱いている感情は――。


「友達?」


 ああ、ほら。


「何を言っているんだ? 俺とゆかりは付き合っている」


 冷静を気取ってるつもりだったけど、存外頭に血が上ってたみたいだ。二人の間にある微妙な部分にがっつり触ってしまった。


 そう思うと同時に、納得の感情があたしの中に去来する。ゆかり先輩はああ言ってたけど、やっぱり彼は二人の関係を、友情とは違うものと捉えてたらしい。即ち、恋愛感情。故に、恋人同士だと。そりゃあそうだよね、じゃなきゃあんな牽制を――いや、そもそも女であるあたしに嫉妬心を抱いている方がおかしいんだけど――するわけない。


 でも、だからって従属させたいと願うのはおかしい。いくら愛があったとしても、エゴイスティックに過ぎると言わざるを得ない。


「……いつからですか」

「高校二年生の秋だ。見てわからなかったのか」


 遠くから見ているだけなら十二分によくわかる。けど、近くで巻き込まれているゆかり先輩は理解してないし、彼女から直接話を聞いたあたしも惑わされてた。


 彼の問いにどう答えるべきか逡巡したのち、あたしは無難なことを言い返した。


「なんとなくそうなのかな、と思ってはいましたが、具体的に聞いたことはなかったもんで」

「だったら、教えてやる。俺は卒業して何年かしたらゆかりと結婚する。それは彼女も了承済みだ。家の問題が解決するまでは公にするつもりはないが」


 いやいや、絶対に了承してないでしょ。してたら間違っても、付き合ってないなんて即答できないはずだ。


 それはそうと。


「家の問題?」

「萩月さんもこの学校に入ることを当然とする家柄なら、ある程度は想像がつくだろう。ゆかりが一般家庭で育ったのに対して、俺の家はこの田舎ではかなり大きい部類に入る病院だ。住民との関わりが必ずあるから、俺についての物事は全て慎重にならざるを得ない。余程のことがない限り、彼女と共にいることは反対されると思う」


 なるほど、でも。


「それって解決のしようがないんじゃ」

「ゆかりがこの学校を卒業すれば、一応は有名私立出身という名称がつく。この学校の名前は、俺の家の付近ではかなり有効だ。それで切り抜ける」

「ああ……」


 明良先輩の計画は、思わず感嘆の言葉が出そうになるくらい、納得のいくものだった。完璧なプラン。でも、よく考えると根本的に間違ってるということに気付いた。ゆかり先輩と両想いでなくちゃ、この理論は何の意味もなさない。


「だから、俺は努力した。ゆかりが俺を見てくれるように。ゆかりと居心地のいい関係でいられるように。ゆかりのなかで俺が大きな割合を占めるように――ゆかりが俺だけを見るように。ゆかりが俺なしでは生活できないと思うように」


 そこまで言われて、何もわからないほどあたしは馬鹿じゃない。明良先輩が言っていることは……言っていることは、つまり。


「……ゆかり先輩がクラスで浮いたのは、明良先輩が仕組んだことだったんですね」


 明良先輩の執着は、少し常軌を逸しているとは思ってた。でも、これほどまでとは。聞いている内容が信じられなくて、あたしの胸は無駄にドキドキと高鳴っていた。心なしか眩暈もする。いや、これは驚きというよりも、むしろ不愉快に近いのかも。


 だって、普通に考えておかしい。好きな人が自分を見るようにするために、嫌われるように画策する。そんなの正常な恋愛じゃない。狂ってる。


 狂ってる。


「ゆかりにとって、クラスの連中なんてどうでもいい存在だ。あんな奴ら、ゆかりの近くにいる価値なんてない。優しいゆかりの近くに置いておくには、あまりにも雑多で、暴力的で、欲に塗れた人間だ。ゆかりには俺だけいればいいんだ。俺だけがいれば、ゆかりは幸せになれる。一生何も考えずに、傷つけられずに生きていける」


 できることなら、耳をふさぎたかった。こんな狂人の話なんて聞きたくない。もう少しまともな人だと思ってたけど、とんでもない見誤りだ。おかしい。冷静に、淡々と、理性を失わずにくるっているからこそ、異様な緊迫感が彼の周囲に満ちていた。


 こんな人の近くにゆかり先輩がいるなんて、絶対にダメだ。彼女を開放しなくちゃ。


 その使命感だけで、あたしは勇気を出して口を開く。


「でも、ゆかり先輩は、そうじゃないみたいですよ」

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