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 私たちの関係が大きく変わった去年の秋から、七緒ちゃんという新たな新入部員が現れるまでの、およそ半年。私と明良は誰の介入をも受けず、ただ二人きりで過ごした。その間の日々は、今でも夢だったのではないかと思うくらい、平和で幸せな時間だった。教室でも部室でも、時間の許す限りは一緒に過ごし、二人きりで世間で青春と目されるものを楽しんだ。二人で一つの絵を完成させるという、いかにも美術部員らしいことをすることもあれば、好きな本を一冊選んで読みあうというような、芸術とは一切関係性のないことも行った。お菓子を持ち寄って、無益な話をひたすらに話し合ったこともあったし、黙々と宿題を片付ける日もあった。そのどれにも共通して言えることは、この朽ちた扉で囲われた世界には、正真正銘私たちしかいなかったということだ。誰にも傷つけられない幸せ。それは、教室中の人間から嫌われている私にとって、この学園で一番安らぐ時間だった。


 けれど、ふと、思うのだ。


 明良がいなくなったら、私はどうすればいいのだろう。


 例えば掃除の時間。体育の時間。登下校中。もっと短いのなら、明良が用事で私の側を離れたときや、私がお手洗いにいくときなど。私は言いようのない虚無感に襲われる。心臓の少し下の部分がひどく痙攣するような、喉元に何かがせりあがってくるような、そんな感覚。でも、それをどうすることもできない。


 私たちの日常の端々には、一人になる瞬間が必ずある。一方で、私を大切にしてくれているのは、藤堂明良唯一人だ。その彼と離れて一人で行動するとき、沼野ゆかりの存在意義は、一体どこにあるのだろう。明良と離ればなれになってしまったら、私は誰に存在を認めてもらえるのだろう。


 もしかしたら、私は明良を自分の存在証明として、利用しているに過ぎないのではないか。卒業して離れ離れになれば、高校生活の殆どを共に過ごした彼を、いつしか忘れてしまうのではないか。


 私は明良が大切だ。でも、それは少女漫画で見る男女間の「好き」のような、胸が高鳴りただひたすらに相手を想う気持ちとは、少し違う。つまり、それは――。




「ゆかり先輩、一緒に帰りましょう」


 放課後、七緒ちゃんの誘いによって、私たちは一緒に部室を後にした。彼女が入部してから後、私は一人で帰路につくことがめっきり減った。それに対して明良がよい感情を抱いていないのは薄々感じているけれど、知らない振りをする。私が七緒ちゃんの申し出を断ったからといって、彼が両親に掛け合い、私と共に帰ってくれるわけではないのだ。


 明良はずるい。私には明良しかいないのに、そのことを求めているはずなのに、彼は自分のルールを曲げることはしない。それは、ずるい。


 でも、彼からしてみたら、私だって同じ様なものなのだろう。


『ここは、ここだけは、私たちの場所でしょう』


 いつかの言葉。紛れもない、私自身の言葉だ。けれど、それは沼野ゆかり自らが破り捨ててしまった。私たちだけの場所だと、そう訴えながらも、私は萩月七緒という全くの部外者を引き込んだ。それは明良にとってみれば、如何ともしがたいほどに手ひどい裏切り行為だ。でも、私は七緒ちゃんを手放せない。明良にしか価値を見いだしてもらえなかった私が、やっと手にした友人なのだ。


 駅までの道のりを、和気藹々と表現するには少し大人しく、けれど十分に楽しく話しながら二人で歩く。古い時代に作られた学校は坂の上にある、と誰かから聞いたことがあったけれど、この学校もその通例から外れることなく、小高い丘の上に建っていた。登校する時はこの上なく不便で仕方がなくて、いつかエスカレーターでも出来やしないものかと夢想するが、その分帰りは悠々とした気持ちで家路につくことができる。そんなことを感じるようになったのも、七緒ちゃんと帰るようになってからだ。今までは、周囲の目線におびえながら、一人足早に帰っていた。「悠々と」なんていう気持ちを抱くなんてとてもじゃないができなかった。


 私がそんなことを考えていると、暖かさと少しの湿っぽさを混ぜ合わせた風が二人の間をすり抜け、七緒ちゃんの薄茶色の艶やかなショートカットがふわりと舞った。


「きれいな髪で羨ましい」


 私が小さく呟くと、七緒ちゃんは驚いたように私を見つめ返してきた。


 彼女に伝えたのは紛れもなく本音で、お世辞は一切入っていない。明良と私は同じ黒髪だけれど、彼は艶美で私は野暮ったい。顔の造形が作用していることは勿論の事、明良の髪は黒いながらも細くて絹糸のような柔らかさを持っているからだろう。だからか、彼に似た七緒ちゃんの髪が、真実羨ましかった。


「ありがとうございます。でも、あたしの髪は薄茶色だから……自然な色に見えにくいんですよね」


 だからあんまり褒められたことがないんです、と彼女は続けた。それは勿体ないことこの上ない。


「東京の中学校は厳しかったの?」

「まあ、中高一貫でしかも女子高でしたからね。校則は結構あったと思いますよ」


とだけ言って、その先は何も続けない彼女に、私はどうすればいいかわからず口を噤んだ。


 坂を下りきると、すぐに駅が見えてくる。帰り道は徒歩十分強という立地にある私たちの通う高校は、そのうち半分以上の時間を丘下りに要している。車で登下校している明良はきっと気付くことなどないのだろうけれど、毎日通っているとかなりの運動量になるのだ。もしかしたら持久力でなら、あの完璧な男に勝てるかもしれない。


 たった三つしかない改札機に私たちが定期券を通すと、タイミングのいいことに帰りの電車が到着した。


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