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驚いて声が出ない。
なぜ、ここにゆかりが。だって、萩月七緒は。
「七緒ちゃんは軽い脳震盪だって。そう酷い怪我はなかったみたい。保健室の先生が、一応お家に連絡を入れてくれたの」
俺の表情を読んだのだろう。ゆかりが後輩の状態について説明する。そうか、と少しだけ安心するが、もっと大きな疑問には触れられなかった。
意を決して口を開く。
「なんで、ここに」
「七緒ちゃんから『ひどい言葉を言ってすみませんでした』って、伝言を頼まれたから」
萩月七緒が、なぜ? わからない。状況が読めない。伝言?
「あとね」
その声に、情けないが肩がビクッと跳ねあがる。心臓が大きな音を立てた。足が震えそうになる。
「私も、明良に伝えたいことがあって」
やめてくれ。お前の口から直接否定されたら、俺はもう生きていけない。やめて。
「明良。私、ずっと明良のことは友達だと思ってたの」
手が震える。やはり、俺が一人で調子のいいことを考えていただけだったのだ。愚かだ。ゆかりをそう評した俺が、一番馬鹿だった。
「でも、色々あって、思ったのよ」
それ以上言わないでくれ。
お願いだから。
お願いだから。
ゆかりが息を吸う。一拍の間。無限にも感じる、一拍。
そして。
「私、明良を愛してるわ」
「……え」
今、何と言ったのか。
「私、明良のことが好き。一人の人として好きよ」
信じられない。友達だって、付き合っていないと思っていたって、そう聞いたのだ。今も言っていたじゃないか。信じない。そんなの。
「嘘だ!」
俺を馬鹿にしているのだろう。もうそんな戯言を聞きたくない。大声で否定した俺に、ゆかりは瞠目する。
「俺のことを馬鹿にしているのか? 今まで一人勘違いをしていたのが可哀想になったのか」
「ちが……」
「俺も馬鹿だよな、ゆかりは誰に対しても優しいんだ。それを、まるで特別なことのように思っていた。誰も俺のことなんて好きにならない。何の美点もない、ただ傲慢な俺なんて」
「違う! 明良、聞いて!」
初めてゆかりの大声を聞くが、そんなことに怯んでいる余裕はなかった。なおも言い募る。
「一人の人として好きっていうのは、友達として、ってことなんだろう? 一緒にいて苦じゃない、そんな程度の――」
悲しそうなゆかりの目が、俺に注がれる。そして、意を決したような表情になって。
「明良」
瞬間。
肌色のものが、目の前に寄る。
ふわりとした感触が、唇に当った。
暖かい風が、口を撫ぜる。
「私は、明良を愛してる」
……キス、した。ゆかりが、俺に。感情を強く表さない、あのゆかりが。
近すぎて見えない顔に、問う。
「なんで……」
「明良が好きだからだよ。友達なんかじゃなくて、男の人として」
足に力が入らない。ぺたん、と地面にしゃがみ込む俺を、ゆかりがそっと抱きしめる。
「だって、俺は、萩月さんを。それに、」
ゆかりの顔が見えない。近すぎて、と再び思えば、頬に何かが伝う感触がした。
「俺……」
涙を見られないように、ゆかりの肩を抱き寄せる。手の震えは収まらない。小刻みに揺れる俺の肩が、そっと撫でられた。少し勇気が出る。
「俺は……」
「うん」
「顔しか取り柄がなくて」
「うん」
「だから、初めて性格を褒めてくれた、ゆかりを……」
「うん」
「ゆかりに、傍にいてほしくて」
「うん」
「二人っきりで、過ごしたくて。だから、萩月さんが邪魔で」
「うん」
「邪険に扱ったりして。それでも、ゆかりが俺を見てくれなかったら、俺は」
「……うん」
「何にもなくなる。そうしたら、ゆかりにしてたことが、全部――」
引き寄せる力を強くする。ゆかりの肩は湿っぽくなっていて、泣いているのは気付かれているだろう。だが、もうそんなのはどうでもよくなっていた。ゆかりがいなくなりさえしなければ、どんな無様な格好だっていい。
「ゆかり、ごめん、ごめん。本当に……」
「いいの、明良」
ゆかりが、俺の耳元で囁く。いつもと変わらない、優しい声で。
「いいの。私は、そういうところも全部含めて、明良が好きだよ」
好き。
そっと腕が解かれる。俺もそれに倣って力を抜き、二人で向き合う。
「目が真っ赤だね」
ゆかりが小さく笑う。今までに見た笑顔の中で、一番穏やかで、一番優しくて、一番きれいで、一番ゆかりらしいものだった。
「ゆかり、俺は」
今まで、ずっとゆかりのこんな表情を殺していたのかと、罪悪感で一杯になるけれど。それでも、ゆかりが赦してくれるのなら、俺は。
「ゆかりのことが、好きだよ」
そうして、ゆかりの唇に、自分のそれを重ね合わせた。一瞬接しただけ。それでも、自分の中に何か温かいものが満ちるのを感じる。
「何よりも、誰よりもゆかりが好きだ。だから」
気が早いかもしれない。引かれるかもしれない。この先も問題がたくさんあるだろう。好きと言う気持ちただそれだけでは、乗り越えられない壁にぶち当たるかもしれない。それでも。
「俺と、ずっと一緒にいてほしいんだ」
きょとん、としたゆかりの顔。けれどそれはすぐに崩れて。
「はい」
飛び切りの笑顔を俺に向けてくれる。
それだけで、俺は未来に進める気がした。




