残夢
町のあちこちで響いていた銃声は、今や遠いこだまのようだった。
どこかで誰かのもらしたため息が聞こえた。俺もつられて、額の汗をぬぐいながら深く息を吐いた。
「どうにかしのぎ切ったな。君のおかげだ」
不意に背中をたたかれ、振り向く。俺の視線より少し低いところで日に焼けた顔が笑っている。日差しよけの厚い布は砂色に薄汚れ、そこから伸びた浅黒い手首には、鮮やかな赤い綾紐。
それは俺達の――革命軍のシンボルだ。
「大したことはしてない」
「謙遜しないでくれ。ああも的確に相手の動向を読んで、指示まで出せる奴はそういないよ。短時間でケリがついたから、双方とも犠牲が少なくて済んだ……」
一瞬目を伏せたあいつは、まだ若いのに、時々妙に悟ったような表情をする。
それを見ながら、俺は軽く咳き込んだ。少し足を動かせば土埃が上がるくらいに乾燥している。
喉、渇いたな。
「君には本当に感謝している」
あいつが正面から俺を見上げた。まっ黒な瞳が俺の眼を捉える。
「共に戦うと、そう言ってくれて、ありがとう」
「……。ああ」
「同志!」
向こうでがっちりした体格の男が手を上げて合図している。あいつも片手をあげて応じた。
「そろそろ戻ろうか」
「その前に、知人に無事を報告してきてもいいか」
「君はこの町の出身だったな。もちろん構わない、早く行ってくるといい」
「後で合流する」
俺はあいつに背を向けた。
石壁の連なりを眺めながらしばらく歩いて行く。
……誰もついてきていない。
確認しながらさりげなく裏路地にすべりこんだ。約束の場所で彼女は待っていた。
「遅かったじゃない」
「あやしまれちゃマズいだろ」
「あの偉そうな大臣から伝言。『よくやった』って」
粗末な布を身につけた彼女は男のように髪を短くしている。というより、伸ばしておけないのだ。この区域は衛生環境があまり良くない。
「あとは2日後。……うまくいくよね? これが終わって、反乱軍がいなくなったら、あたしたち本当にこの貧民街から出してもらえるんだよね?」
腕にそっと寄り添ってきた昔馴染みを、俺は反射的に押しやった。
彼女は驚いたような、不満そうな顔で俺を見上げた。
「ちょっと」
「もう、戻らないと」
俺はわしゃわしゃと彼女の頭を撫でてやってから、空を仰いだ。傾き始めたはずの太陽が、まだこんなにもぎらぎらと照って。
ああ。喉が渇く。
俺は重い足取りで町の西へと向かった。彼らは町の集会所に詰めている。
「おう、戻ったか新入り」
銃を背負った見張りの男が、俺に手首の綾紐を見せる。その腕には包帯が巻かれ、血がにじんでいた。俺も綾紐を見せ返した。
「腕、やられたのか」
「新入りもだろ。それ」
「……ああ」
自分のこめかみに手をやる。血は止まっているが、そういえば銃弾がかすめたりしたのだったか。
正直あの時は無我夢中で、よく覚えていない。
「同志をかばってくれたんだってな。ありがとよ」
満面の笑みと共にばしばしと肩をたたかれ、俺は曖昧にうなずいた。
そうだった……か?
俺はあの時、あいつをかばった? どうして?
喉、が――
「でな、同志がお前さんを呼んでくれってよ。奥の部屋だ」
「わかった」と答えたつもりだったが、声になったろうか。
頭がぼうっとしたまま、俺は最奥の広間へと足を踏み入れた。
「やあ。おかえり」
あいつはなぜかむこう向きにたたずんでいて、肩越しに、伏し目がちな横顔を見せた。
「呼んだ、か」
「……どうしても君と2人になりたかったんだ」
「は?」
ぱんっ
冗談みたいな破裂音がして、腹部に衝撃と熱を感じた。
視線を落とせば赤く染まった自分の身体。もう1度目を上げて、あいつを見る。
「理由は、わかっているだろう……?」
あいつの手には見慣れた長筒。硝煙のにおいがここまで漂ってくる。
俺は震える手で腹部を押さえ、口の端を歪めた。
「なんだ……バレてたのか」
言うと、あいつは眉根を寄せた。
「残念だよ」
やめてくれ。なんでそっちが泣きそうな顔してるんだ。
ふと、あいつが怪訝そうに首をかしげる。無理もない。今さら襲ってきた痛みに耐えながら、俺はくつくつと喉を鳴らしていた。
「いいのか、こんなあっさり、ヤっちま、て」
「……」
「拷問でもして、情報をひきだす、とか」
「そうするべきだという者もいたよ」
あいつの表情は、自嘲するような泣き笑いに変わった。
「だけど、最後の判断は僕に任せてくれる、とも」
「は……どいつもこいつも、長生きしな……ッ」
胸がつかえるような感覚。そろそろ舌がもつれてきた。うまくしゃべれない。
その代わり、いつの間にか喉の渇きは収まっていた。
「何か言い残すことは」
あいつが銃を構えなおす。恐怖はなかった。あいつなら、あと一発で終わらせてくれるだろう。
俺はまっすぐにあいつを見た。
「ありがと、な。同志」
これでお前を裏切らずに済む――
神なんてものが存在するとして、今ならそっちにも感謝してやれそうだ。
そんなすがすがしい気分で、俺は目を閉じた。
END
そうじ たかひろさん主催の短編企画、『秋風月に花束を』参加作品です。テーマは「感謝」。裏テーマは「読者に少なからず驚きを与える」でした。よろしければ、ご意見、ドラスティックな感想等々いただけますと幸いです。