第七話 裏切りの真相 2
「お……前」
「緊張感の無い奴だな。隙だらけだ。なぁ、ハム?」
屍獅子だ。以前にレオと前に名乗った自分と瓜二つの顔を持つ人物は、意地悪く口の端を吊り上らせたまま銃口を向けたまま立っている。
相対してみて、改めて奇妙な感覚に捉われる。艶のある長髪は雨に濡れてより艶が入っていることより、恐らくつい先ほどここに着いたのだろう。ゆっくりと顔を上げてレオを見ると、俺と同じく黒く濁った瞳は、徐々に黒みが薄まっていた。前に会った時と変わったことといえばそれ以外にほとんど無い。
「何で……」
「貴様も鈍い奴だな。依頼主を調べたりしないのか?」
「その辺はあいにくと仲間が担当してるんでね」
「……まぁ、いい。お前も疑問に思っているだろうから、説明する。私が撃った奴は、私たちの組織からの裏切り者。だから処分した。そこに偶然お前が居合わせた。これが現状だ。分かるか?」
淡々と話すレオは、相も変わらず妙な威圧感がある。その威圧感にやや気圧されてしまいそうになりながら、負けじと睨みあげた。レオの言葉が真実であるかどうかは、今の時点では判断を下すことは出来ない。今はとにかくこの状況をどう打破するかを考えることが最優先だ。恐らくレオは、強い。
ふとレオの方を見ると、意地の悪い笑みは既に影をひそめ、あの時と同じようにつまらないとでも言うような顔だった。一体何を考えているのかは分からない。一挙一動に注意しなければ。
「先程の話はおおよそ聞かせてもらった」
その瞬間に息を呑み、ようやく声を発する。
「……なら、……どうする?」
銃口を向けたまま真正面から見据えた。どうやら今この場所で権限があるのはこいつのようだ。後ろから狙い撃ちにされるかと思ったが、今はまだ撃ってくる気配が無い。合図が出されなけば、仲間も撃てないということだろうか。
「どうせ貴様の事だ。現状しか捉えていないのだろう」
あの時と全く同じ台詞だ。しかし、一番こいつらにとって不都合な事を聞いてしまったのだから、今回も無事に帰してくれるというわけでもないだろう。戦闘になることは必至だ。こちらから動かなければ、こちらが死ぬ。そう思ってはいるものの、体はピクリとも動かない。
「この際だから、教えてやる」
レオが銃を下ろし、ゆっくりとした歩みで近付いてくる。頭ではどれだけ危険だ、と警鐘を鳴らせど、指は引き金を引くことが出来ない。視線も外してしまうと、次の瞬間にでも殺されてしまうような気がした。どうにも出来ない状況とは、こういうことかとぼんやり考える。
そういった状況でこそ、ぼんやりと考え事をしていはいけない。経験上、そんなこと、百も承知のはずだったが、ふと気がつくとレオは目の前にまで来ていた。慌てて銃を持つ腕を上げるのと、レオの口が動くのは同時だった。
「貴様は見限られたんだ」
その言葉が耳に入った瞬間に、何かが弾けたような音が耳の奥で聞こえた気がした。喉はすでに渇ききっている。長年恐れていた言葉が、ついに現実と化した瞬間だった。
組織に、見限られる。まさか、目の前の敵に告知されるとは。しかし、何故それをこいつが言うのか。
「な……何言って」
「奴を撃ったのは私だが、後ろの奴らは仲間じゃない」
「嘘だ……。そんな、馬鹿なこと」
「もう一度言う。貴様は仲間に見限られたんだ」
あまりにもあっさりと言い放つレオが、目の前にいる。耳に届く声は小声でもなく大声でもなく、ただ言い放ったレオはまるで機械のように淡々としている。悔しいが、レオの言いたいことは手に取るように分かった。
仲間はもう俺を疑っているのではない。殺しに来たのだ。詳しいことはまだ分からないが、それだけは十分に分かった。きっとレオもそう言いたいのだろう。しかし、それを信じたくはないが、逆にそうではないという証拠も根拠もない。
それなら、なぜ仲間は殺しに来たのか。その答えはきっと上から命令されたと考えると納得できる。仲間が殺しに来た。それはこの状況では疑いようが無い。もしや、あの時の発言が今のこの状況にさせたのだろうか。それは今は考えても分からなかった。
もう一つの疑問は、レオが嘘を吐いているのではないかという事だ。いくら奴に納得させる雰囲気があったとしても、真実だとは限らない。何らかの理由でそんなことを言っているのかもしれない。これは希望観念に過ぎないが、有り得ない話ではないはずだ。
どちらだろう。仲間は、もう信じてはいけないのか。それとも、まだ信じていても良いのか。
「貴様は昔から疑り深かったからな。信じていないのだろう?」
レオが一歩一歩を踏みしめるかのようにゆっくりと右側に回りこんでくる。それに合わせて身体を向けようとするが、固まったようにぴくりともしない。動くのは眼だけだ。そこでふと、レオの発言に違和感を感じた。
「……ちょっと待て。昔からって……俺はあんたを知らないし、見たことも無い」
「貴様はなくとも、私は覚えている。その身体になるまではな」
振り返って「どういう意味だ」と言いかけたところで、急に鳩尾に鈍い痛みが走った。突然の事で息が詰まり、思わず膝を折る。少女とは到底思えないほどの重い拳だった。
咳き込みながらレオに向けて銃を撃とうとするが、そこにレオの姿はなかった。慌てて辺りを窺うが、どこにも見当たらない。すると、大抵は後ろに居る筈だ。
「この野郎っ!!」
振り返ると、正にレオが飛びかかろうとしているところだった。手足を四つん這いにし、噛み付こうとする。何とかその攻撃を避け、その場所から慌てて離れて銃を撃つ。しかし銃弾はレオの肩を掠めただけで、勢いを殺すことはできない。とりあえず、距離をとらなければ俺の方が不利だ。
咄嗟にコートから閃光弾を取り出し、投げつけた途端に廃墟は光に包まれた。その瞬間を狙って廃墟の奥へと走り、二階へと駆け上がる。そして片手にナイフ、空いた手に銃を握り締めて柱に隠れた。仲間の奴らはレオのことを知っているのか、姿が見えない。多分どこかで俺が弱るのを観察しているのだろう。
「……くそ!」
二階は廊下だけの吹き抜けになっていて、一階をどこからでも見下ろせるようになっている。まだレオにはこの場所が気付かれていない筈だ。そう思って、雨漏りして濡れた廊下で音を立てないようにそっと一階を見下ろす。
思った通り、まだレオは忙しなく辺りを見回していた。しかしこの場所に気付くのも時間の問題だ。光も徐々に明るさを失いつつある。
一度柱の影に隠れ、息を吐く。どうも先程の言葉の意味が気にかかって仕方が無い。どうしてレオは俺の過去を知っているかのような口ぶりなのか。俺とは初対面のはずだ。それに、どうして殺しに来ている仲間は何もしてこないのか。実際はあいつの仲間であって、味方ではないのではないか。いくら考えても疑問は尽きる事がない。あまりにも情報が少なすぎる。再度小さく舌打ちをした。
どう、動けば良いのか。まるで見当もつかない。
「見つけた」
上からの声に、ばっと弾かれたように顔を上げると、口を大きく開けたレオがいた。歯が異常に鋭く尖っている。目も煌々としていて、闇の中に映える金色の瞳と目が合う。まるで名前の通り獅子のようだ。 慌てて左腕を顔の前まで持って防ぐのと、噛みつかれるのはほぼ同時だった。
「……っつ……!」
痛みのあまり、左手に握るナイフが手の中から滑り落ちる。カシャンという金属音が二階に響く。赤い血が腕を伝って、コンクリートに滴る。レオはそのまま左腕の肉片を噛み千切ると、再び肩口に噛みかかってきた。
「……っの野郎!!」
慌てて蹴りを繰り出し、レオを遠ざける。間髪いれずに銃を撃つが、素早い動きで避けられた。どうやら闘い慣れているらしい。だが、それにしては動きが動物じみている。素早さや体力面から鑑みても、このままでは、こちらに勝ち目はない。どうする。
レオが再び口を開けて襲いかかってくる。それを迎え撃とうにも、銃弾は悉く外れてしまった。これでは無駄に発砲することになる。今は何をどうすることが最適か。
「仕方ねぇ、よな」
逃げろ。そう直感が囁く。逃げよう。ここで無駄に体力を失うよりもよほど良い気がした。そうと決めれば、と、この場所から離れようと駆け出す。どう考えてもアレは人間じゃない。まともに闘って勝てる相手ではない。依頼者も殺され、組織からはまだ想像の範囲だが、見限られた。命があっての物種、というものだ。
背後からレオが凄まじい速度で追ってくる気配がする。しかし、もうすぐ階段だ。ここらでもう一度レオとの距離をとらなければ。そう思っているうちに、階段の一段目が見えた。
一段だけ下りてから、勢いよく振り返って銃を構える。見ると、レオが飛び跳ねたところだった。飛び掛ってくるつもりだろう。慌てずに照準を合わせようと見定めるが、背後から聞こえた声で集中力が途切れる。
その声は、いつかの弟の泣きそうな声だった。
「にいちゃん……」
幻聴であるはずなのに、どこか現実味を帯びている。不意に足元がぐらつき、心音がうるさいほどに聞こえ始めた。何だ、これは。自分の身に何が起こったのかも、分からない。やがて、世界が反転した。
階段から落ちていくその視界の中で、二階の最上段にある人の形をした影がレオの隣で揺らめく。その影はすぐに見覚えのある姿になった。あの影は、小さくて臆病で、既に死んでしまった弟だ。影だからシルエットでしか分からなかったが、弟だと分かった。弟がじっとその場に立って、見下ろしている。
「……レ……キ……」
思わず手を伸ばしていた。少しでも届くように。本物ではないと理解してはいたが、どうしても、今のこの瞬間だけは、本物だと信じたかった。そう思った途端に、弟の影の目元と思しきところから、一本の白い線が頬を伝う。おかしい。これは、どこかで見たことがあるような光景だ。どこだったか。
考えたのも束の間で、やがて影である弟の口元が動いて、声が飛び出してくる。
「どうしてまもってくれなかったの……?」
悲痛な声だ。目を見開く。その瞬間、視界が真っ赤に染まった。やがて、鋭い痛みが襲いかかる。
しばらく何が起こったのかが分からなかった。だが、自分が横になっていることと、身体中に痛みがあるのは分かる。血も流れてしまって、視界は赤い色に占拠されてしまった。
「う……っ」
目をゆっくりと動かして辺りを窺う。同時に床に転がった手の指を動かしてみる。右腕の小指と中指は動くようだ。このまま動かせば右腕は動かせるだろう。左腕はまだ時間がかかりそうだ。しかし、あまり力は入らない。視界も赤から元に戻りつつある。
その時、床についている頬を一筋の血が伝った。床は出血したせいか、ほんのりと温かい。そのことに気が付いた途端に、更に激しい痛みが上から降ってきた。まるで人が降って来たような重みだ。
「どうだ。狩る側から狩られる側になった気分は?」
レオがうつ伏せになった俺の体の上に、器用に着地している。動く範囲で精一杯に睨みあげると、レオの金色の瞳が爛々と輝いていた。その表情は今までとは打って変わって、楽しげだ。レオの喉が小さく鳴り、不敵に笑ってみせる。すると、急にぐっと顔を近づけ、小さな声で話しかけてきた。
「おい。……お前と話がしたい。場所を移動するぞ」
「随分と荒っぽいんだな」
「何だ。知らなかったのか。百獣の王は凶暴だということを」
「屍、がついてるくせによく言う」
鼻で笑うと、すかさずレオが脇腹に蹴りを入れた。本人にとって軽くいなしただけだろうが、実際には不意打ちを食らったようなもので、落下したときよりも痛い。内臓の一部があの一蹴りでへこんだような気がする。たまらず顔を痛みに歪ませ、体をくの字に曲げた。
「よく状況を飲み込めていないな」
「……ぐ……ぅ……」
「死ぬなよ。片付けが面倒だ。それにお前の仲間が襲ってくるかも分からん」
「…………」
出血がひどいのか、頭に靄がかかったようで、視界もさほど明るくは無い。聞こえるのは自分の呼吸と心臓が脈打つ音、そして遠くから聞こえるレオの声だ。
「……ぃ……聞い……のか?」
時間が経つごとに大きくなる呼吸の音と心臓の音が重なり合い、気持ちが悪い。吐き気や頭痛もする。それでも、意識は飛びそうで飛ばなかった。普段ならここで「裏」が声を掛けてくるのだが、今日に限って現れない。
「な……んで……出な……?」
「あ? 何言って」
「何で……こんな……時に……っ!」
『止めろ。話すな』
頭の中で声がしたかと思うと、急に体が熱を帯びだした。続けて鈍い頭痛が頭の中で鐘を打ち鳴らしているような感覚や耳鳴りが襲ってくる。頭痛は今までの痛みよりも更に強く、まるで何かを警告しているようだ。
堪らずに小さな呻き声が口から漏れる。息がしにくい。レオが何かを言って肩に触れるが、最早その声も聞こえなかった。視界も更にぼやけて明るさすらも失い、意識も朦朧としてくる。
ふと、投げ出された左腕に違和感を感じて、無意識に握り締めているものに目を向けた。
「……っ!?」
思わず、小さく息を呑んで目を見開く。そこには小さな自分の頭があった。
「な……?」
いきなりそれが振り向いて更に驚く。顔は自分のものと全く違わないが、弟の表情を真似していた。
自分によく似た弟。
弟なのに、弟じゃない。
見慣れたこれは何だ。
これは、自分だ。
「……ぁ……あぁ……」
俺は、ずっと俺を見ていたのか。弟なんて、いなかったのか。俺は、今まで俺と過ごしてきたのか。
「あああ…………!」
それなら、俺のしてきたことって、一体なんだったんだ。
「ぅあ……あああああぁぁぁあああぁああ!!」
怖い。怖くてたまらない。咄嗟に頭を抱える。あれは、誰だ。
声が枯れるまで叫び続け、頬が少し濡れる。頭痛も気にならなくなり、ただ恐怖だけがそこに残る。
そして、首筋に刺されたような痛みと共に意識は消え失せた。