第七話 裏切りの真相 1
だいぶ時間が経過しての投稿になります。ほぼ自己満足に近いので、よんでくだされば、幸いです。
雨が降っている。冬になってから初めての雨だった。信号が赤になり、バイクにブレーキをかける。前を見ながら、コートのポケットにしまいこんでいた依頼状を確認しようとすると、依頼状のところどころに染みが出来た。そんなことは気にせずに、小さくぼやいた。
「どうにも……胡散臭いよなぁ」
内容は、この稼業ではさほど珍しくも無いものだった。ある組織のボスの暗殺だ。それ自体には何の問題はない。問題はこの状況だった。
どういうわけか、後方でつかず離れずの位置に仲間の一人がずっと付いて来ている。最初は同じ方向なだけかと思っていたが、どうもそういうことではないようだ。上に俺を監視するように命令されたのか。はたまた別の理由か。可能性としては恐らく前者だろう。でなければ、俺のあとについてくるメリットなんて一つもないはずだ。
また、「オリオン」についてマスターに聞いてから、上の態度も急変した。この二つは何か関連しているのだろうか。
とりあえず今は後ろの仲間が問題だ。
監視するだけなら別に構わない。しかし、仕事の邪魔になるようなら問いただす必要がある。まさかそこまでするとは思えないが、相手の目的が分からない以上、慎重に行動しなければならなかった。
少し霧がかかった先の信号が青に変わった。アクセルを握りしめ、目的地へと向かう。場所はアエシュトシティK-5、ボスの暗殺と小さく呟いた。「仕事がきた以上、後はそれを成功させることしか考えないようにしろ」と昔よくスクラッチが言ってた。「余計な事を考えていると死に繋がる」とも。
だけど、と思う。
だけど、仕事を回してくる身内が信じられない時は、どうすればいい?
仲間は仲間だ。いくらその仲間を裏切る覚悟は出来ていても、きっと俺はいざとなったら仲間を殺せないだろう。
本当は殺したくないし、この仕事だって請けたくない。しかし、請けなければ役立たずとして処分される。目的も果せずに死ぬのはもっと嫌だ。
そのためには仲間を裏切るしかなかった。どちらにせよ、何か一つを成し遂げるには嫌なことをしなくてはならない。そのことが歯がゆくて、悔しい。
『おい』
「……」
『おい、ブラコングズ虫』
「…………」
『グズ、馬鹿、間抜けのおたんこなす。あんぽんたんのつくだ煮!』
「……うるせぇな。誰がだ、誰が!!」
『着いたぞ』
ふと気がつくと、目的地へと既に入っていた。この地区は隣の「インマーレ」という国に密接に関係している場所だ。
「インマーレ」は国と言っても大地の殆どが荒れ果ててしまい、国というよりは戦場に近かった。建物はすでに廃墟と化し、草木は一本も生えていない。その国の隣である所為か、この地区も大半が廃墟である。
この地区のどこかに依頼主は居る筈だ。すぐに辺りを見回すが、人の気配はしない。いつの間にか尾行していた仲間の姿も無かった。雨が激しさを増す。適当にその辺の廃墟の中に入った。そこでようやく雨の音が少し遠ざかり、冷たいコンクリートに水溜りが出来る。思っていたよりひどい雨だ。少し伸びた前髪を右手で掻き揚げる。
『うっわ、キザ。キモ。バカだろお前? バーカ!!』
「やかましい」
『マジ引くわ~』
「俺に引いてどうする」
『ケッ。お前なんか俺じゃねぇし』
「前言ってたことと矛盾してんぞ、オイ」
『俺、前だけ生きてっから。んな昔の事覚えちゃいねぇよ、ターコ!!』
「……疲れるな、お前と話すの」
『暇が潰れていいだろ?』
「いいや」
すると、どこかで誰かが砂を踏む音がした。咄嗟に体勢を低く構え、コートの内側にある銃へ手を伸ばす。そして素早く視線を彷徨わせた。
足音がした位置からして、恐らくこの手前の階段の上がりきった柱からだろう。殺気はそれほど多くは無い。
やはりこれは罠だったのだろうか。しかし、この前の発言だけで処分するというのはいささかおかしい気がする。ほかに一体どんな理由があるのだろう。オリオンに何かこちらの秘密があるというのだろうか、或いは思い過ごしなのか。
とにかく、この状況を打破しなければどうしようもない。柱に向かって怒鳴った。
「おい、依頼主か?」
何の返事も無い。自分の声だけが廃墟に響いただけだ。もう一度問いかける。
「俺はあんたの依頼を引き受けに来た。だが、このまま出てこないというのなら、俺にも考えがある」
「……分かった」
随分としゃがれた声だった。しかし、柱の影から出てきた姿とはまるで一致しない。
そいつは見た目からすると三十代後半といったところで、到底先ほどのしゃがれ声とは想像がつかなかった。目つきが鋭く、悪賢そうな印象を受ける。大分後退しつつある髪が少し寂しげな感じを出し、ここまで悪そうな顔は初めてだった。
「あんたか。依頼主の……」
「ジャノックだ」
「そうそう、そんなの」
「お前がハムとやらか」
「……お前でいい」
実際に名乗り上げるのは面倒で恥ずかしかったため、そこは敢えて伏せておいた。もう一つ言い訳をするならば、素性が知られるといろいろと厄介な事になるからだ。どうも親父のネーミングセンスは皆無に等しいようだ。
と、そこでジャノックが出入り口付近へと目をやった。
「ところで誰かいるのか?」
「いや、あいにくと一人だ」
「ならお前は一体誰と」
「独り言だ、気にしないでくれ。……それで、依頼は?」
面倒臭さを感じ、手早く仕事の話を持ち出す。だがジャノックは「そう急くな」と手で制し、上を見上げた。
「ハムよ、こんな話を知っているか」
「……何だよ」
話の内容は、大体こういった感じのものだった。雨がそのころから激しく降りだしたため、しゃがれ声は掻き消され、詳しいことは聞き取れなかった。
昔、ある一人の女が特殊な力を身につけた二人の子に出会った。その二人の子はその女に知恵と不死の身体をもたらし、いつも側にいた。女はその子を可愛がっていたし、二人ともその人のことが好きだった。
しかし、ある時女は一つのことに気づく。子供は何年経っても子供の姿だった。女が次第に老いていくのに対し、二人はようやく少年になった頃といった具合だ。
そんなある日、とうとう女は死ぬことも出来ずに、地下の奥深くで眠ったきり起きてこなかった。
二人はしばらくの間その人の側に居たが、突然いがみあう様になる。そしてとうとう二人は地下から地上へと出て行き、今もどこかで生きている。
ジャノックはそこまで言い終えると、深い溜め息のような息を吐いた。そして静かにこちらを向く。何が言いたいのかさっぱり分からずに、少したじろいだ。
「だから、何だよ?」
「二人のうちの一人は、オリオンのボスだ。ちなみにこの話は今から二百年前のこと」
あまりにも思ってもいなかった言葉に、一瞬呆気にとられる。やや遅れてから「は?」と反応を返すのが精一杯だった。
ありえない。二百年も人が生きていられる筈がない。それに不死の身体などはもっと信じられなかった。というよりもいきなりそんな話をされても困る。信じてたまるか。
すると、ジャノックはあらかじめ想像していたようで、小さく溜め息をつく。
「まぁ、信じなくてもいい。ただ、そんな奴だから気をつけろと言いたかっただけだ」
「むしろあんたじゃないのか?」
「あいにくと不死の身体という訳ではないし、そこまで知恵も無い」
「……じゃあ何で」
「殺して欲しい相手を調べるのはそんなにおかしいことではないだろう」
「待てよ。不死なら死なねぇじゃんか」
そこでジャノックが何かを考えている様子でぼそりと呟いた。
「奴にも何かしらの弱点はある」
「……で、殺し方は?」
「そっちの自由でいい。とにかく奴を殺してくれ」
「殺す理由はあるのか?」
「ある人に頼まれた」
「ある人って?」
そこまで聞くと、ジャノックの鋭い眼が更に鋭くなり、こちらを見据えてくる。大方口止めでもされているのだろう。決まりの悪い顔をしたジャノックは、吐き捨てるように「そこまで聞かなければ仕事は出来ないのか」と言った。
「……別に。気になっただけだ。仕事はする」
「フン。期待を裏切らなければ、それでいい」
そう言う割に、ジャノックはなかなか視線を外そうとしない。ここで先に視線を逸らせば、一気に信用を失うだろう。理屈ではなく直感でそう感じた。
ジャノックの眼は、例えるならば研ぎ澄まされたナイフだ。その先端は今にも身体の奥深くまで突き刺さり、何か大切なものを傷つけるようだ。成す術もなく、ただ刺されるしかない。そんな印象がジャノックの眼で感じた。
きっと、これは感情で言う恐怖、なんだろうな。自分のことなのに、まるで他人事のように思われる。
「聞けばお前、この仕事が嫌いなんだとな?」
「……それでも仕事はちゃんとする」
「嘘をつけ。失敗しかけた事があるじゃねぇか」
一瞬にして背筋がひやりと冷たくなった。弟との最後の仕事のことを言っているのか。しかし、あのことは仲間内でも知られていない筈だ。親父が上手くもみ消したんじゃなかったのか。知っているのは仲間の四人だけだ。あいつらが話すとは到底思えにくい。……たった一人だけ、喋る可能性が高い奴もいるが。
戸惑う雰囲気を感じたのか、ジャノックが鼻で笑い、口を開く。
「悪いが、調べさせてもらった。こう見えて慎重な性格なんでな」
「あんた、石橋を三回叩いても渡らないタイプだな」
「何とでも言えよ。けど、まぁ……。興味深い内容だったな。母親の顔も知らずに、ただ仕事だけの毎日。よくも発狂しないもんだ」
「……感覚が麻痺しているだけだ」
それに、弟がいたからだ。その言葉が喉まで出てきて、必死で飲み込んだ。いくら何でも我ながら女々しいなと思う。そこでふと気付いた。ジャノックの言葉を借りれば、俺はもう狂っているということなのだろうか。普通、とはどういうことをいうのだろう。
すると、ジャノックがじっとこちらを見つめたまま、口の端を引きつらせた。嫌な笑みだ。
「お前、この仕事に向いてんじゃねぇのか?」
「……っ!?」
それを聞いて、ゆっくりと身体の奥底から炎が燃え上がった。それは熱いというものではなく、むしろ冷めたものだった。自然と身体に力が入り、気のせいか耳元で川のような水が流れる音がする。
ああ、俺は怒っているんだ。こんな時でさえも、まるで他人事だ。
「……仕事内容は、把握した。話は以上だな?」
「まぁ、待てよ。もう少し話しようぜ」
「何も話すことはない。こちとらそんなに暇じゃないんでね」
これ以上話していると、ジャノックをうっかり殺してしまいそうだ。ジャノックを殺す。それは依頼を破棄したのと同じことだ。せめて依頼をこなしてからでないと、正式には依頼成功にはならない。また、依頼の途中で依頼主が傷ついたり、死んだりすればこれもまた破棄したことになってしまう。それが組織の最低限の掟だ。
深い溜息を吐き、不意に背後から人の気配がした。慌ててジャノックを庇う位置に立ち、周囲を警戒する。気配からして、人数は数名で割と近くに居るようだ。一体いつの間にこんな近くに居たのだろうか。
「どうした?」
「静かに。そのまま真っ直ぐ出口に向かえ」
「何だよ? 一体何が」
「囲まれてるんだよ、俺たち」
途端にジャノックの表情が強張った。キョロキョロと辺りを見回し、汗が頬を伝っている。ちらとジャノックの様子を見てから出口までの歩数を数えた。
ざっと見たところ、三十歩だ。一人で出るのなら簡単だが、少しでも落ち着きがなくなった奴を連れて出るとなると多少困難ではある。
「俺が合図をする。それに合わせて走れ」
「……わ、分かった」
ジャノックは唾を飲み込み、出口を見据える。それを確認した後で、改めて敵の位置に集中した。ここから見て左右の柱に二人、左斜め後ろに一人、二階に上がって丁度真後ろに当たる柱に一人。他にもいるのだろうが、今はこの四人が問題だ。
「一、二……」
ジャノックの背中に自分の背中を向け、敵と向かい合う態勢になる。コートの内側にあるポケットから銃を取り出した。やられてからやったのでは遅い。ここは先手必勝だ。
「三!!」
思っていたよりも素早い動きでジャノックが走った。と、同時に発砲音も廃墟に鳴り響く。素早く銃口を音の場所に向けて、撃ち返した。敵の銃弾が両脇をすり抜け、側にあった壁にめり込む。
まずは、左右の柱に向けて銃を撃つ。続けて天井にあった照明を撃った。かん高い音と共に頭上からガラス細工の破片が飛び散り、辺りに闇が立ち込める。これで相手と同じ状況になったはずだ。この間にジャノックが逃げ切れれば良いのだが。
振り返って出口付近を見ると、正にジャノックが出て行こうとしているところだった。急いでその後を追おうとして、駆ける足を速める。
そして、ある事に気付いた。ジャノックの前方、出口に誰かが立って居る。その誰かは、ゆっくりと黒い見慣れた銃口をこちらに向けていた。そうだ、誰か他にもいたのだ。
「しゃがめ!!」
慌ててジャノックに警告して銃を向けるが、もう遅い。乾いた音とジャノックが倒れるのはほぼ一緒だった。倒れたジャノックは小刻みに痙攣していたが、やがてその痙攣も治まり、瞳孔が開きだす。それでもジャノックは自分の血にまみれながら、必死に呼吸を繰り返していた。残り僅かな「生」に必死でしがみついている。その時だけぼんやりとそんなことを考えた。しかし、それも二発目の弾丸で完全に動かなくなった。嘲るような声がする。
殺されたのだ。そんな単純な事しか頭に思い浮かばなかった。
が、すぐに思い直して、銃をその撃った奴に向ける。殺さなければ、俺が殺される。だから撃たなければならなかった。しかし、相手の声を聞いてから、引き金を引くための指は全く動かなくなった。嘲るような声がする。
「呑気なものだな、ハム」
どこかで聞いたことのある声だ。あまり想像はしたくないが、現実は甘くない。
一番、会いたくない奴が目の前に現れた。