第五話 愚者の告知 2
「はぁ……逃げてばっかだな、俺」
煙草の自動販売機にコインを入れ、毎度おなじみのボタンを押す。ガコンとこれもまた毎度おなじみの音を聞き、取り出し口から煙草の箱を取り出した。早速その箱を開けて煙草を一本取り出して火をつける。そして煙草を思いきり吸い込んでしまった。
少しの間むせる。やがて乗り気ではなくなり、吸いかけの煙草を携帯灰皿にしまう。やはり煙草はまだ慣れないようだ。顔を上げて、空を見る。どうやら夜が明けて間もない頃のようだ。空は真っ白で、雲一つない。太陽が赤く燃えている。ここでは太陽が、作られた偽物ではない、本当のものとして存在していた。
近くの土手へ行き、その河原に寝そべった。家にいても、友人といても苦しくなる。しばらくは何も考えたくなかった。しかしそう思えば思うほどそれは困難なことになり、あの日の夢をもう一度思い出してしまった。
もう二度とあんな思いはしたくない。そう思って人付き合いを自ら断ち、人から遠ざかるようにしていた。それなのに。また大切なものがいつの間にか出来てしまっていたこの現実は何なのだろう。その現実は時として助けにまわってくれたりもするし、逆に苦しめるものともなる。本当のことを言ってしまえば楽になれるのだろうが、それが言いづらかった。もし、言えたとしても、それは俺を楽にさせるだけで、あいつらには何のメリットも無い。ただの自己満足だ。それで哀れみを受けるのは嫌だった。何より、離れてしまったらどうしよう、という不安の方が大きい。
「どうしたら、いいんだろうなぁ……」
遠い目をして川の向こう側を見つめる。その時だった。隣に誰かが座ったのは。
「呑気なものだな、ハーフムーン」
見知らぬ女性だった。少し大人びた印象で、黒く、綺麗な艶のある長髪をしている。自分より少し年上の少女だろう。しかし、驚いたところはそこじゃなかった。
顔や声が全く同じだった。性別の違いも大して少なく、かろうじて相手の方が少し高い声であるだけで、後は同じだ。空気の温度が徐々に低下していくのが肌を通して分かる。
「あんた、誰なんだ?」
「緊張感の無い奴だな。隙だらけだ」
「答えろ。誰だ」
「……レオだ。オリオンでは屍獅子と呼ばれている」
あっけらかんと素性を明かした少女は、レオと名乗った。名前まで一文字ぐらいの違いだ。
「オリオン……」
「忘れたわけではないだろう。シェン・衛遠と言えば分かるか? ん?」
「何故こんな所にいる」
「さぁな、貴様自身に聞け」
「何の用だ」
「分かってるんじゃないか?」
「生憎とエスパーじゃないんでね」
「察しぐらいはつくだろう」
「まぁな」
静寂が河原に訪れ、空気が張り詰める。幸い銃はコートのポケットにある。いつでも抜くことは可能だ。しかし、先程の会話からでもレオという少女は、並みの腕ではなさそうだ。この緊迫した状況を前にして、異様に落ち着き払っている。ただの考えなし、というわけでもなさそうだ。
「どうせ貴様の事だ。現状しか捉えていないのだろう」
「……どういう意味だ」
「忘れるな、シェンとメノウを。あいつらのような超能力者はオリオンに腐るほどいる。あいつらは執念深い」
「……あんたは一体何が言いたい?」
「せいぜいお仲間を大切にするんだな」
そう言われてはっとなった。まだあいつらは俺の家だ。もし敵が来ても追い払うだけの力はあるだろうが、大勢で迫られたりしたら苦戦することは必至だろう。焦りを表情に出さずに、何でもない素振りを見せ続ける。
「へぇ。俺があいつらを助けに行くって思ってんの?」
「どうかな……私は思わん。が、この前のことだってある」
「フン。ま、どっちにしろ無意味だな」
立ち上がり、身体についた砂埃を叩き落とす。表ではどうにか平常心を保っていられたが、本心では今すぐにでも駆けつけたかった。しかし、ここでそんな素振りをみせれば、あっという間につけこまれてしまう。
「ついてくるか?」
「いや。興味が無い」
「なら何故ここに」
「まだ分からんのか。散歩だ」
レオはつまらなさそうにそう言い放つ。そう言うのなら、そうなのだろう。敵ながら何故か妙に納得してしまう印象がレオにはあった。まるで俺のことを昔から知っているようだ。妙な親近感を覚えて仕方が無い。
ゆっくりと土手から離れていき、レオの姿が見えなくなったところで走り出す。背後からは追ってくる気配は感じられなかった。