第五話 愚者の告知 1
目を開けるといつもの見慣れた天井があった。あの特徴がある染みが視界に入る。そこでやっと自分の家だと分かった。無意識に拳を作っている右手をゆっくりと開く。じっとりと汗ばんでいた。どうやらうなされていたらしい。汗をかいて火照っている身体をゆっくりと起こすと、アルシャル、シアン、椎羅がそれぞれに行動していた。
椎羅は勝手にテレビをつけて、流行となっているドラマの再放送を見て号泣している。内容はドキュメンタリーので、母親と娘が手を取り合っているベタなシーンだった。アルシャルはというとノートパソコンに向かってにらめっこをしていた。いつになく真剣な表情で、画面を凝視している。額にはうっすらと汗が浮かんでいた。一方でシアンは、最近覚えたという花札で占いをしている。仏頂面で黙々と占いをしている姿はどこか可笑しかった。アルシャルと椎羅はともかく、シアンは一体どこからそんな物を覚えてきたのだろう。
三人のあまりにも自分勝手な行動に唖然としていると、台所から詩衣が出てきた。
「お待たせ〜。あ。レイ起きたの?」
詩衣は冷蔵庫に入っていた食材で料理をしていたのだろう。食事をのせたおぼんを片手で持ち、空いた片手にはスルメを持っていた。つい先日、つまみにと近場で買ったばかりの品である。
「あ。レイ、お早……あ! あ〜あ」
アルシャルの手元にあるノートパソコンが間延びした音を上げた。どうやらマインスイーパーをしていたようだ。椎羅もその声につられてこちらを見る。既に椎羅の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。詩衣が「ほら、顔拭きなさいよ」とティッシュを数枚渡すと、そこでようやく占いに没頭していたシアンが顔を上げる。相も変わらず険しい顔だ。気付かないうちに深いため息を吐く。そうしてこの状況で一言呟いた。
「……何なんだお前らはよ」
「それは、こっちの台詞だ」
シアンがいつものようにぶすっとした顔でこちらを見つめる。シアンに見つめられると、何か心の奥底まで見られているようで昔から怖かった。慌ててさっと目を逸らす。別にやましいことはこれっぽっちも無いが、何故だかいたたまれない気持ちになる。
「まぁ、まぁ。まずはご飯食べよ?」
「お。うまそう!!」
「ったりめーだろ。姉貴のはオレの母さん直伝だからな」
「え。じゃ椎羅のは?」
「親父だよ」
「ああ……」
「……何だよ。その、妙に納得した顔は」
「いや、どうりでって思ってさ」
「てめぇ!!」
「だ、だってそうじゃん。親父さん、家でも指折りの味オンチで……」
「うるせぇこの野郎! ちょっと表出ろやコラァ!!」
椎羅が激しくちゃぶ台を叩き、アルシャルの胸倉を掴んだ。どこかで見た様子だった。そのどこかは思い出せないが。ふとシアンがいた方向を見るが、シアンがいない。あれ、と思い、またちゃぶ台に視線を戻す。
居た。早速茶碗を手に持って、ちゃぶ台に並べられているおかずに手を伸ばしていた。
「二人とも。そういうことはご飯食べてからにしなさい。さ、アル君も席ついて〜」
「……ん」
「うん!」
いそいそと椎羅から逃れたアルシャルは、シアンの隣に座って同じ様に茶碗と箸を持った。と、そこで椎羅が回り込んでシアンの隣に座る。わざわざそうしなくてもアルシャルの隣も空いてるのに。そう思って椎羅に聞いてみようと口を開け、閉じた。
そういえば、いつも椎羅はシアンの隣に座ることが多い。時々シアンの横顔をじっと見ていたこともある。以前そのことについて聞いてみたが「うるせぇ」の一言で済まされた。以前はそんな様子は一切無かったが、ここ最近よく見かける。どうしたのだろうか。
「何ぼさっと立ってんの、レイ。あんたも座りなさい」
「あ……ああ」
不意に気を失う前のことを思い出し、きまりが悪くなった。と、同時にここにいる奴らに疑問が浮かぶ。
何故、いきなり首を絞めた奴のことを怖がっていないのだろうか。弟のことはアルシャルに、それもまだ生きているときの事しか教えていないのに、何故椎羅が知っていたのか。これは恐らくアルシャルが喋ったからだろう。それは安易に想像できる。
しかし、突然首を絞めた理由は分からない筈だ。理由が分からないと、人は恐れを抱く。よしんば恐れを抱いているのだとしても、大抵の人はこうも親しげには接さない。何故だろうか。
「あ、ようかんゲーット」
「あー! それオレのだぞ、バカアル!!」
「へへー、頂きっ!」
「くそっ! このヤロウッ!!」
「うわっ! 刃物禁止!!」
「うっせぇ!!」
「二人とももうちっと落ち着いて飯食えよ」
「だって椎羅が〜」
「ならオレのようかん取んじゃねぇ」
「はいはい、ケンカしないの。椎羅も。ほら、ようかんあげる」
「む〜」
まるで微笑ましいどこにでもありそうな家庭風景だった。いつも本を読んで憧れていた風景が、今ここにある。それでも自分だけが場違いなようだった。というより入ってはいけない気がした。理由の一つに、幼い頃から食事はいつも独りだった、ということもある。それだから余計にこの雰囲気は慣れないものだった。所詮は憧れだ、と諦めていたのに。それがいとも簡単に仲間によって再現されている。まるで演劇のようだ。
「……なぁ」
「あとこれっと……ん? 何、レイ」
幸せそうな顔のアルシャルは、明らかに季節はずれな栗きんとんを頬張りながらこちらを見る。その表情がかえって胸が痛んだ。俺は今一緒にいてくれる仲間を、疑っている。そんな自分が嫌だった。
言葉を発するのを躊躇っていると、シアンが空になった茶碗をちゃぶ台に置いてじっと見つめてきた。余計に苦しくなって少し目を伏せる。
「お前ら……俺が怖くないのか?」
瞬間に部屋の中が静まりかえった。取り繕うようにして口を動かす。
「だって、俺は仲間に……手をかけちまったんだぞ。それなのにお前らはいつも通りって顔をして……何なんだよ。怖くねぇのか?」
ぎゅっと拳を握った。もう話すのも苦痛になってきた。もしかしたらこの質問は自分が安心を得たいだけにしているのではないだろうか。みんなの優しさに甘えたいが一心でこんなことを言っているのかもしれない。いや、きっとそうなんだ。俺は安心したいんだ。そんな考えが更に追い詰めていく。心臓が大きく脈打つのが聞こえてくる。
「バカかお前」
シアンが呆れた声を出した。驚いて顔を上げると、シアンはいつものぶすっとした表情ではなく、真剣な顔をしている。
「別にお前がどう思おうが勝手だが、俺は少なくともお前のことを理解しているつもりだ。お前はいい奴だしな」
違う。
「オレはああいうの慣れてっからどーってことねぇよ。それにお前なんか怖くねぇし」
違う違う。
「僕なんて出会った時からそれだ。昔と比べたら、丸くなったほうだよ?」
違う違う違う。
「そうそう。私たちを信用するなんて前のあんたなら考えられないもんねー」
違う、違う、違う、違う!そうじゃないんだ。もっと醜いんだ、俺なんて。昔と何一つ変わっていない。だって今もお前らのことを疑っているんだから。いい奴なんてものじゃない。信用したいけど、それが出来ないんだ。自分自身も信用できない。昔より辛くて、みじめなんだ。そう言いたくてたまらない。だけど、言えなかった。
「……悪ぃ。ありがとな」
右手で胸を押さえて、笑って見せた。こいつらは決して悪気があって言っているんじゃない。本気で心配してくれているんだ。それぐらいのことは分かる。だから感謝の言葉をついた。この汚い本心が見抜かれぬように、嘘を吐く。そうしたら、次第に息が苦しくなってきた。
「あ。煙草切れてたんだっけ」
「じゃあ俺が買ってくるよ」
「いいよ、自分で行くから。てか子供扱いすんなよな」
そう笑って誤魔化すと、悟られないようにいそいそと側にあったコートを着る。そしてその場を逃げるようにして外に出た。その時のシアンの刺すような視線が痛かった。