宙に浮く穴と、放課後のフォルテシモ 〜吹奏楽部員カンナ、異世界で音魔法を奏でる〜
### 第1章:放課後の静寂と、浮遊する「穴」
私の名前はカンナ。どこにでもいる、ちょっとだけ――いや、自分ではかなりだと思っているけれど――音楽に熱すぎる、ごく普通の高校二年生だ。
私の生活は、五線譜と音符、それから楽器のリードのコンディションだけで回っている。担当楽器はアルトサックス。吹奏楽部でのあだ名は『爆音のカンナ』。本人は「豊かな響き」と言い張っているけれど、顧問の先生からはいつも「カンナ、そこはフォルテであってフォルテッシシモ()じゃないぞ!」と叱られる。
音楽に関しては誰よりも一生懸命頑張っている自負がある。けれど、その情熱が反比例するように、勉強の方には全く向いていない。
すいません、見栄を張りました。気にしてはいるんです。テスト前は机に向かうし、教科書だって開く。けれど、数学の公式はいつの間にか複雑な対位法に見えてくるし、英語の長文はオペラの台本にしか見えない。結果、三十分後には意識が飛んでいる。
もう、諦めていると言ったほうが正しいかもしれない。
そんな私が、なぜ今、こんな奇妙な語りをしているのか。
それは、私の目の前に「それ」があるからだ。
場所はいつもの通学路。住宅街の角を曲がった、何の変哲もない路地。
そこに、直径二メートルほどの巨大な「穴」が浮いていた。
地面に空いているんじゃない。空中に、まるで空間がそこだけ切り抜かれたように、ぽっかりと黒い円が浮かんでいるのだ。
「これって……私がバカだから知らないだけで、最近の物理学では当たり前の現象なのかな?」
一瞬、昨日の物理の授業でそんな話をしていたような気がしたが、そもそも寝ていたので確証はない。
穴は不気味なほど静かだった。けれど、音楽バカの私の耳は、その奥からかすかな「響き」を拾った。
それは、どの楽器でも出せないような、透き通った倍音の塊。聴いたこともないような美しい和音。
「……入ってもいいのかな? まあ、いいよね。面白そうだし」
持ち前の楽観主義と、未知の音への好奇心が恐怖を塗り替える。私は重たい通学鞄を抱え直し、一歩、その闇の中へと足を踏み入れた。
### 第2章:空間のはざまと、謎のおっさん
穴の中は、上下も左右もわからない、光が波のように揺らめく不思議な場所だった。
浮遊感に身を任せていると、遠くにぼんやりと人影が見える。
「すいませ〜ん! 誰かいますかー!」
私が叫ぶと、その影が近づいてきた。現れたのは、よれよれのローブを纏った、どこか隠者風のおっさんだった。彼は空中に胡座をかいた状態で、じろじろと私を観察した。
「ん、なんだい? 人間の子か。こんなところに迷い込むなんて、よほど運が悪いか、あるいは……」
「ここ、どこですか? 渋谷とかじゃないですよね?」
「ここかい? ここは『空間のはざま』。次元と次元の縫い目のような場所さ。ところで君、面白い力を持ってるね」
おっさんは私の鼻先に顔を近づけた。
「面白い力?」
「ああ。君の魂は、常に一定のリズムを刻んでいる。音楽という形のないエネルギーを、無意識に魔力と結びつけているんだね。君なら『音魔法』が使えるはずだ」
「おとまほう? 魔法って、あの……炎が出たり杖を振ったりするやつ? あの、すいません。変な宗教の勧誘とか、怪しいサプリの販売なら間に合ってます。私、バイト禁止の部活に入ってるんで、お金ないですよ」
私が警戒して鞄を盾にすると、おっさんは可笑しそうに笑った。
「勧誘じゃないさ。これは君自身の才能だ。ただ、ここを通ってしまった以上、君のいた世界――日本だっけ?――にはすぐには帰れない」
おっさんの説明は衝撃的だった。
どうやら私は、この先の世界にある『帰還石』という秘宝を見つけない限り、元の世界に戻るゲートを開くことができないらしい。
「進まないと帰れない、か。……まあ、次の数学の小テストを受けなくて済むと思えば、それもアリかな」
私は、次元の狭間にいながら、自分の適当さに少しだけ呆れた。
### 第3章:異世界の森と、初めてのセッション
おっさんに送り出された先は、見たこともない巨木が立ち並ぶ深い森だった。
空気は澄んでいて、どこか甘い花の匂いがする。
「よし、とりあえず出発進行!」
私はサックスのケース(なぜか鞄の中に入っていた)を背負い直し、草をかき分けて進んだ。
しかし、異世界は甘くなかった。
ガサリ、と草むらが揺れ、体長三メートルはあろうかという巨大な牙を持つ狼――ワイルド・ウルフが現れた。
「ひえっ、本物!? 待って、私、動物とは仲良くしたい派なんだけど!」
狼が低く唸り、私に飛びかかろうとする。
その瞬間、おっさんの言葉を思い出した。
(音魔法……音を操作する魔法……!)
私は咄嗟にサックスを取り出し、マウスピースを咥えた。リードを湿らせる暇もない。
イメージするのは、コンクールで一番緊張する瞬間の、あの突き抜けるような高音。
「いっけええええ!」
渾身の力で吹き鳴らした。
――『パァァァァァン!!』
ただの音じゃない。ベルの先から放たれたのは、目に見えるほどの衝撃波。
空気が物理的な壁となって狼を叩き飛ばす。狼はキャンと悲鳴を上げ、森の奥へと逃げ去っていった。
「……え、今の、私? 凄くない?」
自分の肺活量が、文字通り「物理攻撃」に変わった瞬間だった。
私はその後も、襲い来るモンスターを音のバリアで防ぎ、高い周波数の音で追い払いながら、森を抜けていった。
音楽の基礎練習が、これほど役に立つ日が来るとは思いもしなかった。
### 第4章:音楽の都と、仕事と、揺れる心
森を抜けた先に広がっていたのは、白亜の塔が立ち並ぶ美しい都『ルミナス』だった。
この世界では、音楽はただの娯楽ではなく、人々の心を癒やし、農作物を育て、時には都市を守る結界にもなる、極めて重要な要素だったのだ。
私は町の中央にあるギルドに飛び込み、得意のサックスを披露した。
ジャズのスタンダードナンバーから、吹奏楽の定番曲まで。
この世界の住人が聴いたこともないような複雑なリズムと、魔力を乗せた音色は、瞬く間に噂を呼んだ。
「君、素晴らしいな! ぜひ我が劇場の専属音楽家になってくれないか!」
私はいつの間にか、音楽家としてスカウトされていた。
仕事は、貴族のパーティーでの演奏や、広場でのライブ。
収入も十分。美味しいパイも食べられるし、寝心地のいいベッドも手に入れた。
一ヶ月が過ぎた頃。
私はふと、豪華なホテルのテラスで夜風に吹かれながら考えた。
「……正直、日本に帰らなくても、ここで十分幸せなんじゃないかな」
勉強しなくていい。大好きな音楽だけで称賛され、お金がもらえる。
ここは、私にとっての「天国」なのかもしれない。
けれど。
サックスを磨きながらふと思い出すのは、部室のあの重苦しい湿気や、コンクール前にピリついた空気。
そして、私の「爆音」にいつも文句を言いながら、一緒に音を重ねてくれた部活の友達の顔。
(……一人で吹いてても、つまんないんだよね)
どんなに素晴らしいソロを演奏しても、そこには「アンサンブル」がない。
私の音に応えてくれる、あいつらの音がしない。
「やっぱり帰ろう。帰還石を探して、あいつらに『異世界で無双してきた』って自慢してやらなきゃ」
私は贅沢なホテルの部屋を引き払い、再び旅の装いに身を包んだ。
手には使い慣れたサックス。胸には少しの不安と、大きなメロディ。
「見てなさいよ異世界。私の音楽は、まだ序奏が終わったばっかりなんだから!」
カンナは町の門を勢いよく飛び出し、まだ見ぬ秘宝を求めて、新たな冒険のステップを踏み出した。
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「カンナの音魔法の旅、ひとまずここで一区切りです。 個人的には、彼女が異世界で出会うライバルや、吹奏楽部のみんなとの再会シーンなど、書きたいエピソードがまだまだたくさんあります。 皆様からの評価や反応が良ければ、本格的な連載版としてスタートしようかと思っています。 少しでも面白いと思ってくださったら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】から応援をお願いします!」




