第零話 史上最悪の魔法少女
はじめまして。
常温ノ水と申します。
リアリティーのある重ためのダークファンタジーが書きたくて執筆に至りました。
この作品はこの第零話だけがやや特殊であり、それ以降は割と普通の文字数で投稿されます。
投稿は不定期です。
読者の方には少しでも少年少女の頃のようなワクワクドキドキ感を感じてもらえれば筆者はそれだけで満足です。
それでは、魔法少女リリサの慟哭をよろしくお願いします。
この物語の結末は、東堂リリサが望んだ結末とは大きく異なる。
とても大切なものを失ったリリサは、絶対に開けてはならないパンドラの箱を開けることとなる――。
◆
『リリサ、君のママはね、誰よりも優しくて、誰よりも強かったんだよ。だからリリサも、ママのようになれればパパはそれだけで幸なんだ』
それがリリサの父、東堂トシヤが残した最後の言葉であった。
リリサにはどう頑張って理解することができなかった。
トシヤがここ、東堂製鉄でずっと作っていたものが、まさか世界を滅ぼすトリガーであったことに。
「ガトー、これは……どういうことなの?」
銀色の腰元まであるロングヘア、やや気怠げな髪と同色の瞳、感情の起伏は薄いものの、整った顔立ち。
東堂リリサは一見するとやや大人びた美しい女性の風格を持つ中学三年生である。
しかし、その格好は一般的な女学生の物とは大きく異なる。
純白で統一されたブレザーを模しているが、所々に金色の刺繍や装飾が施されており、制服にしては少々華美過ぎるであろう。
厚手のジャケット、膝下までのロングスカート、細い足を覆う重厚なブーツが特徴的だ。
息を呑むような現実離れした出立――。
何を隠そう彼女はこの町を守る魔法少女の一人なのだ。
正確に言えば、魔法少女という呼び方は彼女たちを知らない者たちの呼称であり、彼女たちは〝シスター〟と名付けられている。
そしてリリサのシスターネームはリリサ・クロックチェイル・ミサリーサであり、皮肉にも彼女たちの敵であったメザーと呼ばれる魔女たちの名前がミドルネーム、ラストネームに掲げられる。
だからリリサは、自分のシスターネームが好きではなかった。
そんな皮肉を込めた名付け親こそ、シスターを統括する存在、リリサがガトーと呼んだ人物、ガトリングス・ウィル・ヘルヴェティアである。
「ねえ、ガトー……、なんで何も言ってくれないわけ?」
リリサは隣に立ちこの惨状を見渡すガトリングスに再び問いかけた。しかし、ガトリングスはこの光景をずっと眺めていた。普段の彼とは違う気がした。彼は、ガトリングスは笑っていた。
何かがおかしかった。
全人類が終焉に向かう光景を見ても尚、ガトリングスは余裕なのだろうか? それとも何か策があるのか? いいや、そのどれとも違う気がした。
「ほら、見なさいリリサちゃん、これがお主のパパが遺した世界と世界と繋ぐ兵器、レクイエムじゃよ」
ガトリングスは外見だけ見ればスピリチュアルな雰囲気漂う初老の男である。長い顎髭と白髪、灰色のローブ、大きな宝玉が付いた木製の杖を掲げ、シスターを取り纏める心優しき魔法使いのはずであった。それなのに、リリサはガトリングスが笑みを浮かべる様子を見て、彼がどこか遠い存在に見えた。
「リリサちゃん、お主のパパは自らの命を落としてまで成し遂げたかったのじゃろう。ここ地球、アーゼナルと魔窟ゼストを繋げ、世界を終焉に導く――」
「そんなはず……、ない……」
「他でもない、これが現実じゃよ」
トシヤが遺したレクイエムと呼ばれた兵器。巨大な大砲のような形をしており、それは東堂製鉄の広大な土地に大きな穴を開けた。
その穴はこの星、アーゼナルの地下深くにあるとされる、魔窟ゼストに繋がっているとガトリングスは言っている。
毎晩遅くまで仕事に打ち込んでいたトシヤが、こんなことの為に自らの命を捧げるだなんてリリサには到底思えなかった。
何よりも、自分の父親を信じたかった。
しかし無情にも、目の前にはこの世界の全てを終わらせる元凶が佇んでいる。
「あれが……月の神……?」
「うむ。正確には元、月の神じゃな。奴こそが全ての元凶、メザーやデイモンを生み出し続ける邪神、ルルシファル・トランザスじゃ。マリアス様の魔法、メイデン・オーガナイザーで封印されておる都合上、今はただの黒い塊にしか見えんがな」
レクイエムに穿たれた地上の穴から出現したのは、渦巻くような影であり、その中心には黒い石が輝いている。
ガトリングの言っていることが正しければ、ルルシファルはリリサたちの最後の敵である。
「そう――。つまり、あれを倒せば全部終わりにできるの?」
「ふむ……。そういうことになるのう。邪神と言えども相手は神……復活すれば、我々に勝ち目はないことは明白じゃ」
「もしかして、パパが命をかけてレクイエムを使った理由って……」
「どうじゃろうな? ルルシファルの復活前なら倒せるじゃろうという目論みなのか、はたまた、邪神の復活を望んでいたのか……。死者は語らぬ。今となっては……」
「いいえ、私はパパを信じるわ。私なら、復活する前のルルシファルを倒せるって、パパがそう思ってくれてたって――」
リリサは強く拳を握った。今まで培ってきた力はこの時の為に使うものなのだと、自分自身に言い聞かせる。しかし、全ての力を解放しようと思った矢先――。
「待ちなされ、リリサちゃん。お主の願望は確かマシューちゃんを復活させることであったな?」
「どうして止めるわけ? それは……そうだけれど……」
「確かに、ファティマに昇格したシスターは願い事をなんでも一つ叶えることができる。それは、命さえも超越するじゃろう。しかし、願望は一つまでじゃ。お主はマシューちゃんを蘇らせたい、じゃが、パパも蘇らせることができたらお主は何を思うかのう?」
「どういう……こと?」
「簡単な話じゃよ。月の神は魂をも超越する――。伝承によれば、ルルシファルを復活させた者は、ファティマと同等の望みを叶えることができる……。ルルシファルの封印を解き、パパを甦らせるという手もあるんじゃがな」
「……でも、それって……」
絶対にしてはならないこと――。
しかし、リリサの心は大きく揺らいだ。人の命を復活させることはそう簡単にできることではない。どれだけ魔法の鍛錬を積んでも不可能なことである。しかし、そんなチャンスが、今目の前に転がっているのだ。
「そして、復活させたルルシファルを倒せればファティマへの昇格は確実じゃ。そうすれば、お主の願望は全て叶うじゃろう」
「もし、倒せなかったら……?」
「世界はルルシファルのものとなるじゃろう。迷っている時間はない。さあ、決めるのじゃ――」
リリサは決断を迫られた。
倒せるか倒せないかなんて、やってみなければわからない。シスターになってから数々の決断を迫られてきたが、まさか最後に人の命を天秤にかけることになるとは思ってもみなかった。
ルルシファルをこの場で倒せば、シスターの役目は終わるだろう。ファティマに昇格し、リリサは一つの願望を叶えられる。しかし、今叶えたい願望は二つある。選ぶことなんてできない。そして目の前に、二つの願望を叶えるという選択肢がある。
決断を迫られたリリサであったが、それを断ち切るように聞き覚えのある声が響き渡った。
「そうはさせないわ――!」
崩壊した東堂製鉄跡地の瓦礫が突如として崩れた。現れたのは身体中ボロボロになった、リリサと同年代程度の一人の少女。
ボサボサになった桃色のロングヘアから覗く瞳には凄まじいほどの殺気が込められており、シスターとは対照的な黒を基調としたやや露出が高い服に身を包んでいる。
「イライザ……!?」
普段あまり表情を表に出さないリリサであったが、イライザと呼ばれた少女が現れたことにはさすがに驚いたようであった。
「確かに……倒したはず……」
リリサには確証があった。それなのに、イライザは目の前に存在している。
瓦礫の山からリリサとガトリングスを見下ろすイライザと呼ばれた少女。彼女こそ、全てのメザーを統括していた存在であり、今回のリリサたちの最後の作戦を阻止しようとした敵である。
「全部聞かせてもらったわ。リリサ……アンタ、自分が今何しようとしてんのかわかってんの? 邪神に願いを叶えてもらう? アンタたちの敵じゃないの? そんなんじゃ本末転倒ね」
イライザは全てを把握しているようだった。しかし、リリサはガトリングスに言われた通りにしようとしただけ。世界の平和なんて本当はどうでもいい。わがままなのは百も承知だ。リリサはただ、大切なものを守りたかった。
「私は……、全部叶えたい。だから私は月の神も、あなたもここで倒してみせる――」
「はぁ……。全く、アンタってほんと馬鹿ね……。そんなアンタに教えてあげる。ガトーの本当の目的――。それこそ、世界の終焉よ。ガトーはルルシファルを復活させて、この世界を終わらせようとしてるわけ」
リリサにはイライザの言っている意味がこれっぽっちもわからなかった。別にガトリングスのことを崇拝しているわけでもなんでもない。しかし、シスターになった時から、ガトリングスに寄せる信頼はリリサにとってあまりに大きかった。
「ガトー、イライザがおかしなことを言っているわ。そんなはずないわよね?」
ガトリングスはいつも通りリリサの頭を優しく撫でた。
「イライザ・ミサリーサは知っての通りメザーじゃ。つまり、お主らの敵じゃ。現に、わしらの大切な仲間たちを殺した張本人。わしにもなぜ彼女が生きておるのかわからぬが、リリサちゃん、まだ戦えるかのう?」
「ええ。ケリをつけるわ」
リリサは首にかけている十字架の形をしたペンダントに触れた。するとそのペンダントは形を変え、美しい装飾が施された短剣となった。それを構え、リリサは一歩ずつ前進した。
同時にリリサが力を解放すると、周囲の空気が一変した。リリサの身体からはグリーンに輝くオーラのようなものが発せられている。
「ふん……。やっぱりアンタって救いようがない大馬鹿ね。あのね、今アタシたちが手を組めばガトーもルルシファルも倒せる。それが一番手っ取り早いと思わない?」
そんな交渉に、リリサが応じる気配はない。リリサは手に持つ短剣をイライザに差し向けた。
それを見たイライザはため息を溢した。直後、跳躍し、瓦礫の山からリリサの前に着地した。同時に巨大な鎌が出現し、イライザはそれを軽々と旋回してみせた。
「って、そうよね。その様子じゃいくらアタシが何を言っても無駄みたい――。今までアタシはガトーの手先としてメザーを仕切ってた。それがアタシの復讐の一番の近道だった。でも、まさか陰でこんな兵器まで作らせて、挙句に目の前には邪神がいる……。アタシが想定してた事態よりもずっと事は深刻よ」
「いいえ、それ以上無駄話をするつもりはないわ。イライザ、あなたの言っていることが私には一つもわからない。私の仲間を殺しておいて、あなたのことを信じられる要素は一つもないわ」
「まあそうよね。でも、先に恨みを買ったのはそっちの方――。ここまで来たら、身体でわからせるしかない……。ねえリリサ、一つだけ忠告しておくわ。今のアンタじゃ、どう頑張ってアタシには勝てない」
「負け惜しみ? ついさっきやられたばかりで頭がどうかしたのかしら?」
「負け惜しみかどうかはすぐにわかるわ。今のアタシは〝音の魔女〟なんかじゃない。お姉ちゃんと同じ……〝時の魔女〟なんだから……」
かつて、ガトリングスに聞いたことがあった。イライザの姉は自分と同じシスターネームである、クロックチェイル・ミサリーサ。今から二十年前のアーゼナル魔法大戦で猛威を振るったメザーであると。
アーゼナル魔法大戦はシスター側の勝利で終わりを迎えた。つまり、イライザは姉であるクロックチェイルの仇を取る為に戦っているらしい。更に、リリサのシスターネームが姉の名前だと知るや否や、イライザのリリサに対する執着は増す一方であった。
つまりイライザは、姉の復讐に駆られた鬼なのだ。だから、ここでなんとしても打たなければならない――。
「来ないのなら先に仕掛けさせてもらうわ……。リーヴァ――」
リリサがイライザよりも先に詠唱した。その瞬間、リリサは光の粒子となりその場から消えた。直後、イライザの背後に一瞬で移動すると、手に持つ短剣をイライザの心臓へ向けて突き刺した。
リーヴァとは本来、転移魔法の一種である。魔力であるレムの消費量にもよるが、世界中のどこであろうとイメージした場所へと一瞬で転移することができる。
しかし、その代償が使用後のスタンである。リーヴァを使った場合、移動距離に応じたスタンが発生する。遠ければ遠いほどにスタン時間が長いとされている。どんなに短距離であっても、精々数秒程度のスタンが発生し、リリサのようにリーヴァを攻撃に使用するシスターは存在しない。
故にリリサは天才と呼ばれている。リーヴァを使用する際に、長距離移動並のレムを無理矢理押し込み、それを短距離戦闘に使用する。そうすると、一瞬で複雑なレムの構築が必要になるものの、リーヴァ特有のスタンを極限まで抑えられるというメリットがある。これができたのは、後にも先にもリリサだけであった。
「これで終わりよ、イライザ――」
鮮血が舞った。リリサにはなんの躊躇いも容赦もない。イライザは心臓を貫かれ、再びリリサに敗れた――、かに見えた。
「残念……」
その直後、イライザが鎌を回転させた。心臓を刺されたのにも関わらず、目にも止まらない素早い動き。リリサは一瞬で事態を判断し、背後に飛んだ。しかし、短剣に添えていた左腕は鎌の餌食となった。血飛沫と共にリリサの腕が宙に舞った。
明らかに先ほどの様子とは異なり、何かがおかしい。
イライザは心臓を刺されたにも関わらず、余裕の笑みを浮かべている。
「な〜んだ……、ちゃんと首を狙ってあげたのに」
「確実に心臓を刺した。なのにどうして生きてるわけ……?」
「そう……。普通メザーは心臓を破壊されたら終わり。でもね、今の私は時の魔女――。時間を動かすのはとても簡単なことってわけ」
「どういうこと……?」
「つまり、心臓をこのナイフで刺される前に巻き戻した。それだけの話よ」
「そんなこと……できるはず……」
「だから、今のアタシはただのメザーじゃない。デュアリストメザーなんだから」
「ちっ……」
かつて勉強したことはあったが、まさか実戦で目の前に現れるとは思っても見なかった。
デュアリストメザーとは、二つの属性をかけ合わせて新たな能力を生み出したメザーのことである。
シスターもメザーも、一般的には一つの属性を保有している。それは、魔法石であるレリックストーンを体内に取り込むことによって成されるものである。
レリックストーンにはそれぞれの属性が備わっており、例えばリリサであれば自然属性のエメラルド・レリックを体内に有している。そしてイライザは先ほどまで音属性のアンバー・レリックを宿したメザーのはずだった。それなのに、死地から蘇った後に属性が変化しており、それはリリサにとって非常に厄介なものであった。イライザの言うことが正しければ、彼女は不死のメザーということになる。
「ずっとアタシはこの機会を狙ってた……。セレスティーナのタンザナイト・レリックはね、元々お姉ちゃんのレリックストーンだったわけ。だから、音属性のアンバー・レリックと氷属性のタンザナイト・レリックをかけ合わせれば、時属性が出来上がるのをアタシは知ってた。だからアタシはずっとセレスティーナの命を狙ってたの。最後の最後に仲間のレリックストーンを回収しなかったアンタに落ち度があるわね」
確かに思い返してみれば、セレスティーナが執拗に狙われていたのにも納得がいった。全てはイライザの思惑通りになってしまったのだ。
「イライザ……。絶対に……あなたはここで倒す……。リヴァイアス――」
詠唱と同時にリリサの失くなった左腕が一瞬で再生した。リヴァイアスは自然属性の最上位魔法であり、失われた四肢をも再生できる優れた魔法である。それも、リリサの場合レムの量が桁違いであるが故に、再生速度は並大抵ではない。
「遅いわね――!」
リリサの左腕が再生した瞬間、イライザはそれでも余裕の表情を浮かべていた。そして次の瞬間、なんの詠唱もなくリリサの首元にイライザの鎌が出現した。
「くっ……!」
メザーが得意とする無詠唱魔法、零式――。
リリサは驚異的な反射神経で鎌の攻撃を避けるも、鎌の先は首元を掠めた。リリサは出血した首を抑えたまま、再びリーヴァを使用。転移先はガトリングスの元であった。
「ティア――」
リリサは左手を首元に当て、即座に治癒魔法を使用。しかし、傷口が一向に塞がらない。ティアは優れた治癒魔法である。ましてやリリサのレムの量であれば治せない傷はないはずであった。
「これで終わりね。さっきの攻撃だけど、時属性の零式を使わせてもらったわ。つまり、その傷はどれだけ治しても時間が進まない。傷口は永遠に塞がらないってわけ。アンタたちシスターも所詮は人間……。血が流れ続ければそれで終わりよね?」
イライザの言う通り、確かにどれだけティアを使い続けてもリリサの首の傷は塞がる気配を見せない。この出血量だ。時間が経てばおそらく自分は死ぬであろう。それでも、リリサは冷静だった。まだきっと手はあるはずだと、ガトリングスを見上げた。
「ガトー、あなたならこれを乗り切れるだけの知恵があるわよね? なんでもいいわ。イライザを倒す方法を教えて」
ずっと戦いを俯瞰していたガトリングスは少し難しそうな顔をした。
「うむ……、ないことはない……。じゃが、リリサちゃん、お主は自分を捨てられるかのう?」
「今更自分も何もないわ。私はただ、目の前の敵を倒したい――」
「覚悟の違いかのう……。さて、ここに一つのレリックストーンがある。これはニーナちゃんが遺したブロンザイト・レリックじゃ」
「それは確か、土属性のレリックストーンよね?」
「その通り。土属性とお主の自然属性をかけ合わせて、どのような属性になるのかはわからぬ。しかし、勝ち目はそれしかないとわしは判断しておる。じゃが、知っての通り、二つのレリックストーンを取り込む為には条件がある……」
「メザーになる……」
「そうじゃ。ムーンドロップ……。こいつを飲めば人間誰しもメザーになることができる……」
ガトリングスが取り出したのは、黒く光る小さな石であった。どうして人間をメザーにする為のムーンドロップをガトリングスが持っているのか……、今のリリサにはどうでもいいことであった。
「飲むわ。そうすれば、きっと時属性を破れる……」
「うむ……その覚悟、わしが全てを見届けよう。お主がメザーと成り果てても、わしはお主を立派なシスターじゃと思っておる」
「どうでもいいわ。私は、私のすべきことをするだけ――」
「くっ……! 待ちなさいリリサ――!」
最早イライザの声はリリサには届いていない。リリサはガトリングスが両手で差し出したムーンドロップとブロンザイト・レリックを乱暴に受け取った。そして、なんの躊躇もなくその二つを飲み込んだ。
「……ぐっ――!」
その瞬間、崩れ落ちるようにしてリリサは意識を失った。メザーになる為のムーンドロップ、そしてレリックストーンをなんの儀式もなしに飲み込んだことによる拒絶反応である。
イライザはその様子を見て呆れていた。
「やってくれたわねガトー……。アンタは最初からリリサを殺すつもりだった。ムーンドロップとレリックストーンの拒絶反応に耐えられる人間なんていない……」
「はて、何のことかのう? イライザちゃん、お主は本当に優秀なメザーじゃった。わしの言うことを聞いて素直に死んでくれれば良かったものを……」
「黙りなさい。アンタ、このアタシを騙してたわね」
「騙すじゃと? あくまでわしはお主の復讐を手助けしていたつもりなんじゃがのう……」
「はぁ? とぼけるのも大概にしなさい。アンタ、アタシに言ったわよね? アーゼナル魔法大戦でお姉ちゃんを殺したのはリリサのママ、リリス・シュピーゲルだって……」
「結果的にはそういうことになるのう……」
「いいえ、違う。時属性をみくびらないで。記憶を見たわ。アンタの記憶。お姉ちゃんを殺したのはアンタの娘、メメティウス・ウィル・ヘルヴェティアで間違いないわ。リリサには何の罪もない。アタシを騙して、リリサと敵対させるように仕向けたわね? そして、アンタはルルシファルを復活させて、死んだ娘の復活を叶えるつもり……」
「上出来じゃが、そこまでじゃ小娘――」
一瞬の出来事だった。
ガトリングスが杖を空に掲げた。その瞬間、あってはならないことが起こった。
メザーの弱点は二つ。
一つは心臓。心臓を破壊されたメザーは絶命する。しかし、イライザは時を操り、心臓のダメージをなかったことにしてしまう。しかし、もう一つのメザーの弱点までは克服できなかったようだ。
それは太陽――。
メザーの活動時間は限られている。太陽の昇らない夜である。どれだけ時間を操れても、太陽の光による消滅は避けられない。
だからガトリングスは太陽を昇らせた。彼が最強のダイヤモンド・ファーザーと呼ばれる所以である。彼の力を持ってすれば、昼夜を逆転することさえもできてしまう――。
「ちっ……、アンタは……絶対に……」
最後にイライザが何を言おうとしていたのかはわからない。彼女は太陽の光を受けて消滅した。これはメザーであれば免られない事象である。イライザが消滅したのを確認すると、ガトリングスは杖を下げた。その瞬間、再び夜が訪れた。
「さて、予定とは少し異なるようじゃったがこれで全て終わりじゃ――。見ておったかね? 月の神、ルルシファル……」
ガトリングスが声をかけると、宙に浮かぶ黒い塊であるルルシファルが反応を見せた。
『――貴様、人間であろう? これは一体どういうつもりだ?』
「ふむ……。とうにわしは人間を捨てておる。四百年前のティスタミア戦役を覚えているかのう?」
『忘れるはずもない。まさか我が人間如きに封じられるとは――。確か選ばれし者、オラクルという者たちであったな。それがどうかしたか?』
「どうもこうもない。まさか自分で封じたはずの邪神を、こうして復活させることになるとはのう」
『ほう……、つまり貴様、オラクルの生き残りか?』
「神に選ばれし者、最初の異世界召喚者の一人、ガトリングス・ウィル・ヘルヴェティアとはわしのことじゃ」
『四百年前の恨みは忘れん。今すぐに貴様を殺してやりたい所だが、聞かせろ。貴様の望みはなんだ? 復活の暁には貴様の願望を叶えてやろう』
「……わしはただ、もう一度娘に会いたいのじゃ。元月の神であるお主に不可能はない。もちろん、この世界もくれてやろう。メメティウス・ウィル・ヘルヴェティアを復活――」
「嘘よね……? ガトー……」
ガトリングスの言葉は寸前の所で遮られた。
拒絶反応によって倒れたはずのリリサの姿がそこにはあった。ガトリングスに対するリリサの眼差しは、尊敬や信頼とは真逆の、憎しみや怒りに変わっていた。
「イライザの言ってたこと……全部本当だったのね……」
「ふむ……。イライザちゃんもじゃが、知らぬ方が幸せなことが世界には溢れ過ぎておるのう。拒絶反応を耐え抜くとは、お主はつくづくイレギュラーじゃ……」
「ガトー、あなたは私たちシスターを騙してた。その代償は大きわ。――死して償いなさい」
「ほう、腐っても元オラクル……このわしに勝てるとでも?」
「感じる――。今の私は二つの属性を持つデュアリストメザー。いくらあなたが最強の光属性だとしても、倒してみせるわ」
「ふむふむ……誠に残念じゃが、お主は大きな勘違いをしておる。わしは確かに光属性じゃが、実の所もう一つの属性を持っておる。闇属性じゃ。これから死するお主には特別に教えてやろう。わしの真の属性は光と闇の属性をかけ合わせた鏡属性じゃ。全てを逆転させ、全てを反射する力――。お主が如何なる属性の魔法を使おうが、このわしには通用せぬ」
「……どうでもいい。どうしてかはわからないけれど、私には、あなた負ける未来が見えない――」
「来ないのならば先にやらせてもらおうかのう……。わしに手加減という文字はない――」
ガトリングスが手に持つ杖を地面に突き刺すと、リリサの周囲に巨大な魔法陣が出現した。一瞬で魔法陣が発動すると、目も眩むような輝きと共にリリサは光に飲み込まれた。あまりの速さに回避することは困難を極めた。
「ちっ……。無詠唱……。それもこの規模の魔法陣を一瞬で展開して発動まで持って行くのは反則ね」
飲まれた先に待っていたのは、鏡の世界であった。
いくつもの鏡の中にリリサ自身が映し出されている。
「ここから生きて出させないつもりね」
すると、同じ動きをするはずの鏡が突如として変貌した。
無数の鏡に映し出された自分が、一斉に自分とは異なる動きを開始。胸元のペンダントに触れると、それはリリサと同じ短剣へと変わった。
数えている余裕なんてない。それは何百にも及ぶ自分であった。
「分身のくせに私のホーリーデヴァイスまで使えるって……」
しかし、リリサにはこの絶体絶命のピンチを乗り切れる根拠のない自信があった。今の自分になら、なんだってできると――。
「かかって来なさい、私の真似事ができても、所詮は分身――」
リリサがホーリーデヴァイス片手に奮闘する。どうやら、一撃を与えれば分身は光の粒子となって飛散するようだった。
容赦なく迫り来る分身を次から次に葬る――。
「くっ……! キリがないわね……。魔法を使いたいけれど、詠唱も知らない……、それにそもそもどんな属性かもわからない……」
先ほどの条件的に、今の自分はデュアリストメザーである。もちろん、メザーを散々倒してきたリリサだが、無詠唱魔法の使い方なんて習ってもいないし、発動条件も不明であった。
倒しても倒しても一向に数が減らない――。
徐々にリリサの動きに慣れてきているのか、十体に一体程度の攻撃は避けられず、僅かながらダメージを負っていくリリサ。
「以前の自然属性はもう使えない……。このまま血が流れれば……」
無限に沸き続ける自分に殺されるだけ――。
倒せば倒すほどに相手のレベルが上がっている気さえする。どうやらそれは気のせいではなく、近接戦闘のレベル的に三体程度を相手にするのがやっとになってきた。
応戦し切れなくなり、蹴りで距離を取ったのが間違いだった。吹き飛ばされた一体が衝突前にナイフを投げてきた。その瞬間、全ての分身が一斉にナイフを投げた。避けなければ致命傷を負うだろう。この数のナイフを捌くこともできない。リリサは咄嗟に跳躍した。何枚もの鏡を踏み台にして分身と距離を取ろうとしたのだ。
「リリサちゃん、忘れてはいかん。ここは、あくまでもわしの結界じゃ――」
背後にはガトリングスの姿があった。彼の持つ杖の形状が変化しており、その刃はリリサの心臓を貫いていた。メザーとなった自分の弱点を突かれたのだ。
「よく頑張った方じゃ。じゃが、これで終わりじゃよ」
「わ……、私……は……」
リリサは心臓を貫いた刃を両手で掴んだ。命の燈が消える瞬間にも関わらず、なぜかはわからない。力が漲ってくる感じがした。
直後、ドクンと、心臓が一際強く高鳴ったのをリリサは感じた。
「こんな所で……、負けられない……!!」
「何を言っておる? お主は死ぬ、負けを認めるんじゃ。間もなく消滅する……」
「ガトー……、いいえ、ガトリングス・ウィル・ヘルヴェティア――。あなたはここで終わりよ――」
「なっ、何事じゃ――?」
リリサを取り囲んでいた無数の鏡が一斉に割れ、分身が消滅した。それは、ガトリングスの魔法が破られたことを意味する。
心臓を貫かれた自分は既に消滅していてもおかしくはない。しかし、まだ生きている。
鏡の世界から帰還したリリサは即座に距離を取った。分身にやられたダメージは相当なものだ。それに貫かれた心臓――。
刃と化した杖は胸に突き刺さったままだ。
「ぐはっ……!」
本来ならリリサの負けは確定していた。だが、倒れたのはガトリングスの方であった。無論魔法は行使していない。というより、リリサには行使できるだけの力はなかった。そのはずだった――。
何もしていない。そのはずなのに、ガトリングスは心臓を抑え、大量の血を吐き出した。
「何が……起こっておる――!? こ、このわしが……」
天を仰ぎながら、ガトリングスはそれでも生きながらえようと必死に息をしている。しかし、呼吸の度に大量の血が口から溢れてくるのを止められない。
このままだと、彼は絶命するだろう。理由はわからない。リリサは生きていて、ガトリングスは死に直面している。
『これは面白い――。命属性を人間如きが発動させるとはな――』
「次はあなたの番よ、邪神、ルルシファル――」
リリサの胸の杖が消えた。ガトリングスのホーリー・デヴァイスが消失したということは、すなわち彼が絶命したことを意味する。
本来であればガトリングスのレリックストーンの回収が最優先であったが、それはかつてのシスターの掟の一つ。今の自分はメザーである。そしておそらくもう、リリサたちを脅かす存在は目の前の敵のみ。これで全てを終わりにできる――。
「ごめんなさい、パパ――。私には選ぶことなんてできない。パパのいない世界で生きていくだなんて真っ平御免……。だから私は、ファティマになって、神様が存在しなかった世界を作りたい――。そうすれば、誰も生まれない……誰も死なない――。誰も悲しまない――」
『貴様、我を倒してファティマの夢を叶えるつもりか? 残念だが、その願いは叶うことはない。神を超越することなど、不可能だ』
「だから私の願いは一つ――。私が、神になる――!!」
『何? 命属性とはいえ、そんなことができるはずはない――。確かに命属性は不死の属性だ。自身を殺した者の命を奪うことができる、最も神に近しい属性の一つ……。だが神になることなど――』
リリサは短剣を握り締めた。
クリス・タミング・サリ――。リリサの母、リリス・シュピーゲルが遺した形見のホーリーデヴァイス。それを力一杯握り、一心不乱にルルシファルに叩き込んだ。
『ぐっ……、我を復活させれば――、貴様の望みは全て――』
「要らない。私にはもう――、何も必要ない――」
黒い塊、ルルシファルを穿つ――。感触は充分だ。あとは、飛散するまでひたすらに剣を貫くのみ――。
そして、塊にヒビが入った。勝利は目前のはずだった。
『余興はここまでのようだな。素体としては充分だ』
ヒビ割れたルルシファルの本体から、突如して黒い影が出現した。その影を、リリサは見た。しかし、判断する時間はなかった。その影は一瞬でリリサの口の中に入り込んだ。
そしてリリサは思った。どうしてルルシファルが倒されずに封印されてきたのかを。
最後の最後で、ガトリングスはそれを教えなかった。全ては彼の思惑通りだったようだ。
リリサは最後に思った。
もう少しだけ、自分が強ければと――。あとほんの少しだけでいい、力が欲しかったと。
徐々に意識が途切れていくのがわかる。
おそらく自分の身体は、ルルシファルに乗っ取られるのだろう。
命属性とやらの発現も、全てはガトリングスの算段の内だったのだろう。半分は賭けだったのかもしれない。それでも、その賭けに勝ったのは言うまでもなく、ガトリングス、そして、ルルシファルだったのだ。
『残念だったな。この身体は我の物だ。さて、これでマリアスに報復ができる……。四百年の時を経て、我の悲願が叶うのだ!』
こうして、リリサは負けた。
負けただけではなく、自らの身体を以てして邪神、ルルシファル・トランザスを復活させてしまったのだ。これは、リリサたちにとっての最悪の結末である。
もう誰にもどうしようもないのだ。世界は終焉に導かれるであろう。やはり神殺しなんて、最初から不可能だったのだ。
「ごめんね、パパ、ママ――」
この世界に残されたのは、リリサの後悔の念だけであった。
◆
「全く……。予定とはちょっと違うけど、とにかくリリサ……、アンタには責任取ってもらうんだからね」
「ほう、貴様は死したはずのメザーか……。確か名を、イライザと言ったな?」
「へぇ、見た目はリリサ、中身は邪神って、最悪にも程があるわね」
「貴様、我に仕える気はないか? 貴様の時属性があれば、我とこの世界を掌握できるだろう」
「生憎、そんなことには興味ないわけ。アタシは自分の責任を取る。もう引き返せない所までアタシは来ちゃった。だからリリサ、アンタにはそれを半分背負ってもらうわ――!」
「貴様……何をするつもりだ?」
「悪いわね、邪神さん。この世界はアタシが引き受ける。無限に時が進まない、存在するはずのない世界。で、リリサ、アンタはやり直しなさい。もう一つの世界を、馬鹿なアンタは作るの――!!」
「やめろ――。我はこの世界を……」
「頼んだわよリリサ。で、そこのアンタはアタシと時の進まないこの世界を永遠に生きていく。というか、それだと死んでるのと同じだけれどね!」
「何……!? だが、身体は既に我の物……」
「アタシに戻せない時はないわ。身体は物理的に無理。だからリリサの意識を、できる限り過去にぶっ飛ばす! アンタはこの失敗を、全部正解にやり直すの!」
「貴様――!! 許さぬぞ――!!」
その瞬間、世界の時が止まった。
これだけの大魔法を行使したのだ。無論、イライザ本人も含めて全ての時の流れが止まり、この世界線は終焉を迎えた。
「あとは、アンタにかかってる。頼んだわよ。リリサ――。私の大事な、妹なんだから――。それと、ごめんね」
◆
あまりにも不確かな時属性の大魔法により、リリサの意識は過去に飛ばされた。
そこから作り出される新たなる世界線は、果たして世界を救うのか、それとも再び滅ぼすのか?
これは、一人の魔法少女がやり直す、最初で最後の世界の話である。