第8話 『裏方』をやってほしい!
「一ノ瀬さん、ちょっと話したいことがある」
「奇遇だね。私も」
ということで昨日と同じく、俺と一ノ瀬さんは一緒に帰り、さてぃふぉの正体を突き止めた例の公園に来ていた。
「さすがにちょっと度が過ぎているよ。トイレは……ねえ」
「ごめん。反省している」
珍しく肩を落としてしょぼんとしている。さてぃふぉも落ち込むことあるのか……と、ちょっと感動。
「とにかく、一人でいる時間の監視は無しにしてもらえるかな? 誰かにバラすタイミング無いと思うし、そもそもプライベートの時間が欲しいです」
「うん、分かった。辞めるよ。ごめん、私、人と関わること、あんまり得意じゃなくて」
それを聞いて驚く。
さてぃふぉって動画内であれだけのコミュ力を発揮できる俺とは住む世界が違うバチバチの陽キャだと思っていたけれど。
等身大のさてぃふぉ、一ノ瀬御世を見ていると、案外俺と同じような人だったりするのかな。
そういえば、さてぃふぉってコラボとか生配信とかしないんだよな。
その理由って人と関わることに抵抗がある、とかそういう人間的な理由だったりするのかな。
さてぃふぉのことを超人か何なら人外のような存在だと思っていたが、こうして本人と関わると凄い親近感がわいてくる。
まあ、片や登録者一桁のクソ雑魚配信者と、片や登録者十万人超の人気配信者なんだけど。
「それで、一ノ瀬さんは俺に何の用なの?」
「……ちょっと悩み事があって、良かったら私の家に来てくれない? そこで話したい」
☆
「どうして、こうなった……」
目の前には立派な門構えをした玄関。デザイナーが手掛けたような先鋭的な白を基調とした立方体の家屋。世間一般的に呼ぶと、豪邸と呼ばれるそこは一ノ瀬宅らしい。
推しの家なう。
ファンに殺されても文句が言えない展開であるが、お呼ばれしたので仕方がない。
「何、ぼうっとしているの? 早く入って」
「ほ、本当にいいのか?」
「私がいいって言っているんだからいい」
「お、お邪魔します」
門を潜ると、ドッグランが出来そうな規模の青い芝生が一面に敷かれている。
芝生の淵には、鼻に疎いから種類までは分からないが、青や赤といった色とりどりの花が咲いている。
「すげえな。一ノ瀬さんって金持ちなんだなあ」
「そうかな? 生まれてからずっとこの家だからよく分からない」
「生まれてからずっと安アパートに住んでいる俺に謝れ!」
何気ないところで、格差社会を痛感していると、一ノ瀬さんは玄関ドアの前で手招きをしている。
光に群がる羽虫の如く、その手招きに吸い寄せられると、一ノ瀬さんは重厚な黒扉を開けた。
家の中を覗くと、白を基調とした大理石の壁と、木目調のフローリングがどこまでも伸びている。
十六年間、安アパート暮らしの俺にとって、別世界すぎてひっくり返りそうだ。
「お邪魔します」
「どうぞ」
靴を脱ぎ、早速家の中へ。
気が遠くなるほど長い廊下を歩き、ガラス張りの扉を開けると、リビングルームが広がっていた。
開放感のあるオール電化のオープンキッチンに、黒を基調とした光沢のあるダイニングテーブル、幾何学的な文様が描かれた赤を基調としたペルシャ絨毯、人の丈ほどある大きな観葉植物。どの調度品をとっても一級品のリビングに俺は絶句してしまう。前世でどれだけ徳を積めば、こんなところに住めるんだよ。
同時に、環境が整っているからこそ、あれだけの登録者を獲得できるのだと思う。
本人の努力次第というのは勿論だが、それにしても家庭環境もある程度相関性があるということは、この家を見て否が応でも実感してしまう。
「ダージリンティー好き?」
「だ、だーじりん? なんだそれ?」
「……紅茶のこと」
「あ、ああ。まあ、飲めるよ」
「淹れるから待っていて」
ダイニングテーブルに座らされると、二宮さんは冷蔵庫に向かっていった。そのダージリンティーなるものを持ってきてくれるらしい。
ダージリンティーとかいう、貧困層にはなじみのない言葉をあんまり使わないでほしい。
「どうぞ」
「ありがとう」
白磁のマグカップに並々と注がれた紅茶が俺のもとに差し出される。
一飲みすると、鼻を突き抜けるような上品な風味が全身に広がっていく。この奥行きこそが、上質なものと低廉なものの違いだろう。市販のお茶しか飲んだことない俺は、軽いジェネレーションギャップに苛まれる。
ふと前を見ると、一ノ瀬さんが優雅にダージリンティーを啜っていた。
その様は完全にお嬢様の佇まいで、普段の様子からは想像できないけど正真正銘のお金持ちだということが伺える。
無言でその姿に魅入っていると、沈黙が続いていることに気づく。
……気まずい。
女子と二人きりで何を話していいか分からない。こんなところで、女性経験の無さが露呈してしまうとは。
つい手持ち無沙汰になって、意味もなく周囲をキョロキョロと見渡す。
そこで、俺はあることに気づいた。
……そういえば、この家に入ってから俺たち以外に人がいる気配がない。
「一ノ瀬さん、親御さんは?」
「私の両親は外資系企業で働いていて、海外にいる。私はここで一人暮らし。週3でヘルパーさんが来て、掃除とかはやってくれているけれど、料理とかは私が作っているかな」
「マジか……」
こんなバカでかい家に一人暮らしって……。
スケールが違いすぎて、もうよく分からなくなってきたわ。
「にゃー」
リビングのドアが不意に開くと、予期せぬ訪問者がやってきた。
垂れた耳、まん丸の耳と顔、茶色と白のもふもふとした毛皮を有した、余りに可愛すぎる生物、猫である。
猫はすたすたと、こちらに向かってくると、一ノ瀬さんの膝の上にちょこんと乗った。可愛いと可愛いの奇跡のコラボレーションである。
「訂正。一人と一匹暮らし」
「可愛いね、その子。名前はなんて言うの?」
「さてぃ」
「さてぃふぉから取っているのかな?」
そう尋ねると、一ノ瀬さんは恥ずかしそうに控えめに頷いた。
「それで」と、一ノ瀬さんは飼い猫、さてぃを抱きしめながらおずおずと話し始めた。
「相談というのは……二宮君、私の、さてぃふぉちゃんねるの『裏方』をやってほしい!」
「え……えええええええええええええええええええええええええ⁉⁉」