第52話 一人になりたいから、帰ってもらえるかな
俺と御世ちゃんは念のため、別行動をとった。
俺と一緒にいることで、違う火種を生むことになってしまったら良くないから。
《御世ちゃん:家に着いたよ。細心の注意を払ったから、誰かにつけられているとかは無いよ》
《無事に帰れて良かった》
《御世ちゃん:吾郎君も誰かにつけられていないか注意しながら、私の家に来て。そこで、色々聞くから》
《うん。分かった》
逐一、周囲をチェックして、誰かに見られていないか確認する。
気分は警察に追われる脱獄者だ。
追手が来ないことを確認しながら、じっくりと時間をかけて、もう何度訪れたか分からない御世ちゃんの家に辿り着いた。
相変わらず大きい。高級住宅街で周囲に豪邸が立ち並ぶ中、御世ちゃんの家はその周りにも引けを取らないほど立派である。
インターホンを鳴らすと、いつもは御世ちゃんが玄関から出迎えてくれるのだが、その代わりに御世ちゃんから一通のメッセージが届く。
《御世ちゃん:吾郎君の姿、確認したよ。玄関開けておいたから入っていいよ》
《分かった》
どうやら御世ちゃんは相当警戒しているらしい。
万が一にでも家バレしてしまったら、最悪の事態を招く恐れもある。
抜き足差し足忍び足、といった風に、コッソリと御世ちゃんの家の敷地内に入り、玄関の扉を開く。
なんだか不法侵入しているようで、心が痛む。
家に入ると、憔悴しきった顔の御世ちゃんが廊下にぽつんと立っていた。本来だったら彼女はこんな顔をしなくて済んだはずなのだ。
「部屋に入って」
「うん」
まるで石のような無機質な声で、御世ちゃんは俺を部屋に招いた。
いつも世話になっている御世ちゃんの部屋。この部屋に入ると、幸せな気持ちで一杯になるが、今日ばかりはそうはいかない。
いつもよっちゃんオレンジが置いてあるローテーブルは、今日は殺風景だ。
そのローテーブルに向かい合わせで座る。自然と正座の態勢になってしまった。
「どうして私の正体が見ず知らずの人にバレてるの?」
「それは……昨日アップされた動画で……見てもらった方が早いかな」
俺はスマホの画面を開き、顔が写ってしてしまった昨日アップされた動画を御世ちゃんに見せる。
「それでこの部分」
「…………」
「コメント欄がこんな感じで」
「…………」
御世ちゃんは無言のまま、画面を見続ける。
いたたまれなくなった俺は、ローテーブルに頭をこすりつけて誠心誠意の謝罪をする。
「大変申し訳ございませんでした! これは完全に自分の不手際です! さてぃふぉちゃんねるにおいて顔バレは一番気を付けるべきことというのを分かっておきながら、顔が写っていることに気づかず、カットせずそのまま流してしまいました! さてぃふぉちゃんねるの裏方失格です! 本当に申し訳ございませんでした!」
ローテーブルは俺の汚い涙で濡れてしまった。
沈黙が流れる。
頭を下げ続けているので、御世ちゃんの顔は伺えない。
無限とも錯覚するほど長い沈黙の後、御世ちゃんが口を開いた。
「顔上げて、吾郎君」
「……はい」
「最終チェックは私がやっているから、その私も気づけていないわけだから、何も吾郎君だけのせいじゃない。だから、あまり一人で背負わないで」
「うう……ありがとう」
彼女の余りの優しさに、俺はまた涙が溢れそうになる。
本当に俺にはもったいない彼女だ。
「ごめん……ちょっと今の状況に、頭の整理が追い付いていなくて……」
「そうだよね……本当にごめん」
「とりあえず、非公開にする」
「うん」
御世ちゃんは自分のゲーミングデスクに座り、パソコンを起動する。
そして、動画の管理画面を開くと、例の動画を非公開設定に変えた。
「あと、これからアップされる予定の動画も予定を取り消す」
「うん」
御世ちゃんは容赦なく、これまで積み上げてきた、今日以降あがるはずであった動画のストックを全て取り下げた。
俺の知るところだと、これまでさてぃふぉが動画を非公開にしたり、動画投稿をストップしたりすることなんてなかったはずだ。
それだけ、とんでもないことをしてしまったんだ。
このやらかしの重みが、時間が経過するにつれ、圧し掛かってくる。
さてぃふぉちゃんねるを開設してから三年。人気になっても顔バレ対策を徹底し続け、登録者十万人を突破しても顔バレすることはなかった(俺を除く)。
それはひとえに彼女の努力の結晶である。
その結晶を、一人の部外者によって破壊してしまった。
この一件で、御世ちゃんは普通に生活できなくなるかもしれない。
そう。俺は一ノ瀬御世という一人の女の子の人生をぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。
その重罪たるや、推して知るべし。
そして、御世ちゃんは決定的なことを告げた。
「吾郎君……一人になりたいから、帰ってもらえるかな」
初めて受けた御世ちゃんからの拒絶は、想像を絶するほど苦しかった。
「うん、分かった。ごめんね。そして今までありがとう。これだけは最後に言わせて。これから、何があっても、御世ちゃんの味方だよ。俺は御世ちゃんのこと、ずっと好きだよ」
どうして、別れ際に、こんな未練がましいことを言ったのかなんて分からない。
どう考えても、こんなことを言う性分ではないから、まともな思考が出来なくなってしまっているらしい。
俺は全て失ったんだ。
推しの裏方という最高の役職も。
一ノ瀬御世ちゃんという最高の彼女も。
――全て、失ってしまったのだ。




