第11話 飲んでいいよ、二宮君
「今日はお疲れ~。かんぱ~い」
「俺はこれからなんだけど……とりあえず、かんぱい」
ジャギーラグに上に設置された丸テーブルには、グラスにたっぷり注がれたよっちゃんオレンジがいつの間にか置かれていた。
俺と一ノ瀬さんはグラスを合わせ、よっちゃんオレンジを飲む。
さてぃふぉとよっちゃんオレンジを一緒に飲むというシチュエーション、ファン冥利に尽きるだろ。
「ぷふゃあああ、おいちいい! よちゃ神様~!」
一ノ瀬さんがよっちゃんオレンジを口にした瞬間、さてぃふぉへと豹変した。
これがファンの間で劇物と呼ばれし、よっちゃんオレンジ。
その豹変ぶりをこうして生で見ると、驚きが隠せない。
クラスでは誰とも喋らず寝ているかゲームをしている一ノ瀬さんが、こんなハイテンションになるなんて、誰が想像できるだろうか。
「しかし、本当に美味いなあ。昔から当たり前のように飲んでいたから気づかなかったけれど」
「でしょ? 二宮君もこれを機に私とよっちゃんオレンジ箱買いデビューしない?」
「箱買いはハードル高すぎない⁉」
「えへへ~」
よっちゃんオレンジの水滴がくっついた、一ノ瀬さんのだらしない口元は緩みきっている。こんな彼女のオフの姿は学校では絶対に見られないだろう。
俺だけが知る一ノ瀬御世の本当の姿。そう考えると、優越感半端ない。
「15デシリットルペットもうすぐ無くなっちゃうね」
「あんまり日常でデシリットル使う人居ないのよ」
「確かに。使わないんだったら習う意味ないよね」
一ノ瀬さんは、そんな身も蓋もないことを言うと、ペットボトルに直に口をつけて豪快に飲み干した。
「凄い飲みっぷりだ……」
「美味しすぎて昇天しそう! スカイザワールド!」
「ちょっと何言ってるか分からないです」
「生意気だよ、二宮君。こちとら登録者10万人だよ!」
「さすがは、ちゃんと戦闘力が数値化されているシビアな世界」
よっちゃんオレンジを身体に注入したことによって、一ノ瀬さんが動画外でもさてぃふぉ化してしまったようだ。
酒を飲んで人格が変わる人は数いれど、オレンジジュースで人格が変わるのはこのひとくらいだろう。
「しかし、人に見られての収録初めてだったから緊張したな~」
「さてぃふぉでも緊張することあるんだ」
「当たり前だよ。私を何だと思っているの」
「動画配信サイボーグ?」
「10%くらいは合ってる……のか?」
「ちゃんと否定して!」
「ところで、二宮君。実際に見てどうだった? ほら、他人に意見を聞く機会ないから」
「どうもこうも、推しの収録を生で聞けて、感動が止まらないよ」
「イエスマンだな~。将来詐欺とかにひっかかりそう」
「その言葉をそのままお返しするけど」
一ノ瀬さんが飲み干した空のペットボトルを片付けようと、机に置いてあったそれを持つと、わずかに重さがあった。どうやらまだ飲み残しがあるようだ。
「一ノ瀬さん、まだこれ残ってるよ」
「飲んでいいよ、二宮君」
そう言って、一ノ瀬さんは自分が飲んだペットボトルのキャップを開け、俺に手渡してくる。
直飲みを差し向けるように。確かに、飲み終えたらペットボトルを捨てるので、普通なら問題ないが……。
これは一ノ瀬さんが一回、口をつけたペットボトルなのだ。つまり、俺がこのペットボトルを直飲みすれば、間接キスが成立してしまう。
「ほ~れ、一気一気! 一気飲みしないと一機減るよ!」
大人しくコップに入れようとすると、末期の居酒屋みたいな変なコールが始まった。どうやら直飲みからは逃れられないらしい。
まあ、俺としたらありがたいでしかないのだけれど、本人は不快な思いをしないのだろうか。
とりあえず、本人は全く気にしていないようだし、いいのかな?
逆に俺が気にしすぎなのか……?
俺は一つ大きく唾を飲み込んで、ペットボトルに入っていたよっちゃんオレンジを一気に飲み干した。
「美味しい?」
首を傾げて、じっとこちらを覗く一ノ瀬さん。
本人は無意識なのだろうけど、ちょっと可愛すぎる。
「美味しかったよ」
正直、間接キスという事実にドキドキしすぎて、味なんてわからなかったよ……。