03話 お仕置き部屋
横浜市でラーメン屋を営む男性の談。
「ぼく、夜遅くまで店を開いてるでしょ。だから外で誰が歩いてるとか見えるのね。特別おかしなことは起こらないわけ。この辺は治安もいいもんで。でも、あれいつだったかな、変なのが歩いててね。人……って言うか、それも断言できないくらいに変だったね。なんせ体が真っ白に光ってんだもん」
* *
唱は、誰の目から見てもわかるほど疲れていても、決して学校を休まないし、体育の授業にも出る。
小学校低学年の時にインフルエンザを疑われて休まされたのが、唯一の欠席経験である。
今日は顔がやつれ、目の下にクマができており、これは花野からすれば、
「あんたにしちゃ軽症だね」
という状態だった。
「風邪じゃないよね? しんどい?」
「花野さん、こっちの人気がない方に来てください」
「なに。なんで。どうした」
「ご清聴を」
唱は小声で歌った。
花野は信じられないといった様子で、
「なんで唱がその歌を知ってんの!?」
そして、はっとする。
「まさか歌を覚えるために徹夜してたんじゃ……」
「正解です」
「バカ! こいつ……バカだ!」
「どうでした? 音程がずれているところはありませんでしたか」
「いや完璧だったよ! そこはさすが! あんた歌上手だよ! でもバッカだねぇ!」
「この他にも34曲覚えてきたのですが、聴いていただけますか」
「バカ! 覚えすぎだよ! ってか、今ここで全部聴けっての? 放課後に部活の先輩に聴いてもらえばいいじゃん。それこそ王子様にでもさ」
「先輩方に調子外れの歌をお聴かせするわけにはいきませんから」
しかし実際に歌ってみると、ところどころ歌詞を忘れてしまっている。
寝不足で頭が働いていないだけだが、唱は意気消沈。
「軽音楽部の一員として恥ずかしいです」
「いやそんなしょげなくても」
「顔を洗って出直してきます」
唱はふらふらと洗面所に向かった。
取り残された花野は廊下や教室にいる生徒を見渡す。
今は昼休み。
花野の耳にクラスの会話が聞こえてくる。
誰々がかっこいいだとか、かわいいだとか。
あの服がほしいだとか。
――ま、それが普通だよね。
かたや花野は幼い頃から、大体いつも唱と一緒にいた。
どちらかと言えば目立つタイプではない花野にとって、クラスで浮きがちな唱という存在はありがたかった。
ただ、
――普通な高校生になるのも悪くないよな。
と思えてしまう。
「あのさ」
「ん?」
背後から話しかけてきた人を見上げる花野。
それは憧れの、
「王子様ぁああぁぁぁぁあああぁっ!」
鯵紋寺だった。
「うわっ。びっくりした。あのさ、しょーちゃんいない? しょーちゃんって……ちょっと苗字忘れちゃったけど」
「神吹唱じゃないですか!? マジかっけー! 至近距離はんぱない!」
「あー、そうそう。もしかして友達?」
「うっす!」
校内で知らない者はいない鯵紋寺。
1年生の教室前に来ただけで、周囲一帯にざわめきを起こしている。
「でも、あいつトイレに行ったばっかなんですよ。何かご用だったんですか。わたくしめが伝えておきますよ!」
「ありがと。でも今日あたし部活行かないからさ、今確認しときたいんだよね」
――せっかく曲を暗記したのに、かわいそうな唱。
それは口に出さず、花野は、
「何の確認なんですか?」
「週末ってか明日の土曜に、対バンしないかって誘いに来た。しょーちゃん、真面目だから、いろんな経験させたげた方がいいかなって思って」
「ああ、まあ……でも、唱は行かないと思います」
「何か予定あんの?」
「いや……なんて言うか……唱の家って……」
「あー、厳しいんだ」
「ま……そうですね」
* *
「……」
「お帰りなさい」
「……」
「コラッ! 挨拶しなさい!」
「うっせーなー」
大きな家だが、誰ともすれ違わずに自室まで辿り着くのは難しい。
鯵紋寺は廊下を母親に塞がれる。
「態度は悪いし、帰宅時間は遅いし、見過ごせない。唱、あなたもうすぐ成人でしょ。政治家の娘としての振る舞いを身に付けられないの?」
「政治家の娘に生まれてきたくて生まれてきたんじゃねーよ」
「あなた、まだ子供ね。今の自分がどれだけ恵まれてるか、ちっともわかってない。思っても口にしちゃいけないことくらい判断つかないの?」
「あんたも言いたいことくらい言えば? それとも、旦那に不倫されても平気なの?」
必死に冷静さを保とうとした母親だが、ここに来て、思わず引っ叩こうとしてしまう。
その手を押さえたのは、鯵紋寺家に長く仕える、いわゆるお手伝いさん達。
「奥様、どうか……」
と頼まれて、鯵紋寺鮎美は手を下ろす。
「仕事で忙しくて」
見え透いた嘘をついて家を不在にしがちな夫。
鮎美は文句ひとつ言わず家を仕切ってきた。
家事の大部分は住み込みのお手伝いさんに任せても、育児には手を抜かなかった自負がある。
それこそが女として、妻として、自分に与えられた唯一の仕事だと思い込んでいるためだ。
「権力の維持が生活の維持よ。あなたも務めを果たしなさい。明日はあなたにもパーティーに参加してもらうから、そのつもりで」
「はぁ!?」
鯵紋寺は激昂する。
「また勝手にあたしの予定を決めたの!? いや、明日は部活あるから」
「軽音楽部なんてお遊びでしょ。はぁー……。もう少しまともな手習いをしてほしいものだけど」
「遊んで何が悪いんだよ。あたしまだ高校生なんだけど!」
――胸糞悪い。
鯵紋寺は家を出ようとした。
親と喧嘩した後に外泊するのは、よくあることだった。
だが、家事代行の女性達が鯵紋寺の行く手を阻む。
「どいて!」
「ダメです、お嬢様! ……お願いします。もしお嬢様に出て行かれたら、私どもはクビになるかもしれません……」
「……っ」
別に彼女たちに恨みがあるでもない。
「鞄とスマホは預かるから」
逆らうことを諦め、母の命令に従った。
――ごめん、草ヶ部、天沢。
明日の予定をすっぽかすことになる。
鯵紋寺が閉じ込められたのは、子供の頃からお仕置き部屋として使われてきた薄暗い部屋。
「ずっとこんなのが続くのかよ、あたしの人生」




