02話 軽音楽部
電網国語辞典より引用。
「ゾンビ【名詞】何らかの手段によって甦った人。ただし多くの場合、生前の人格は失われ、知能が著しく退行している。また、特定のウイルスが人をゾンビ化させる要因とされることもあり、その場合、ゾンビに噛まれることなどにより、ゾンビ感染が拡大する」
* *
「唱って結局、何部に入ったの?」
授業の間の休み時間。
唱はクラスメイトの花野実李と窓の外を眺めていた。
「合唱部がなくなってしまいましたから、軽音楽部に入ることになりました」
「ふーん。まあ、唱って歌うまいもんね。私さ、高校に入ったら運動部のマネージャーやるって言ってたじゃん? 美術部に入ることにした」
「またですか?」
「うん……。これでもう中学からずっと美術部一色の人生だよ。何やってんだろ。なんか運動部の男子と絡む勇気なくてさ……諦めた」
「女子の部活動でしょ?」
「はぁ? 男子の部に決まってんじゃん。女子の部だったら男と出会えないんだからさ。ま、別にいいけどね。どこもイケメンいなかったし。あ、イケメンと言えば……あああああ!!! そこ! あれ! ほら! あの人!!!」
急にはしゃぎだした花野が指差したのは、運動場を歩く体操着姿の上級生。
「おおおお……! 女子高の王子様♡」
「ここ共学ですよ」
「うっせ。そういうタイプだっつってんの。なんなら、あの先輩、男子からも王子様って呼ばれてるらしいよ」
そう言われても違和感のないほど、確かに彼女は王子様然としていた。
同じクラスの女子生徒に群がられており、遠巻きには男子から熱い眼差しを送られている。
当の本人は慌てもせず呆れもせず平等に接する。
服装はやや乱れているが、姿勢は正しい。
「王子様はお嬢様なんだって。親が政治家でさ、家がお金持ちで、本人は成績いいし、なんか楽器も弾けるらしいよ。もう羨ましくもないよ、そんなの」
「確かに、鯵紋寺先輩はピアノの演奏が上手でした」
「……は? なんで唱がそんなこと知ってんの? え? 王子様も軽音楽部なの?? っしゃ、私も軽音楽部に……楽器できねぇ!」
「歌うだけなら――」
「私、歌ヘタじゃん!」
* *
「いやぁ~いい演奏だったな」
放課後の軽音楽部。
唱が入部して以来、初めて全部員が揃った。
唱を含めても計4人の小所帯。
そのうちの一人である天沢一弥はギターを肩から下ろしながら、
「知らない間に入ってた神吹さんの声もめっちゃよかった。心が洗われるみたいに綺麗だったよ。でも……ねぇ?」
問題は共通して知っている曲が校歌しかないことだった。
「流行ってる曲、聴いたこともないのマジか」
「小中学校で習った童謡などであればわかりますが」
「俺はロックが好きだな」
「そういうのは……」
一切知らない唱だった。
天沢は唱に顔を近づけ、
「逆に普段、何やってんの?」
「善いことです」
「イイコトって……。神吹さん、真面目な顔して意外と……」
天沢のからかいを止めに入ったのは、もう一人の部員・草ヶ部唯。
「そもそもピアノ、下手くそギター、バイオリン、元合唱部ボーカルの構成でやれることなんて限られてるでしょ」
「唯、もう帰るの?」
鯵紋寺に甘えた声を出されても、
「今日は新入部員と顔をあわせるために来ただけ」
「やる気ないなー」
「家に帰るまでの時間を潰したいだけだから。大体、鯵紋寺だって、やる気ないでしょ。あんた本気になればピアノのコンクールで優勝できるのに」
「へっへー」
あっさりと部室を出た草ヶ部に続き、天沢も帰ると言い出したが、これは鯵紋寺に引き留めてもらえなかった。
天沢は鯵紋寺に、
「不二子、帰んないの?」
「しょーちゃんと部活に励むよ」
「なぁ、最近付き合い悪くね? ……俺に飽きちゃったか?」
「バーカ。女を沼らせられるほどの男か?」
こうして唱と鯵紋寺の二人が取り残された。
鯵紋寺が適当に鳴らすピアノの音が部屋に響く。
自分以外の部員は全員3年生であり、それ自体が既に気まずい上、唱は更に責任まで感じていた。
「私のせいでしょうか」
「何が?」
「私があまり歌を知らないから、皆さん怒って帰られたのでしょうか」
「しょーちゃんは悪くないよ。あいつら、いっつもあんなんだし」
「先生から注意などされないでしょうか」
「ないない」
鯵紋寺は笑みをこぼし、
「頑張ったって意味ないんだから」
一般的に部活動の目標は大会での好成績だろう。
軽音楽部に全国大会がないわけでもないが、他の部に比べると規模も注目度も劣る。
そもそも鯵紋寺にしろ天沢や草ヶ部にしろ、将来的に、
「音楽で食べたいわけじゃない」
のだから、彼女たちにとって音楽は暇潰しでしかなかった。
服装や周囲からの人気だけではなく、ここにも唱との落差があった。
「あたしらも帰っちゃう?」
ピアノを閉めて、おもむろに立ち上がる鯵紋寺。
「鯵紋寺先輩は何をすることになっているんですか」
「この後? 別に……ああ! 一緒にどっか行く?」
「私は歌うことになってます」
「カラオk――」
「先輩!」
「しょーちゃんさぁ!」
鯵紋寺は素早い動きで鞄を手にして、扉に走る。
「真面目すぎだよ。今度、遊ぼう」
「生憎、その日は都合が悪いので」
「まだ何日か言ってないけど」
「おそらく週末のことだろうと思いまして」
* *
「あまり低俗ではない流行曲を35曲、選んでおきました。明日までに覚えなさい」
「ありがとうございます、お母様」
「私ではなく神様に感謝しなさい」
「はい。神様、ありがとうございます」
唱は家でも勉学を怠らない。
母親は娘の将来を考えて、毎日毎晩、あたたかく見守っている。
父親は仕事が忙しくて、なかなか家に帰って来られないのだが、
「週末には集会で会えます」
「楽しみです」
「お父様に褒めてもらうためにも頑張りなさい。勿論、学校でのお勉強もね」
「はい、お母様」