始まりの料理
床に置いたスマホが震え、設定していたアラーム音が響く。
……時間か。まだ重い瞼を無理やり開けて、ずっと鳴りっぱなしのスマホを止めて。
「ほい、白湯やで」
玉藻さんに渡された白湯をありがたくいただき、目を覚ます助力に致しまして。
「ありがとうございます」
お礼を言って、コップを返し。
欠伸を噛み殺しつつ、立ち上がって店内へ。
……お、ちゃんと掃除してくれてるじゃん。
冗談で言ったのにやってくれるなんて、言ってみるもんだな。
今度から頼もうっと。
「ほんじゃ、お稲荷さんを頼んでもええか?」
「好きですねぇ、おいなりさん」
「狐の好物はおいなりさんって決まっとるもんやろ?」
そうかなぁ? そうかも。
まぁ、玉藻さんが開店前においなりさんを頼むのはいつもの事なので、サクッと準備。
……はぁ、
「玉藻さん、俺、前からいなり寿司用の油揚げを買って来てくれって言ってましたよね?」
「毎度ちゃんと断っとるやろ?」
「一から作るの大変なんですよ?」
「その手間が美味しくするんやで?」
こんな調子なんだよなぁ。
「はぁ。……まあいいです。豆腐の水抜きお願いしますね」
まぁ言い合っても仕方ないし、玉藻さんが仕入れた木綿豆腐をまずは一センチの幅でスライス。
……ていうかこの豆腐かなりいい豆腐だな。
豆腐に大豆のクリーム色がほんのりあるもん。
……ちょっと味見。
あぁ……美味い。
何も付けてないのに大豆の風味と甘みが口の中にじんわりと広がる。
贅沢言うなら醤油とか、最低でも塩が欲しかった。
もっと贅沢言うなら生姜とねぎと鰹節も……。
「水抜き終わったで。――何食べとるん?」
「余った豆腐ですよ。滅茶苦茶美味しいですね」
「当たり前やろ。豆腐が美味しゅうないと美味しい油揚げにならん。美味しい油揚げにならんと美味しいお稲荷さんにはなり得へんやろ?」
「まぁ、それはもっともですけれども」
ちなみに豆腐の水抜きって一日とか掛かるはずなんですけどね?
なんでほぼ一瞬で玉藻さんは終わらせられるんでしょうね?
不思議だなー。
まぁ気にしてたら進まないし、水抜きして貰った豆腐を低温でじっくりと揚げていきまして。
その間に米炊くか。
米を研いで、炊飯器に入れて、スイッチオン。
炊飯器はちゃんと最新の奴なんだよな。どこから持って来たのやら。
「ええなぁ、この何かを揚げる音。心が躍るわぁ」
「あんまり尻尾振って毛を落とさないでくださいよ? 掃除したばっかりですから」
「掃除したのうちやで? まぁ、もし落としたらまた掃除するだけや」
まぁ、掃除してくれるならいいけど。
さて、お揚げは揚げ待ち、お米は炊けてない。
じゃあその間にすることは? そう、いなり寿司の準備ですね。
「あ、そうだ。玉藻さん、五目いなりにします?」
「そやなぁ。んじゃあお願いしよか」
んでやる事増えましたと。
まぁ、自分で増やしたんだけども。
とりあえずはお揚げが出来上がった後に煮る、煮汁の用意。
と言ってもこれは全然難しくない。お水に砂糖、醤油、みりんで完成。
ついでに同じ材料で分量を変えて、五目煮用の煮汁も完成っと。
そしたらお次はお酢にお砂糖と塩を加えて混ぜまして。
簡易すし酢も完成と。
んじゃあお次はお野菜……。
しいたけ、ゴボウ……色的に人参も欲しいな。
お、ひじきあるじゃん。入れちゃえ入れちゃえ。
「なんや具沢山やなぁ」
「五目いなりですからね」
作ってる様子を覗き込んで玉藻さんが嬉しそうだ。
尻尾もゆっくりだけど揺れてますわ。
さてさて、入れる事にしたひじきだけどまさかの生ひじきって言うね。
どこで仕入れてきたんだか。
というわけでまずはひじきの下処理から。
ボウルに水を張り、そこにひじきを投入し。
ゴミとかを洗い落としまして。
鍋に水を入れ沸騰させ、洗ったひじきを投入。
少量の酢を入れ艶を良くし、再度沸騰してから五分ほど茹でる。
この茹で時間でひじきの固さが決まるけど、今回はゴボウや人参もあるし、そこまで固くなくていいかなって。
んで、茹で終わったらザルにあげて、水気をしっかり切る。
茹でてた間に刻んだ人参やゴボウ、しいたけと一緒に作っておいた煮汁に入れ、煮込んでいく。
「油揚げ、そろそろやで」
「あ、はい」
そうしている内に油揚げはこんがりきつね色に。
そしたら一旦油から取り出して、火力を調節し油の温度を上げまして。
大体180度になったら再度豆腐? 油揚げ? を投入。
時々箸で転がしつつ、五分ほど揚げたら完成ですわよ。
「ええ匂いやなぁ」
店内には揚げ物の匂いに煮物の匂い。さらにはご飯が炊ける匂いも合わさり匂いの三重奏。
俺の中の日本人のDNAが喜んでおりますわ。
さてさて、油揚げが揚がったくらいで丁度ご飯も炊けたので、必要分量をおひつに移し。
熱々のご飯にすし酢をかけて、しっかりと混ぜまして。
油揚げは油から取り出し、冷ます作業。
その間に五目いなりの具を完成させますわぞ。
煮込んでいたしいたけたちをご飯と合流させ、また混ぜる。
ここでご飯にごまをふりかけ、中身完成。
まだちょっと熱いけど、油揚げを縦に切り。
油揚げの中を。ゆっくり指で開いていく。
破けないように慎重に。
開いたら、そこに具を突っ込んで完成。
……と思っていたのか?
油揚げに味をつける工程がまだ残ってるんだなぁッ!!
お鍋に油揚げを敷き詰め、混ぜ合わせた調味料を入れまして。
着火し中火にセット。その後、炊き始めたら落し蓋をしておよそ十分。
これで味付けは完成っと。
あとは手で持てる位に冷めましたら、いよいよ大詰めの詰める作業。
やっぱり破けないように、詰め過ぎないように注意しながら、ね。
「というわけで完成です」
「待ちくたびれたわ」
「油揚げから作らせなかったらもう少し早く出来たんですけど?」
「無理な相談やなぁ」
と、狐耳を動かし、尻尾を揺らし。
お箸と一緒に自分のところへと運ばれてくる、五目いなり寿司を凝視して。
「ほな、いただくわ」
と嬉しそうに目を細め、手を合わせて宣言するのだった。