開店前
時刻は夕暮れ。
昼間は閑散としたこの町が――いや、この世界が。
一気に騒がしくなる、そんな時間。
「お、空坊はいつも早いな。関心関心」
俺がいつも通りに店を開けようとすると、俺の隣にスッと音もなく並んだのは。
この世界で一番偉く、この世界で一番美人で。
……この世界で、俺に食堂なんぞを押し付けやがった張本人。
本名不明。みんなからは姐さんと呼ばれたり、姉御と呼ばれたり。
本人曰く、
「玉藻、とでも呼んでや」
と言う九尾の狐。
尻尾はそのまま、耳も同じく。
ただ、見た目は見目麗しい絶世の美女であり。
そのお尻には、そっちの方が体積大きくね? とツッコみたくなるような、太くて立派な尻尾が九本。
耳の方も、腰まで伸びた、綺麗な金髪の上から、ぴょこんとあって。
――ちなみに人間の耳は、前に尋ねた時に見せてもらった。
髪をかき上げて、
「ほら、ちゃんとあるやろ?」
だってさ。
……ちなみに俺より身長デカい。
一般平均男性位の身長の俺と並ぶと、頭一個分位デカい。
立てた耳まで測ると、およそ二メートルくらいの身長になる。
だから出来るだけ横に並ばないで欲しい。
体重は秘密。聞き出そうとしたら次の瞬間には投げ飛ばされ、体が宙を浮いている。
君子、危うきに近寄らずと言うし、俺から聞こうとは思わないかな。
酒に酔って絡んできたお客さんを何度も投げ飛ばした姿を見たことがあるだけ。
「これ位に来ないと仕込みが間に合いませんから」
なんて言ってるけど、玉藻さんがこの時間に、仕入れた材料とかをお店に持って来るから、俺が来ないとそもそも材料が痛んだりするんだよな。
それをこの人? 九尾? は知ってて言うのだからたちが悪い。
「ま、ここでの役目をしっかり理解しとるようで関心関心」
店を開け、玉藻さんが仕入れた食材を冷蔵庫や冷凍庫。
更には野菜室やワインセラーなんかに収納し。
開店はまだなのに、当たり前にカウンターの一番端に、足を組んで座ってキセルを燻らす玉藻さん。
もう慣れたもんだけどさぁ。
「本来は禁煙なんですからね。開店させるまでには火を消してくださいよ?」
「はぁ。昔はそないな事無かったんになぁ。喫煙者は肩身が狭いわ」
「俗世の流れです。流れに逆らわないように」
なんていつも通りの会話をしながら、仕込みに入る。
と言っても、決まったメニューも無ければコースも無い。
ただ客として来た妖怪にリクエストされた内容の料理を作るだけ。
だから、出来る事はほとんどない。
「それにしても、なんで俺だったんですか?」
「ん? 何がや?」
「いや、こんな場所に連れて来られた理由ですよ」
「こんな場所とは失礼やな。ええ場所やろ?」
とは玉藻さんは言うけどさぁ。
人間らしい人間は少数。
昼間はほとんど誰も居らず、日が沈めばどこからともなく妖怪が湧いてくる。
これがいい場所か? という質問に、俺は首を全力で振るぞ?
「ええ場所やろ。争いも、犯罪も、残業だってあらへんよ?」
確かに玉藻さんの言い分通りだけどさ。残業無いし。
――でも普通の人間は妖怪に恐怖するんですよ……。
一部変態は妖怪見て喜んだり、興奮したりしますけども。
「普通の人間ねぇ。ま、今はそういう事にしとこ」
「ナチュラルに思考を読まないでいただけます? 玉藻さんって覚だったりします?」
「うちのどこ見て覚とか言うんよ。誰がどう見ても九尾やろ」
「ですよねー」
とかなんとか会話をしてたら、あっと言う間にやる事やっちゃったんだよな。
「俺、開店まで仮眠するんで、時間になったら起こしてください」
「昨日みたく、尻尾で鼻と口塞いだるわ」
「やめてください。苦しくて死ぬかと思いましたよ?」
「死んでへんやろ?」
「普通に!! 起こしてください」
「はいはい」
けらけらと笑いながら、キセルの煙を吐いた玉藻さんを尻目に。
俺は店の奥にある仮眠用スペースへと足を運び。
「あ、ついでに店内の掃除もお願いしますね」
雑用を玉藻さんに押し付けて。
信用してないわけではないが、万が一のことを考えてスマホで目覚ましをセット。
開店の一時間前に起きる準備をしつつ、布団へと潜ったのだった。
*
ふふ。殺すはずあらへんやん。
やっと見つけた血筋の人間やで?
苗字は変えとるみたいやけど、なぁ。
『空木崎 昇』ねぇ。ええね、ええね。
うち、好きやで? そう言うの。
対抗意識バチバチやんか。昇なんて名前にまでして。
苦労したんやで? 現世に一番近い土地用意して、毎日タダで食材仕入れて。
生活費も、あらゆる資金を調達してな。
だから、頼りにしとるんよ? うちの野望の為に。
あんさんの血筋……その復讐の為に、な。
それにしても……。
「雑用まで押し付けられるとは思わへんかったけどな」
カカカと笑うも店内にはうち一人。
虚しく笑い声だけが響く中、仕方ないかと立ち上がり。
床を掃き、テーブルやカウンター、椅子もしっかり拭いて……。
「お座敷も、何かした方がええんやろか……?」
渇いた手拭いを持ってお座敷を見るも、うちには正直、掃除の知識とかあらへんし。
下手に触って、何か悪い事が起きても嫌や。
お座敷は特に触らへんでええか。
……皿とかコップとか磨いといたろ。
落として割ってもうても、うちはどうとでもなるわけやし。
あー……割れた音で昇が起きてまうかもなぁ。
――ちと試してみるか? 冗談や。
今のうちにゆっくり寝ぇや。
どうせ客が来たら忙しくなるさかい、な。