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拾い物は王子さま  作者: 藤咲慈雨
出会い編
9/52

8.記憶のカケラ


 今にも崩れそうな家。壁という壁には本棚が設置され、ありとあらゆる本で埋っていた。それでも入りきらなかった本は床に散乱している。

 三階の天井は全て天窓になっており、今は煌々と輝く星空を見ることができる。

 師匠は一晩中、それを眺めるのが好きだった。


『お師匠、風邪ひくぞ』

『私は馬鹿ですから風邪なんてひかないんですよ』


 薄着で床に寝そべる師匠に注意すれば、師匠はいつも笑ってそう言った。もちろん師匠は馬鹿なんかじゃない。師匠が馬鹿だったら、この国の多くの人間が馬鹿以下ってことになってしまうじゃないか。

 師匠ほど、知識が豊富で魔力も強い人間など居ないだろう。「白銀の賢者」という二つ名は決して誇示なんかではないのだ。

 それでも師匠は決して権力を求めようとはせず、力で押し切ることもしない。争いごとからは裸足で逃げ回っている平和主義者。――心優しき偉大なる魔術師。


『お師匠はなんで魔術師になったの?』


 素朴な疑問だった。唐突な質問に師匠は首を傾げ、にっこり笑って夜空を見上げた。つられて空を見上げれば、たくさんの星が夜空を駆け抜けていく。


『私は昔、生意気なクソ餓鬼でした』

『…お師匠が?』

『おや、信じられませんか?』


 師匠の言葉に首を大きく縦に振る。信じられない。今の温厚な様子は、庭先でお茶を飲んでいるお爺さんそのものだ。生意気とは無縁の存在に思える。

 そんな俺の気持ちが分かったのか、師匠は苦笑を漏らした。それから懐かしそうに目元を和ませる。


『力ばかりあって、ろくな術も仕えないのに思い上がって。たくさんの人に迷惑をかけました』

『悪戯ばっかりしてたってことか?』

『悪戯で済まないようなこともね』


 含み笑いをもらす師匠は、なんだか楽しそうだった。俺はいつの間にか師匠の側まで来ていて、師匠に手を引かれるまま隣に腰を下ろす。

 師匠は星空を見上げながら『――そんな時、本物の魔術師を見たんです』ポツリとつぶやいた。

 俺は師匠の顔を見下ろす。師匠はまっすぐに俺の顔を見上げた。


『本物の魔術を見ました。本当の魔術師の姿もね』


 師匠の目がきらきらと輝く。俺は師匠の気持ちが手に取るように分かった。だって、それって俺が師匠に会ったときに抱いた気持ちだろうから。


 偉大なる魔法。世の理に触れ、秩序の網を解きほぐし、新たな事象を埋め込んでいく。扱い方しだいでは、「善」にも「悪」にもなるから。

 俺は師匠の扱う魔術を見て、魔術師になりたいと思った。


『私はきっとあの時、魔術師になろうと思ったんでしょうね』


 にっこり笑う師匠は本当に楽しそうで、俺もつられて笑ってしまった。



 平和だった。楽しかった。師匠と過ごす毎日が幸せだった。


――それなのに。


 俺がその日常を壊したんだ。



*  *  *



「っ!」


 目の前が真っ赤に染まった気がして、アッシュは飛び起きた。その瞬間、宙に浮いていたものが重力に従って床に落ちた。

 心臓が全力疾走したあとのように速くなっている。アッシュは額を流れる汗を乱暴に拭った。

 夢を見ていた気がする。懐かしい過去の記憶の。初めて見るものだった。まだアッシュが子供のころの日常の記憶。

 自分以外の誰かが側に居て、アッシュはその人から何かを教わっていた。――たぶん、魔術を。


「魔術…?」


 知らない言葉のはずなのに、アッシュの胸に訪れたのは不思議な懐かしさだった。ずっと忘れていた何かを取り戻した安堵感。

 アッシュは窓辺に据えられているソファーを見る。そこには毛布にくるまって眠るレティシアが居た。起きた様子はない。そのことに少しだけ安堵した。

 ベッドから這い出ると床に落ちた物を拾っていく。あちこちに物が散乱する様は、少し異様だった。それらを全て片付けて、アッシュはため息をこぼす。


 閉ざされた記憶の扉が、少しだけ開かれたあの日から、アッシュは身の内に蠢く「何か」の存在を強く感じた。それを感じるとき、自分の中で失われたはずの記憶が蘇る。それと同時に、体のあちこちが痛むのだ。骨が軋むというか。


「俺はどうしたんだろう…」


 得体の知れない不安。最初は記憶のない頼りなさから来るものだと思っていた。だけどすぐに違うと気づいた。

 喪失感。それが一番しっくりと来る感覚だ。

 大切な何かを失ったような、そんな救いようのない虚脱感が拭い去れない。


「何も思い出せないんだけど」


 アッシュは自嘲気味に笑う。記憶がないから、何を失ったのかも分からない。それがひどくもどかしかった。

 視界の端で何かが動く。そちらを見れば、ソファーで眠るレティシアが窮屈そうに寝返りを打ったところだった。

 そういえばこいつも変だった。道端で倒れていた知らない人間を助けるなんて、すごくお人好しだと思った。そんなことを考えながら、アッシュは寝ているレティシアの側までいく。


「…まぁ、助けてくれてなかったら、今頃死んでたんだろうけど」


 助けてくれなかったら、アッシュは確実に死んでいた。背中に負った傷は今でも時々痛んで、それだけでどんなにひどい怪我だったかが分かる。

 無邪気に眠るレティシアに小さく笑って、アッシュはその身体をゆっくりと持ち上げた。起こさないように注意しながら、ベッドの上に横たえる。上掛けをかけてやっても、レティシアは起きなかった。

 しばらくアッシュはその寝顔を見ていたが、やがて頬を優しく人撫ですると、その場を離れた。

 月明かりの漏れる窓辺で、夜空に輝く星々を見上げる。昔もこうやって星を眺めていたような気がした。


「…俺は、誰なんだろうな…」


 思い出したい。それは確かな気持ちなのに。

 アッシュはギュッと拳を握り締める。伸びた爪がアッシュの手のひらに食い込んだ。

 まぶたを閉じれば、真っ赤に染まる視界。それが何なのか、アッシュには分からない。だけどどうしようもない焦燥感がアッシュの胸を焼くのだ。


 言いようのない不安感と頼りなさを胸に抱きこみながら、アッシュは一晩中、星空を眺めていた。




 朝起きて、レティシアは違和感に気がついた。

 寝転がるには窮屈なソファーに寝ていたはずなのに、いつの間にかベッドで丸くなって眠っている。まさか寝ぼけてベッドの中に潜り込んでしまったのだろうか。

 隣を見るがアッシュの姿はない。上半身を起こしてアッシュの姿を探すが、見つからなかった。


「アッシュ?」


 レティシアはベッドから降り、アッシュの姿を探す。

 果たして、アッシュはすぐに見つかった。

 窓の下で、背中を壁に預けるようにして座っている。長い足が須加に投げ出されていた。


「アッシュ? 寝てるの?」


 顔を覗き込んで声をかけるが、アッシュはピクリともしない。どうやら深く寝入っているようだった。アッシュが眠っているのを確認すると、レティシアはその寝顔をじっくりと眺めた。

 また少し大きくなった気がする。もう子ども扱いなんてできない感じだ。だけど寝ているときの顔はどことなく幼さが残っていて。レティシアが小さく笑って、その寝顔に手を伸ばした。


「っ!」

「え、」


 伸ばした瞬間、目を開けたアッシュに手を掴まれる。そのまま身体を床に押し倒され、アッシュがその上に馬乗りになってきた。アッシュの手がレティシアの首を圧迫する。

 一瞬の出来事だった。レティシアには何が起こったのか分からず、ただ呆然とアッシュを見上げる。アッシュも無言でレティシアのことを見下ろす。

 嫌な沈黙が二人を間に流れる。


「…アッシュ?」

「あ…」

「退いてもらえる?」


 レティシアの言葉にアッシュは慌ててレティシアの上から退いた。それと同時に息苦しさからも開放される。うなだれるアッシュを見て、レティシアは信じられない思いでアッシュを見た。


「悪かった…」


 アッシュは囁くような声でレティシアに謝る。レティシアはそれには首を振って、アッシュの手を取った。アッシュは驚きながらも、レティシアにされるがまま、素直に手を差し出す。

 荒れたことのないような、白くて綺麗な肌。それなのに手のひらには所々、不自然に硬くなっているところがある。最初はどうしてなのか、さっぱり分からなかった。だけど今ならそれがちゃんと分かる。


「あなた…軍人だったの…?」


 レティシアの言葉にアッシュが驚くのが分かった。

 手のひらにある皮膚の硬くなったところ。それは長い間、剣を握っていた人間にできるものだ。それも常時、剣を握っているような人――軍人のように。

 そう考えると、さっきのアッシュの行動にも納得できる。あれはレティシアが不用意に近づいたから、アッシュが本能で危険を回避しようとしたのだ。


 もはやそれは、身体に刻み込まれた記憶。


 引き締まった体躯。それはもはや、子供とはいえないほど成長していた。拾ったころにあった無邪気さはいつの間にか消えている。

 アッシュは少年から青年へと代わろうとしていた。


「俺は……」


 苦しい呟きがレティシアの鼓膜を震わせる。


――誰なんだろうか…


 声にならない疑問は、アッシュの胸の奥へと消えていった。


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