50.天使の登場
レティシアの見上げているのは、金髪に紫紺の瞳の可愛らしい女の子だった。まさに美少女である。
零れ落ちそうな大きな瞳がレティシアを見つめ、その顔が愛らしく微笑んだ。
「お姉ちゃま、こっち」
「え? ……え?」
透き通るような白い肌を持った小さな手が、レティシアの手を握り込む。
「ちょっと?」
手を引っ張る美少女を見るけど、彼女は楽しそうに笑って迷いのない足取りで駆けていく。戸惑っているうちに、舞踏会場を抜け、人通りの少ないところへと来てしまった。
「ここ、来ちゃまずいところじゃないかな……」
奥に進むにつれて、周りの景色も変わっていく。すれ違う人も少なくなった。ここって、もしかして一般人が立ち入ってはいけないところなんじゃないかな。
これは見つかったら叱られる。間違いなく。焦るレティシアの様子には気づかず、美少女は迷いのない足取りで進んでいた。
やがて大きな扉の前にたどり着く。すると美少女はその扉を一生懸命押し始めた。
「ここを開けたいの?」
「うん」
無邪気に頷いたのを見て、レティシアは両手を扉に押し当て、力いっぱい押した。
「ぐっ」
見た目通りに重い。しかし押し続けるとゆっくりと扉が動き始めた。やっとの思いで人が一人、通れるスペースを開けることができた。すると美少女はその隙間をするりと抜けていく。
美少女の背中が扉の向こうに消えたのを見て、レティシアは扉の前で逡巡した。ここは間違いなく一般人が入り込んで良い場所ではない。戻るなら今だろう。
しかしあの少女を置いて行くのも気が引けた。何より、その美少女がどこに行こうとしていたのか、それが気になった。
「……怒られたときはその時よ」
レティシアは覚悟を決め、扉の隙間に身体を滑り込ませる。
扉の向こうは静かな空間だった。奥の方はガラス張りになっており、窓の向こうに広がる景色を大きく映し出している。
「ここは書斎? ……いや、温室……?」
左右の壁には本が山と入った本棚。しかし奥の方は壁も天井もガラス張りで、植物も見える。
感嘆のため息をもらしながら進めば、美少女がガラスのすぐそばの植え込みに座っているのが見えた。レティシアはそっと彼女に近づく。
「何を見ているの?」
レティシアの言葉に美少女が顔を上げた。そこでレティシアは、彼女が何かの花を見ていたことに気が付く。
「わぁ……!」
美少女の足元には決して大きくはない花壇があった。そしてそこには溢れんばかりの白い花が咲いている。芳醇な香りがその場には満ちていた。
レティシアが目を輝かせたのを見て、美少女がはにかむ。照れたように頬を染めながら、レティシアのドレスを引っ張った。
「あのね、アリーが育てたの」
「え?」
「水をあげてね、土を被せたのよ。今日、初めて咲いたの」
花を見つめる美少女――アリーは誇らしげで、その笑顔にレティシアもつい笑みがこぼれる。
「そうなんだ。すごいね」
褒めると、アリーは照れたように頬を赤く染めた。その姿も可愛らしく、ついついレティシアは無遠慮に頭を撫でる。
この感じ、誰かに似ている。ふと、レティシアは思った。はにかんだ笑顔や、どことなく顔立ちも誰かに……。
「あ、アッシュに似ているんだ。……ん?」
アッシュに似ているということはつまり、エルバートに似ているということである。エルバートに似ているということはつまり……。
レティシアは今度こそしっかりと美少女を見た。
纏っているドレスは質素に見えて、肌触りといい光沢といい、贅沢な品だと分かる。アリーは年の割にはしっかりとしていて、言葉遣いも丁寧だ。何より、王宮に詳しすぎる。
「そして自分でこの花を育てたってことは……」
導かれる結論はただ一つ。そう思った瞬間、レティシアは背後で女性の甲高い声を聞いた。
「姫様!」
呼ばれた瞬間、目の前に立っていたアリーの顔が一気に強張った。そのままレティシアのドレスのスカートの影に隠れようとする。
扉を開けてこちらに飛び込んできた侍女は、アリーの姿を見つけるとあからさまにホッとした顔になった。
「良かったです。心配したんですよ? お部屋でお休みになっているとばかり思っていましたのに……」
「…………」
侍女が足を進めてくる。アリーはレティシアから離れようとしない。さてどうしよう。レティシアは途方に暮れた。
アリーが動こうとしないのを見て、侍女はようやくレティシアの存在に気が付いた。そして不審なモノを見るような目をレティシアに向ける。
「ここは一般の人は入れません。あなたどうやってここに?」
「えぇっと……」
やっぱり入ってはいけない場所だったか。レティシアは額を伝う冷や汗を自覚しながら、なんとかこの場を取り繕うと思考を巡らせる。
目を泳がせるレティシアを、怪しいものを見る目で見ていた侍女だったが、やがて大きくため息をついた。
「今日の舞踏会にいらした方ですね? 迷子ということにしておきますから、舞踏会場にお戻り
ください。今、案内を呼びます」
「あ、ご迷惑をおかけします……」
侍女の言葉に素直に頭を下げ、お詫びの言葉を言ったレティシアを、侍女は変なものでも見るような目で見た。レティシアにはその意味が分からず、地味に傷つく。
落ち込むレティシアは大人しく迎えを待つことにした。しかし途端に、足元に居たアリーが腰に抱き付いてくる。
「わっ」
勢いよく抱き付かれ、レティシアは倒れそうになる。アリーを押しつぶしそうになって、慌てて踏ん張って態勢を整えた。
アリーを見れば、今にも泣きそうな顔でレティシアにしがみついている。その手は絶対に離すまい! とレティシアのドレスをきつく掴んでいた。
その様子に侍女の方が驚く。彼女はレティシアのそばに膝をつくとアリーの顔を覗き込もうとする。
「姫様? さぁ戻りましょう。もうお休みの時間ですわ」
「…………」
「殿下もお待ちですよ。きっと首を長くしてお待ちになっているはずです」
侍女がいくら言葉を重ねても、アリーはレティシアから離れようとはしない。その様子を見て、侍女はレティシアを見上げた。
責めるような目で見られ、レティシアは泣きたくなってくる。何もしてないのに……。そんなことを思いながら唇を尖らせていると――。
「――レティシア? ここか?」
聞きなれた低い声が部屋に満ちた。扉の方を見れば、さっきまで一緒にいたエルバートが立っている。
エルバートは奥に立ち尽くすレティシアを見つけると、眉間にしわを寄せた。不機嫌を隠しもせず、レティシアの方へと歩いてくる。
「まったく。なんでこんなところに居るんだ」
「えっと、ですね」
「ここは本来なら立ち入れない場所なんだぞ。迷子でこんなところ……アリシナ?」
「お兄ちゃま!!」
レティシアの足にしがみついていたアリーは、入って来たエルバートの姿を認めると一気に駆けだした。エルバートは走ってきたアリーを受け止めると、軽々と抱き上げる。
アリーはエルバートに抱き付くとそのまま肩に顔をうずめた。
「アリシナ、お前なんで……」
「お姉ちゃまを叱らないで。アリーが連れてきたの。アリーが悪いのよ」
「……お姉ちゃま?」
アリーの指さす先には困った顔で立つレティシア。なんとなく状況が読めたエルバートはアリーの顔を覗き込んだ。
「勝手に知らない人を連れてきたらダメだ。分かるな?」
「はい。でもお姉ちゃまは良いでしょう?」
「結果的には大丈夫だったが、これからはダメだ。さぁ部屋に戻るぞ」
そう言ってエルバートはアリーを部屋から連れ出そうとする。一方、抱き上げられているアリーは未練がましい目でレティシアを見つめ、非難の目でエルバートを見た。
エルバートとアリーは見つめ合う。負けたのはエルバートだった。
「……レティシア、」
「なに?」
大人しく案内の人と会場に戻ろうとしていたレティシアを呼び止めるエルバート。
エルバートは困ったという顔をしながら、レティシアを見つめた。
「悪い。一緒に来てくれないか?」
「どこに?」
「アリシナの寝室」
しばし固まるレティシア。アリーはそんなレティシアを見つめ、無邪気に微笑んだ。