48.夢の空間
ふかふかの赤絨毯を敷いた明るい廊下を抜け、大扉を抜ける。そして二人は高い天井の広い空間に出た。
「う、わぁ……!」
そこはまさに夢のような世界だった。
豪華なシャンデリアが天井から吊され、壁の上部には鏡が取り付けられている。それが光を反射し、よりいっそう空間を明るい物にしていた。
遠くに見えるのは玉座だろうか。玉座まで長い距離がある。そしてそこを埋め尽くすたくさんの人々。
「王都中の人間が集まっているみたい……」
「まさか。さすがにそんなには入れないよ」
レティシアの呟きが聞こえたらしいエルバートが小さく笑う。だってこんなに人が集まっている場所に行ったことなんて一度もないし。
エルバートはレティシアの腰元を抱き寄せたまま、どんどん玉座の近くに歩いていく。
「えーと、エルバート? どうしてそんなに前の方に行くの?」
「色々とあるんだよ。俺は一応、一つの軍隊のトップだから。」
有無を言わさず、エルバートはレティシアを伴って歩いていく。このままでは恐ろしいことになる。そう思ったレティシアは足を踏ん張って留まろうとしたが、エルバートは笑顔で腰元を引き寄せた。
一歩も動きたくない。そう思って隣に立つ男の袖口を軽く引っ張る。
「エルバート、私はここにいる」
「だめだ」
「なんで!」
「パートナーは近くにいるものだろう?」
笑顔でそう言い切ったエルバートを見て、レティシアの額に青筋が浮かぶ。嫌だって言っているでしょ! そう罵っているレティシアの視線を、エルバートは気づかないフリをした。
結局、レティシアはエルバートにエスコートされるまま、玉座のそば近くに控えた。恐る恐る玉座を見上げれば、王妃と目が合う。
「っ!」
レティシアと目が合った瞬間、王妃はうっとりと艶やかにほほ笑んだ。それを見て、レティシアの背筋は寒くなる。
ここに来たのは間違いだったかもしれない。レティシアの脳裏にそればっかりが駆け巡る。
王妃のあの微笑みを見てから居心地が悪かった。さっきから王妃の視線がまとわりついているような気がする。気のせいだと思うけれど。
やがて広間の大扉が閉められ、玉座に座る王が厳かに立ち上がった。そこで初めて、レティシアは王の顔を見た。
年相応の、風格ある王の姿。エルバートに似ている気がする。そう思ってレティシアは隣に立つエルバートを見上げる。
もう少し、年をとったらあんな風になるのだろうか。そう思って少し笑う。
あんな風な威厳は出ないだろうな。そんな失礼なことを思った。
「みな、よく集まってくれた。特に此度の戦に携わった者たちには、本当に感謝している」
王はそう言って広間のみんなを見回す。一瞬、目が合ったような気がした。
「今日は祝いである。遠慮せず、存分に楽しんでくれ」
その言葉を合図に広間の全員が王に礼を取る。王が椅子に座るのを待って、王宮楽団が音楽を奏で始めた。
途端に男女が手を取り合ってフロアに広がる。ダンスが始まるんだ。そう思ったレティシアは急いでその場を離れようとした。
どこか人の少ないところへ……。そう思って壁際に下がろうとしたレティシアの腕をエルバートが素早く掴む。
「どこに行く?」
「どこって、ここから離れないと」
「なぜ」
「私、踊れない!」
そこでエルバートも周りの人間がダンスをするために向かい合っていることに気が付いた。そして焦って視線をさ迷わせるレティシアを見下ろす。
「ダンスは……」
「踊れるわけないでしょ!」
「分かっている。こっちだ」
捉えられた猫のように威嚇するレティシアに苦笑すると、エルバートはレティシアの手を引いてダンスの輪から外れた。その行動に周りの人間が目を丸くする。
本来ならば、エルバートの立場では踊らないわけにはいかない。今回は戦勝記念だから、なおさら踊る必要がある。
ベルティーナはエルバートがダンスもせず奥に引っ込もうとしているのを見て、思わず眉を上げた。しかし一緒に連れている女性を見つけて、思わずにっこりほほ笑む。
「どうした? 楽しそうだな」
「えぇ。そうですね。とっても楽しいです」
「理由を教えてくれないのか?」
楽しそうに広間を見回すベルティーナに隣に座る王――アルフレッドが寂しそうな顔をする。しかしベルティーナがほほ笑むだけで何も言わないのを見ると、肩をすくめて聞くのを諦めた。
「ふふ。面白くなりそうね」
「何か言ったか?」
やっぱりベルティーナはほほ笑むだけで、アルフレッドの言葉に答えるつもりはないらしい。その様子に「寂しい……」と言ってアルフレッドが小さくなった。
レティシアはすれ違う人の多さに眩暈を起こしそうになっていた。さっきからエルバートに声をかける人が多い。レティシアは遠慮して、その場を離れようとしたがエルバートが手を離してくれないのでそれもできない。
今回の戦争の勝利はエルバートの功績によるものが大きい。それが分かっているだけに、エルバートも寄せられる賛辞を受け取らないわけにはいかなかった。そして挨拶をする相手がレティシアを見るたびに、意味深な笑みを浮かべることにも気づいている。
二人は寄り添いながら質問を許さない笑顔で応対していた。思惑はそれぞれ違ったが。
レティシアはぼろが出ないように口を閉じていたかったからだし、エルバートは余計な横槍を入れられてなんとか均衡を保っているこの状況を悪化させたくなかった。
しかし、一人の勇者がその状況をぶち破る。
「ところで……そちらに居るのはどなたなのかしら?」
レティシアとエルバートの周りの空気が凍る。大きな好奇心と隠しきれない嫉妬心を浮かべて聞いてきたのは、名門伯爵家のご令嬢だった。
二人は笑顔のまま固まる。さて、どうしたものか。エルバートはこちらの様子をうかがっている周囲の様子を見ながら考えた。
下手なことを言って騒ぎを起こすのは得策ではない。しかしその場をうまく誤魔化せるような言い訳も思いつかない。
隣を見れば、レティシアは笑顔のまま固まっていた。あまりにも直立不動状態だったので、息をしているか心配になる。どうやら頭の中が真っ白になっているようだ。
そんな二人の周りに流れる微妙な緊張感に気づかなかったのか、朗らかな声がその場に響いた。
「こんな所におったのか! 探し回ったではないか!」
「元帥……」
「まったく、年寄りを歩かせおって……」
人垣の向こうから現れたのはバルドロイ元帥だった。国の英雄であり、侯爵である彼の登場に人垣は崩れ、バルドロイ元帥を通す。
元帥は不満そうな顔を隠しもせずに歩いていたが、その視界にレティシアが入ると、とたんに嬉しそうに笑み崩れた。
「レティシア、よく来たな。退屈しておらぬか?」
「はい。……想像もしていないくらい豪華で、驚きましたけど……」
「そうかそうか」
こっそり付け加えられた一言に、元帥もいたずらっ子のような笑みを口の端に浮かべる。
バルドロイ元帥は一歩下がって、レティシアの全身を眺めた。それから満足そうに何度も頷く。
「よく似合っておるよ。レティシアは母親に似て美人じゃのぅ。……小僧、なかなか良い仕事をしたな」
「お褒めに預かり光栄です」
最後の一言はボソッと、エルバートにだけ聞こえるように呟く。それを受けてエルバートは仰々しく腰を折って、賛辞を受け取った。
「次はできれば、わしが着飾ってやりたいのぅ」
エルバートのことを不機嫌そうに見たあと、レティシアに好々爺の笑みを見せてその場を離れた。
「元帥とお知り合いですの……?」
背後から聞こえた声に、レティシアは内心で飛び上がる。振り返れば、先ほどエルバートとレ
ティシアの関係を聞いてきた令嬢がこちらを見ていた。
レティシアは曖昧に笑って、その場を濁そうとする。しかし令嬢の視線はうやむやを許してはいない。レティシアが向けられる視線の強さに動けないでいると、隣に居たエルバートが口を割った。
「知り合いも何も……彼女は元帥のお孫さんですよ」
――その瞬間、声にならない悲鳴が二人の周囲で沸き起こった。