46.いざ、決戦の場へ!
その日、レティシアは戦場に居た。
いや、正確にはレストン邸に居たのだが、レティシアの心理状態としては戦場に居るように感じた。
珍しく惰眠を貪っていたレティシアは、侍女の方々に笑顔で叩き起こされた。
「なにごと……!?」
かけ布団をはぎ取られ、寝台の上から引きずり落とされる。そして言われるがままに浴室へと連れて行かれた。そこには湯の張られたバスタブがあり、侍女の方たちが笑顔で立っている。
「えっ……」
「さぁ、後がつかえてますからさっさと済ませてしまいましょう!」
「済ませる?」
「とにかく体中を綺麗に磨きあげましょう!」
少し怖くなり、咄嗟に身を引いたが問答無用で服を脱がされる。それからバスタブに放り込まれると、体中を洗われた。
髪も丁寧に洗われ、いい匂いのする香油を塗られる。それからバスタブを出た後は、髪をタオルで何度も丁寧に拭かれた。その間に体中をマッサージされる。
「そんなに丁寧にやらなくても……」
「そんなわけにはいきません! 今日はレティシアさまにとって晴れの舞台です!」
「そうですわ! いわゆる社交界デビューなんですから!」
「しゃこうかいでびゅー……」
そんな大事になるとは……。今さらながら事の大きさに尻込みしてしまう。しかし行かない、とも言えない。
結局、レティシアは侍女の皆さんの言うままに体中を磨き上げられた。
「そういえば、ドレスは?」
保湿クリームとやら塗られている状態で、ふと思い出して聞いてみる。するとそれを待っていたかのように、レティシアの部屋の扉が外側から勢いよく開けられた。
「もちろん準備できていますよ!」
「わぁっ!」
そこには大きな箱を抱えたマリーが立っていた。やつれていたが、目は爛々と輝き嬉しそうに顔をほころばせた。
マリーは腕に抱えた箱を持ち直すと満面の笑みを浮かべたまま、レティシアに近づいてくる。そしてレティシアの目の前に立つと箱のふたを開けた。
「うっわぁ……」
箱には素敵なドレスが入っていた。深紫をメインにしたもので、ところどころに青や深藍を差し色として使っている。
レースと造花がふんだんに使われ、デコルテラインが見えるように襟の部分はがっぱりと開いていた。
「凄いですけど……これ、最初に見たのと違くないですか?」
そうなのだ。レティシアが仮縫いの時に見たのは、もう少しすっきりとした落ち着いたドレスだった。
しかし今目の前にあるドレスは、造花が足されて襟も胸元が見えそうなくらいに開いている。
「開きすぎじゃあ……」
「いいえ! 仮縫いのときにやはり浅かったか、と後悔したのです。やはりその美しい首筋は見せないと罪です!」
「罪って……」
熱狂したように言葉を重ねるマリーに侍女の皆さんも一緒に頷いていた。ドレスを箱から取り出すとそれを私に着せてくれる。
レティシアはシルクの下着を着て、コルセットをつける。今までコルセットなんて付けたことがないので、侍女の人たちにあまりきつく締めないようにお願いをした。
「ドレスの作り直しをしていたのでこんなに時間がかかってしまいました……。ですがおかげで最高のものを作り上げることができました!」
ドレスの着付けを手伝うマリーはクマを作りながらも、最高の笑顔を浮かべている。レティシアは彼女の職人魂を見せつけられたような気がした。
そしてドレスが侍女たちの手によって着せられていく。装飾品もすべてつけた時、レティシアは鏡に映る自分を見て固まった。
造花とレースで飾られたドレスは可愛らしい雰囲気を持ちがちだが、すっきりとした形と深い色合いで大人っぽさや艶っぽさが表現されている。そして何より、レティシアに似合っていた。
がっぱりと開かれた襟もとに妖艶さは濃くなく、むしろレティシアの白く細い首筋を際立たせ、華奢で清純な雰囲気を見せている。すっきりとしたシルエットはレティシアの「染まっていない」雰囲気を存分に引き立てていた。
「お綺麗ですわ……!」
「本当に。よくお似合いです」
侍女の人たちが感嘆のため息をこぼす。それを聞いてレティシアも恥ずかしげにはにかんだ。
今日のために用意された大粒のサファイヤのネックレスと揃いのイヤリング。明かりに照らされてきらめくそれらに、心の奥底が震えた。
レティシアだって女の子だ。人並みにドレスや宝石に憧れがある。下町にいたころは一度は着て、お城で素敵な舞踏会に出てみたいと思ったりもした。
いきなり王宮に連れて行かれたり、貴族の祖父が現れたりと色々あって混乱したが、あの頃の夢が叶っている。……叶ったら叶ったで心労がかなり増えたが。
「間違いなくエルバート様の心をわしづかみですわ!」
「それどころか他の殿方の視線も集めることになるかも……」
「今日の舞踏会の話題はレティシア様一色でしょうねぇ」
かがみを見つめるレティシアの後ろで侍女たちが何か言っているが、それが気にならないほどレティシアは鏡に見入っていた。
この瞬間だけは舞踏会に行く緊張感や人前に出る恐怖を忘れていた。ついついドレスの布地や宝石を触ってしまう。そして感触を確かめて、これが現実だと知る。
「すごい……」
思わず口から感嘆のため息がこぼれる。それを見て後ろに控えていた侍女たちがほほ笑んだ。そうしてたっぷり鏡でドレスを堪能した後、部屋の扉が外側からノックされた。
扉の向こうから姿を現したのは執事だった。ドレス姿のレティシアに目を丸くしたあと、にっこりとほほ笑んでくれる。
「よくお似合いですよ、レティシア様」
「あ、りがとう……」
「さぁ、行きましょう。旦那様が今か今かと首を長くしてお待ちですよ」
そう言って肩をすくめる執事に小さく笑ってレティシアは部屋を出る。不思議と緊張感は薄れていた。素敵なドレスを着たせいかもしれない。
扉を出る直前、レティシアは部屋を振り返る。それから侍女たちやマリーに向かって控え目に、それでも嬉しそうに笑いかけた。
「行ってきます……!」
侍女たちが口ぐちに行ってらっしゃいませ! と答えてくれる。それに小さく頷いて、今度こそ部屋を出て行った。
* * *
エルバートは正装に身を包み、レティシアが降りてくるのを玄関ホールで待っていた。心臓の鼓動はかつてない緊張で速くなっている。
朝から支度をしていたレティシアは面会謝絶状態であり、今日はまだ一度も会えてなかった。おまけにレティシアのドレスは当日のお楽しみということで、エルバートは仮縫いにも同行できなかったのである。
正直、レティシアの様子が気になって仕方がなかった。そんな屋敷の主の様子を見て、侍女や従僕たちはこっそりと笑みをかみ殺している。
「少し……遅くはないか?」
「そんなことありません。女性のお支度には時間がかかるものですわ」
「それにしても……」
遅すぎるんじゃないか。その言葉は口には出さず、ただ憮然とした表情で不満を表現した。
やがて執事が階段の上に姿を現す。その気配を感じ、エルバートは顔を上にあげた。
ゆっくりとした衣擦れの音。ドレスの裾が床をこすっている音が聞こえた。やがて手袋に覆われたほっそりとした腕が階段の手すりにかかる。
「っ!」
鮮やかな深紫の色のドレスが視界を埋めた。慣れないドレス姿のレティシアは不安そうに手すりにつかまっており、視線は誰かを探すようにさまよう。
その視線がエルバートを捉えた時、ホッとしたように目元が和んだ。レティシアは微笑みを浮かべてエルバートを見つめる。
レティシアの藍色の瞳がエルバートを射抜いた時、唐突に理解した。
どっかの詩人が言っていた。恋は「する」ものではなく「落ちる」ものだと。
その時は何を言ってんだ、と思ったが今になってその言葉の真意を理解した。恋とは意図的にするものではないのだ。
それは唐突に訪れて、強烈な強さで心の中を埋め尽くす。知ってしまえば、もう戻ることのできない思いなのだ。
そしてその想いを、胸にあふれて仕方がないこのどうしようもない気持ちの正体を、エルバートは生まれて初めて理解した。
「エルバート、良かった。待たせちゃいましたよね?」
「…………」
「エルバート?」
固まったまま動かないエルバートを、レティシアは不思議そうに見ている。どうしたのか。様子を見ようと思って階段に足をかけた時、エルバートの身体が勝手に動いた。
階段を素早く駆け上がり、レティシアの手を取る。優しくエルコートをするのは、身体に染みついた習慣だった。
しかし今回はそれだけではない。エルバートがレティシアの元に駆け寄って支えたかったのだ。すぐそばでその姿を視界に埋め尽くしたくて。
エルバートはじっくりとレティシアの全身を眺めると、それから顔中に満面の笑みを浮かべてレティシアにほほ笑みかけた。
「すごく綺麗だ。似合っている」
「っ!」
エルバートの麗しい笑顔を眼前で見たレティシアは、口をぽかんと開けて真っ赤になって固まった。