42.突撃のお宅訪問
バルデロイ元帥は馬車からレティシアを見て満面の笑みを浮かべ、隣に立つエルバートを見て分かりやすく顔をしかめた。明らかに邪魔だ、という表情でエルバートを睨みつける。
「あの……、お言葉に甘えて図々しくも来ちゃいました……」
恥ずかしそうに微笑むレティシアにバルデロイ元帥の顔が笑み崩れる。その様子を見てレティシアはホッとした。どうやら歓迎されたみたい。
エルバートはバルデロイ元帥の突き刺さりそうな視線を受け流すと、レティシアをエスコートして元帥の元まで連れて行った。ちなみに元帥のこめかみに青筋が浮かんだ。
「よく来たの。こっちへおいで。……お前は離れろ」
元帥は好々爺というような雰囲気でレティシアを手招きし、エスコートするエルバートには尖った声で注意をする。もちろんエルバートは聞く耳を持たなかったが。
レティシアは重厚な様式のお屋敷に圧倒されながら、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。意外にも屋敷の中は、重苦しい雰囲気とは裏腹に、明るく華やかな雰囲気だった。
廊下の南側に設置された窓からは太陽の光が燦々と降り注いでいる。レティシアはその光景に圧倒された。
「うわぁ……!」
広い廊下の先には応接室があるらしく、レティシアとエルバートはバルドロイ元帥の案内でそこへと向かった。窓からは広い庭園を望むことができ、ついつい視線がそちらへと向かう。
レティシアたちは広い応接間に通された。ふかふかのソファーにちょっと驚きながら、レティシアはその身を座らせる。エルバートは当然のような顔でレティシアの隣に座った。
「小僧、どうしてお前がそこに座るんじゃ?」
「空いていたので」
「空いてるとこなぞ他にもある。どっか行け!」
「お断りします」
無言で睨み合う二人。レティシアはどうしたものか、と視線を彷徨わせたが、部屋に入って来た侍女の方々は気にせずお茶の用意をしていた。
手持無沙汰になったレティシアは、用意が終わるとすぐにカップを手に取る。甘いだけでなく不思議と爽やかな風味で、思わずまじまじと中の紅茶を覗き込んでしまった。
「どうじゃ? 気にいったかの?」
「はい。とっても美味しいです」
「そうじゃろう。それはアマーリアが一番気に入っていたものじゃ」
元帥の言葉にレティシアは虚を突かれたように黙り込む。
アマーリアが好きだったもの――お母さんが好きだったもの。
「そうなんですか……」
感慨深い気持ちで残っていた紅茶を飲む。母が好きだったというその味を噛みしめるように。
貧しい暮らしだった。こんな上等な紅茶、きっと飲むこともなかったんだろうな。そう思うとなんだか悲しいような気持ちになる。
「それで、レティシアは今までどうしていたんじゃ?」
「え?」
「アマーリアが亡くなってからじゃ。一人で大変だったじゃろう?」
労るように聞かれ、今までの暮らしを振り返る。
大変。金銭的な苦労を言えば、それは大変だった。でもそれはレティシアだけではないし、下町にはもっと苦労をしている人がたくさん居た。
レティシアには住む家もあって助けてくれる人もいた。だからアマーリアが亡くなった後も、なんとか一人で生きてこれたのだ。
「いろんな人に助けてもらいました。みんなのおかげで苦労なんてあんまり感じなかったです」
「なんてできた子なんじゃ……!!」
それはレティシアの本心だった。困っていると誰かが助けてくれた。だからあまり、苦労というものを感じなかった。
元帥にそう告げれば、涙を流して感動に打ち震えている。その様子をエルバートは白けたそうに見た。
「再会したからには今後のことは気にせんでよいぞ。ワシがなんでも面倒を見るからの」
「なに勝手なこと言ってんですか」
レティシアの手を取って決意を固める元帥の手を、横からエルバートがぶった切った。再び二人の間に火花が飛び散る。
元帥は打ち払われた手を摩りながら、エルバートを睨みつけた。そのまま深く息を吸い、ソファーに深く座り直す。
「時に聞きたいんじゃが」
「なんですか」
「小僧が縁あって孫の面倒を見てくれたことには感謝している。しかしこうしてワシという血縁者が見つかったのじゃから、これからはワシが引き取る」
それははっきりとした決別宣言だった。もちろん家族が見つかったのだから、家族で暮らすのは当然の流れだろう。しかし、そう簡単には頷けなかった。
エルバートとしては、せっかく距離が近づき始めたのだ。ここで手放すわけにはいかない。そう思う程度には自分の執着心を自覚していた。
「レティシアは私の恩人で、この王都での保護者だと思っています。連れてきた責任もあるますし」
「だから今日からはワシが保護者になるって言っておるんじゃよ」
「このまま俺が面倒を見るって言ってるだろ」
どうして喧嘩しているのだろうか。レティシアはまるで敵のように睨み合う二人を、レティシアは不思議そうに見た。
言い争う二人。なんとなく間に割って入れそうになくて、窓を見ながら紅茶を飲んだ。
なんだろう、ホッとする。お母さんが暮らしていた空間だからだろうか。エルバートの屋敷とは違い、深い歴史を感じる。それと住んでいる人の温もりも。
「レティシアはどうしたいんだ?」
考え事をしていたレティシアの耳に、切羽詰まったエルバートの声が入ってくる。二人に目を向ければ、なぜか肩で息をしていた。どうやらレティシアの見てない間も言い争いは続いていたらしい。
話を聞いていなかったレティシアが首を傾げると、幾分落ち着いたエルバートが息を吐き出した。
「今後、レティシアはどうしたい?」
「え?」
「下町に戻るか、元帥とここで暮らすか。……それとも俺と一緒に帰るか」
その言葉にレティシアは固まった。
下町で以前のように暮らすか。それともお祖父さんと暮らしていくか。……エルバートとあのお屋敷に帰るか。考えた時、不思議な感覚が胸に満ちた。
以前なら迷うことなく下町に帰ると言っただろう。だけどどうしてだろう。そう答えるのに、躊躇ってしまった。
どうしてだろう。そう考えて答えが目の前にあることは、とっくに気づいている。一人で暮らすことに慣れていたレティシアに、エルバートとの同居生活は忘れていた温もりを思い出させた。失うには、それはあまりにも心地よくて。
「…………え、」
袖を引っ張られ、エルバートは少し驚く。レティシアは無意識だったのか、そのまま手に力を込めてぎゅっと握った。
エルバートはなんとも言えない気持ちになった。これは一緒に居たい、という意識の現れなのだろうか。そうだとしたら嬉しい。言わないが。
「俺と帰るか?」
それはエルバートの願望も含んだ甘い言葉。レティシアにとっても甘い言葉だった。
一人の寂しい家とは違い、エルバートの家には人が大勢居る。一度家に帰ったからこそ、誰かが居る温かさを改めて知った。
「……うん」
つい頷いてしまった。それにエルバートは胸の内でガッツポーズを作り、元帥は涙を流して打ちひしがれた。
「そんなにお祖父ちゃんが嫌いか……」
「え!? そんなことないです! ただ……」
「ただ……?」
そこで気まずく目線を逸らす。元帥はレティシアの手を取り、潤んだ目でレティシアを見つめる。エルバートは気持ち悪いと思った。口には出さなかったが。
「その……」
「その?」
「エルバートの方が、一緒に居ると安心するというか……」
それは他意のない言葉だった。もう同居生活も長かったし、気心もある程度知れていたので、急に現れたお祖父さんと暮らすよりは緊張しないだろう、という思いから出た言葉である。
だが聞いていた男二人には衝撃が駆け抜けた。エルバートは呆然とレティシアを見つめ、元帥は憎々しげにエルバートを見つめる。
「小僧……!」
まるで敵国の将軍を討とうとするような目で元帥がエルバートを見る。きっと明日は血の雨が軍舎に振るだろう。
しかしエルバートはその危険性についてまったく気づいていなかった。それどころか、完全に浮かれていた。
室内にはもじもじと所在なさそうに紅茶を飲む少女と、緩みそうになる頬を抑えるために無表情になっている青年と熊も裸足で逃げ出しそうな凶悪な面の老人が、三者三様の思いを抱えて座ってるのだった。