41.さて、馬車に乗りましょうか。
レティシアは珍しく侍女たちによって起こされた。いつもは侍女たちが来る前には目を覚まし、ある程度の身支度を終えている。
しかし昨日、レティシアはなかなか寝付けなかった。おかげで朝もすっきりと目覚めることができなかったのである。
「おはようございます。もうすっかり日が昇ってしまいましたよ」
「むぅ……」
軽く肩をゆすられ、まどろみの中から目を覚ます。重いカーテンを開けた窓は煌々と太陽の光が降り注いでいた。
身体を起こし、なんとか寝台から離れる。冷たい水で顔を洗えば、少し頭がすっきりした。侍女の人が出してくれたワンピースに袖を通し、ダイニングへと向かった。
エルバートはとっくに出かけていると思ったけれど、ダイニングで優雅にコーヒーを飲んでいた。その姿をまじまじと眺めてしまう。
「おはよう。珍しく遅かったな」
「おはよう。……なんでいるの?」
ぶしつけなレティシアの言葉にエルバートは顔をしかめた。それからふいっと視線を逸らす。レティシアはそんなエルバートの様子に首を傾げた。
「行くんだろう?」
「え?」
「…………元帥の屋敷に」
言われてレティシアも思い出す。
そうだった。昨日、お手紙もらったんだった。レティシアは雄々しい字で書いてあった手紙のことを思い出した。
丁寧かつ明朗な字で書かれた手紙は元帥のお屋敷への招待状だった。元帥の行動の早さに驚いたが、レティシアとしてもお屋敷には行ってみたかったので、せっかくだから尋ねてみようかなと思っていた。
お母さんの育った家。お母さんの家族が居る家。――私の家族が居る家。
レティシアは決意も新たに、大きく頷いた。
「うん。行ってみようと思う」
「俺も行く」
何を言われたのか分からなかった。まじまじとエルバートを見れば、不機嫌そうに顔を歪めたエルバートと目が合う。
レティシアは首を傾げながらエルバートの言葉の意味を考えた。
「行く?」
「行く」
「仕事は?」
「大丈夫だ」
エルバートは目を逸らしながら言い切った。レティシアは疑わしげにエルバートの目を覗き込むが、エルバートは目を合わせない。
仕事、あるんだろうな。そう思ったけどレティシアはあえて突っ込まなかった。それは結局、レティシアも一人で尋ねることが気まずかったからで。
「……じゃあ一緒に来てもらおうかな。エルバートも一緒だと心強いし」
それはレティシアの本心だった。それを聞いて、エルバートもホッとしたように頬を緩める。
レティシアは手早く朝食を食べると慌ただしく席を立った。不思議そうにこちらを見るエルバートに少し顔をしかめながら言う。
「出かけるなら着替えなきゃ。さすがに普段着じゃあまずいでしょ」
「服ならクローゼットに入っているだろう?」
「あんな豪華で煌びやかな服、着れません。もっとシンプルで身の丈にあったものをなんとか発掘しなきゃ……」
自分にあてがわれた部屋のクローゼットの中身を思い出して、レティシアは顔をしかめる。まるでどこのお姫様だ、というような服やドレスが所狭しと並べられているのだ。下町育ちのレティシアからしてみれば、袖を通すのも気後れしてしまう。
エルバートはレティシアが顔をしかめた理由が分からず、ただ不思議そうにレティシアの背中を見送った。
実はレティシアのクローゼットはエルバートの命を受けて執事と侍女たちが集めたのだ。彼らは女性の気配がなかった主が、突然女性を伴って帰って来たことを驚きながらも喜んだ。そして主の命令を受けて張り切ってレティシアの身の回りの品々を揃えたのだ。
自然に服や小物、部屋の内装に至るまで彼らは細々と世話を焼いたのだが、そのことをレティシアもエルバートも知らなかったりする。
レティシアはクローゼットから他所行きのワンピースを見つけると、それを身につける。それか
らなぜか張り切っている侍女の人たちに髪型やお化粧をしてもらって、レティシアはエルバートの待つ玄関ホールに降りた。
エルバートは白いワンピースを着たレティシアに少し目を見開いた後、馬車の中へとエスコートする。
レティシアのワンピース姿など下町などでもさんざん見ていたのに、化粧をしているからか違った人みたいに見えて、エルバートは変に緊張した。レティシアはそんなことに気づいてもいないが。
エルバートが馬車に乗り込むのを待って、ゆっくりと馬車は動き出した。石畳を軽快な足取りで進む。高級住宅街を突き進む馬車に、レティシアがエルバートを振り返った。
「元帥の家ってここの住宅街にあるの?」
「あぁ。元帥は侯爵だからな。代々続く軍人家系だ」
さらりと言われた言葉にレティシアは目を丸くする。
元帥が侯爵家。それはレティシアの母親も侯爵家の出身ということで。もっというとレティシア自身も侯爵家の血筋を引いているということである。
向かいの席で固まっているレティシアを見て、エルバートが首を傾げた。もしかして侯爵家という血筋に驚いたのだろうか。
「どうした?」
「……お母さんは侯爵家のお嬢様だったんだよね?」
「あぁ」
「よく下町で暮らせてなぁ……」
しみじみとした言葉に、エルバートも納得する。
確かに侯爵という家柄ならば、明日の暮らしに困るようなことはなかっただろう。きっと下町で暮らすのは色々な苦労があったと思われる。そう思ってエルバートは改めて、レティシアの母親に感服した。
伝手もなく、誰の助けも借りることのできない下町で、子供を抱えて生きていくのは大変だっただろう。
レティシアは流れゆく景色を見ながら、不思議な気持ちになった。もしかしたら侯爵家の令嬢だったかもしれない。そう思うとなんだかむずがゆい気がした。
貴族の令嬢として生活している自分なんて想像できない。そう思って知らず、深い溜め息をこぼすのだった。
やがて馬車がゆっくりと停まる。物見窓から見えた風景に、レティシアは固まった。
「どうした?」
「……ここ?」
「そうだ」
そこに建っていたのはエルバートの屋敷に負けず劣らずの豪邸だった。エルバートの屋敷と違う点は、重厚な佇まいで、深い歴史を感じさせるところだろうか。
門番がその重厚な門を開け、馬車を中へと招き入れる。その間も、レティシアはただただ圧倒されていた。
やがて玄関ホールにたどり着くと、馬車はゆっくり止まった。レティシアは屋敷を下から眺め、目を丸くすることしかできない。
「大丈夫か?」
あまりにも反応がないから不安になったエルバートがそう声をかけるが、レティシアは首を小さく横に振るばかりだ。
どうやら理解の範疇を声掛けているらしい。そう思ったエルバートはレティシアの肩を軽く押して馬車から下ろした。
荘厳な雰囲気のお屋敷にレティシアはただただ上を見るばかりだ。やがて大きな玄関扉が開けられる。その向こうに仁王立ちしていたのは筋肉隆々のご老人。
「レティシア! よく来たな!」
バルドロイ元帥が満面の笑みでそこには立っていた。