40.二人の心境
屋敷に着くと、レティシアは与えられた自室へと向かう。その背中を目で追いかけながら、エルバートは大きな溜め息をついた。
なんだかドッと疲れてしまった。それがエルバートの正直な感想だった。ため息をつくエルバートに、オーウェンがにやにや笑う。
「それにしても凄かったな」
「なにが?」
「まさか元帥の孫だったとはね」
「あぁ……」
オーウェンの言葉に、元帥の恨みがましい視線を思い出してうなだれた。
レティシアが庶民の人間にしては、精錬されているところがあると思っていた。母親が元・貴族というならばそれも納得である。
「これで身分の問題は解決だな。元帥の家は侯爵だし」
「…………」
「他の問題が発生したけどな。相手が元帥だと一筋縄ではいかないだろ」
「……………………」
にやにや笑うオーウェンを睨み付け、エルバートは深いため息を付いた。
別にレティシアの身分が貴族だったというのはどうでもいい。エルバートにとってはレティシアが庶民であっても貴族であっても大事であることには変わりないのだから。
ただ独りぼっちだと思っていたレティシアに、血のつながった家族が居たことは、本当に良かったと思う。下町で暮らしていたレティシアは寂しいそうだったから。
……元帥だったことは驚きだったが。
「閣下が元帥のところにお嬢さんをくださいって言ったら、国を巻き込んだ争いが起きそうだな」
「……誰が言ってもあの人は剣を抜くだろう」
疲れたようにこぼしたエルバートの言葉を聞いて確かに! と笑うオーウェンに苦笑いした。
それからエルバートはソファーに深く座る。
レティシアの家族が見つかったのなら、やはり家族と暮らすのが普通だろう。そうなると、レティシアはここから出て行くことになる。
「……俺もたいがいだな」
それをイヤだ、と思うほどに独占欲を感じていることにエルバートは苦笑した。
レティシアを手放したくない。そう思う理由にはとっくに気が付いている。
自分の中に芽生えた感情。自覚してしまえば、それは成長する一方で。
エルバートは自分の中で育つ感情を持て余し、ため息をこぼした。
レティシアは与えられた部屋に戻り、身体を大きなベッドに投げ出す。脳裏に浮かんだのは豪快な人のこと──祖父だと、思われる人。
「お祖父さん……」
正直に言うと、実感は全くわかなかった。天涯孤独の身だと思っていたのだ。いきなり家族ができても、すぐには状況を飲み込めない。
お母さんは家族の話をしなかった。駆け落ちで、頼るべき身内は誰もいない。そう聞いて、それを信じていた。疑わずにずっと。
「お母さん、大変だっただろうな」
貴族に生まれ、ずっと貴族と暮らしていたお母さん。きっと下町の暮らしは大変だったと思う。慣れないことだらけで、おまけに私も抱えて。
それでも帰らなかったのはなんでだったんだろう。今日見た元帥の様子じゃあ、なんだかんだで戻っても許してくれそうな気がするんだけど。
「……意地っ張りだったからなぁ」
変に意固地になって戻ろう、なんて思わなかったのかもしれない。……どうしよう。そんな気がしてきた。
レティシアは記憶の中の母親を思い出す。豪快で元気で美人なお母さん。そこら辺の男の人よりも剛胆で男気に溢れていたのは、間違いなく元帥の血筋と指導だろう。
突然現れた唯一の身内。聞いてみたいことはたくさんある。お母さんのこと、お祖母さんのこと。もちろんお祖父さんのことも……できれば父親のことも。
身内が現れたのなら、ここを出て行くべきなのだろう。レティシアはそう思った。家族と暮らす。それが当たり前のことだから。
そう思って、少し落ち込む自分が居ることに気づく。
奇妙な同居生活は、レティシアに温もりと安らぎを与えていた。少なくとも名残惜しいと感じるほどには。
離れることが寂しい。その言葉が正しいのかは分からないが、それに近い感情を感じた。
しんみりと考えていると、部屋の扉が遠慮がちに叩かれた。レティシアはゆっくりベッドから身を起こす。
「レティシア? 入ってもいいか?」
「エルバート?」
ドアを叩いたのはエルバートだった。声をかけると、エルバートが複雑な表情で部屋に入ってくる。
「どうしたの?」
「いや……大丈夫か?」
その言葉が何を指しているのか、聞かなくてもレティシアには分かった。恐らく混乱から立ち直ったか、と聞きたいのだろう。たぶん、エルバートも混乱したんだと思う。
レティシアが苦笑しながら頷けば、エルバートも少し口の端を緩めて部屋のソファーに座った。
「びっくりした。お母さんが貴族だったなんて」
「あぁ、そうだな」
「お祖父さんも想像していたのとは違った」
「だろうな」
レティシアの考えるお祖父さんは、温和で小柄な、間違っても熊と素手で戦えそうな人ではなかった。しかし実際、本物のお祖父さんに会ったら、驚くほど自分の身内だ、と素直に納得できたのだが。
それでも身内と思いがけず再会できたことは驚きだ。王宮に行くことなんて普通に生活していればなかったのだから、きっと会うことは一生できないはずだったのだ。
「そう考えたらエルバートに感謝しなくちゃなのかも」
「え?」
「エルバートを拾ったからお祖父さんに会えたようなもんだし」
その言葉にエルバートは複雑な表情になる。レティシアが家族に会えたことは嬉しいが、その相手が元帥ということが素直に喜べない。
あの人は間違いなく障害になる。色々なところで。エルバートはそう考えて溜め息をこぼした。
二人がそれぞれ複雑な思いを抱えているところで再び部屋の扉が叩かれた。応えれば、屋敷のメイドが一通の書簡をレティシアに差し出す。
「え、あたし?」
「はい」
まさか自分に手紙が来るとは思ってもみなかったレティシアは、びっくりしてそれを受け取った。そもそも、レティシアがエルバートの屋敷に居ることを知っているのは限られた人物しかいない。下町の人々はレティシアが元・王子の屋敷に居るなんて夢にも思わないだろう。
そう考えてたら、急に手の中にある手紙が胡散臭いものに見えてきた。レティシアがここに居ることを知っているのはオーウェンやエルバート以外では王妃くらいなものである。
「まさかまた呼び出し……?」
レティシアの脳裏に嫌な過去がよみがえる。渋々封蝋を破り、中の手紙を引っ張り出す。そこには意外な言葉が書いてあった。
「どうした?」
手紙を開いたまま目を丸くするレティシアを見てエルバートは訝しげな顔をした。それから手紙を覗き込む。それを見てエルバートも目を丸くした。
「……元帥?」
そこには先ほど別れたばかりの元帥の名前が書かれていた。