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拾い物は王子さま  作者: 藤咲慈雨
出会い編
4/52

3.回り始める歯車

 アッシュと暮らし始めて一週間。アッシュは普通の子とはどこか違った。

 レティシアはテーブルの上の食器を片付けながら、そっと店の奥に座るアッシュを見る。そこには本を片手に優雅に水を飲むアッシュの姿があった。


「ここって下町の定食屋よね? アッシュが飲んでるのはただの水・・・」


 それなのにここが貴族の邸宅で、アッシュが飲んでるのが高級紅茶に見えるから不思議だ。

 自分の歳が正確に分からない――記憶がないから当たり前なのだが――アッシュは同じ年頃の男の子たちとは何かが違った。

 まずアッシュくらいの年頃ならば、外で泥だらけになって遊ぶのが普通だろう。ちょっとくらい悪さをして怒られるものだと思っていた。それなのにアッシュときたら、毎日家とレティシアの働いているお店を行ったり来たりしているだけなのだ。どこからか本も調達している。

 それにアッシュの手が違った。

 アッシュの手は荒れたことが一度もないような白くて綺麗な肌だった。あれは労働者階級にはない手。それなのに手のひらには不自然に硬くなったところがあった。

 レティシアとアッシュは違う。根本的な何かが。


「坊ちゃん、熱心ねぇ~」


 レティシアがアッシュを見ているのが分かったのか、カウンターの向こう側からアニーが声をかけてきた。その目はアッシュに向けられている。

 アニーはレティシアが働いている定食屋「金糸雀カナリアの歌声」の店主だ。レティシアの母親が亡くなってからは、レティシアの親代わりもしてくれている。

 レティシアに両親はいない。父親は生まれる前に建築現場で事故に合い、母親は一昨年の流行り病で亡くなった。それ以来、レティシアは下町の親切なみんなに助けてもらいながら、一人で暮らしているのだった。

 アニーは流しに突っ込まれた食器を洗いながら悩むように眉を寄せる。


「それにしても記憶喪失ねぇ」

「治るんですかね・・・」

「こればっかりは分からないわね」


 困ったような顔をするアニーにレティシアもため息をついた。

 最初、このお店にアッシュを連れてきたとき、アニーは顔をしかめながら「子供できちゃったの?」とのたまった。もちろん全力で否定したが。

 記憶喪失なんてレティシアもアニーも初めて見た。街の高名な医者に診せれば何か分かるかもしれないが、そんなお金の余裕は二人にはない。せいぜい様子を見るくらいしかないのだ。


「ちょっと変わった子よね」


 アッシュを見つめるアニーの言葉に、レティシアは曖昧に笑った。ちょっとどころではない。だいぶ変わっている。

 まずアッシュが読んでいる本だ。記憶が戻る手助けになれば、と思って目を覚ましたその日に家にあったのを与えたのだが、日数を重ねるごとに読む本はより難しくなっていく。ちなみにどこから本を調達しているかは謎だ。

 話し方もアッシュは他の子と違った。大人びているというか、理知的というか。言動も行動も子供らしくなかった。記憶を失ったからなのかもしれないが。


「見つけたとき、怪我してたのよね?」

「はい。右腕と背中に」


 太刀傷にも見えたそれ。治療してみて分かったのだが、微かに火傷の症状も見られた。ただ切られただけではあんな怪我にはならないだろう。

 ますます謎だ。


「戦争孤児かしら・・・。まさか国境からここまで一人で逃げてきたってことはないでしょうけど・・・」


 戦争孤児。嫌な響きに、レティシアは顔をしかめた。




 ――セルヴィン王国。

 中央大陸の中でも古い歴史を持ち、高い軍事力を有する国である。その肥沃な大地と幅広い交易で国は栄え、大陸でも最大級の王国となった。

 そんなセルヴィン国の隣に「オーランド国」という国がある。

 セルヴィン国に比べれば新興国であるオーランド国は土地に恵まれず、作物の実りが悪かった。それでも国内に有数な鉱山を持ち、それを使って他国と交易することでそれなりに栄えていた。

 そんな二つの国に亀裂が入ったのは六十年前。オーランド国側のセルヴィン国侵攻によるものだ。

 オーランド国がセルヴィン国の肥沃な大地、実り豊かな作物を目当てに戦を仕掛けてきたのだ。国にある鉱山が枯渇の兆しを見せ始め、交易も滞り始めたことが原因のようだった。

 セルヴィン国はすぐに応戦。大陸でも名高いセルヴィン王国軍は、オーランド国とセルヴィン国の国境に当たる山岳地帯で激突した。

 戦いを見守る多くの諸国が、すぐに戦は終結すると思っていた。セルヴィン国の圧倒的な勝利という形で。


 だが周囲の思惑とは別に、オーランド国はセルヴィン国と互角の戦いをした。

 その大きな要因となったのが、オーランド国の「魔導騎士軍」である。

 オーランド国は魔術の盛んなグレシアス国からいち早く魔術を取り入れ、それを軍用化していた。兵力や武器などの軍事力で勝っていたセルヴィン国は唯一、魔術の発展が遅れており、またそれに対する対抗策も講じていなかった。


 セルヴィン国はオーランド国に負けなかった。――だが勝つこともまた、できなかった。


 戦争は泥沼化。収束の兆しは見えず、両者ともに手を引くことはなかった。それでもセルヴィン王国側はオーランド国がこんなにも粘るとは思っていなかった。

 セルヴィン国は自国の放った内偵の調査で、オーランド国が思ったよりも貧困に苦しんでいる状態だということを知っていた。セルヴィン国侵攻も苦肉の策であっただろうことも。

 つまりオーランド国には戦争を続けるほどの潤沢な資金も物資もなかったのだ。

 しかし周囲の予想を裏切り、オーランド国との戦争は六十年にも及ぶものになってしまった。

 さらにオーランド国の魔導騎士軍は成長を遂げ、未だそれに対する手立てを持たないセルヴィン国は次第に国境を攻め来られるようになった。国境地帯の街は度重なる戦闘で荒れ、親を失った子供たちも多い。

 多くの国民は自国のこの状況を見て、このまま戦争がずるずると長引くと思っていたが、思わぬところから戦局はひっくり返った。


 セルヴィン国の第一王子が組織した「王立魔導軍」の登場である。


 これは軍部の中では小規模の組織でありながら、優秀な魔術師が数多く存在し、オーランド国の魔導騎士軍に引けを取らない働きを見せた。

 大陸でも高い軍事力を持つセルヴィン国は、魔導軍も組織したことにより徐々にオーランド軍を圧倒し始めた。

 戦争はまもなく収束する。

 セルヴィン国に住む者は誰もがそう信じていた。




 レティシアはひたすら本を読みふけるアッシュの横顔を見つめる。感情の見えないその横顔がなんだか悲しかった。


「戦争が終わったからって、元通りってわけじゃないのに・・・」


 もちろん戦争は終わって欲しい。平和な世の中の方が良いに決まっている。それでも、失ったものは決して元には戻らないのだ。


「あの子のことは私も面倒を見るわ。だからあんたは一緒に居てあげなさい」


 アニーの言葉にレティシアは力強く頷く。頼れるものがいないこの状況では、アッシュはレティシアだけが頼りだろう。頑張らなくては。

 見ず知らずの赤の他人のためにやる気に燃えるレティシアを、アニーは複雑な思いで見つめた。

 困った人を助ける心はレティシアの美徳だ。だが首を突っ込まなければ、こんな苦労を背負い込まなくても良かったというのも、また事実で。つまるところ、レティシアはお人好しなのだ。しかも本人もそれを分かっている。


「困っているときはお互い様だもんね」

「はいはい。これを坊ちゃんに持ってってあげな」


 以前からの口癖を呟くレティシアに苦笑しながら、アニーはレティシアの手に盆を乗せた。そこには温かそうなパンやスープ、サラダが乗っている。


「坊ちゃんの夕飯だよ」

「ありがとう、アニー」

「私も面倒を見るって言ったからね」


 肩をすくめてうそぶくアニーにレティシアは笑った。そのままアッシュのテーブルに盆を置く。アッシュは目を丸くしてテーブルの盆とレティシアの顔を見た。


「夕飯だって。アニーから」


 レティシアの言葉にアッシュがカウンターの方を見る。アニーが投げキッスをするのを見て、無言で視線を元に戻した。

 もう一度レティシアを見た後、アッシュは小さく「いただきます」と呟いてスプーンを手に取った。その様子にレティシアは満足そうに何度も頷く。

 アッシュは記憶を無くしたといっても、生活に必要な最低知識は持っていた。服を着るという動作も、靴を履くという動作もできた。どうやら自分の記憶に関してだけ、ごっそりと抜け落ちてしまっているらしい。


「どう? 何か思い出した?」


 期待に満ちたレティシアの声に、アッシュは首を横に振る。レティシアは少し落胆したが、すぐに自分を奮い立たせた。

 いや、まだ始まったばっかりじゃない! これから徐々に思いだすはずだ。


「レティシア! 注文取ってきて!」

「はぁい!」


 カウンターから飛んでくるアニーの声に、レティシアは元気良く返事をする。笑顔で注文を取りに行くレティシアを、アッシュはスープを飲みながら見送った。



*  *  *



 セルヴィン王国の国境近く。そこに設置された作戦本部の中は重苦しい空気で満ちていた。

 目の前の机に広げられているのは血に染まった衣服の一部。それも無残に切り取られている。無言でそれを見ていた褐色の肌の青年は、こめかみを押さえながらため息をついた。


「それで? 閣下の行方は?」

「それが・・・・・・」


 言葉を濁す若い兵士に青年は「やっぱりな」と落胆を滲ませて呟いた。そんな青年の言葉に、兵士はひたすら恐縮する。

 褐色の肌はこの中央大陸には珍しい色だ。それもそのはず。この青年は隣の大陸の異民族の血を継いでいるのだ。

 青年の名前はオーウェン・シディ。セルヴィン国の王立魔導軍の副将を務める男だ。ちなみに現・指揮官でもある。本人は不本意な事態なのだが。


「襲撃に加え、閣下の行方不明。・・・いや、この場合は閣下の逃亡か?」


 オーウェンはだんだん頭が痛くなってきた。敵国の襲撃だけでも軍会議ものなのに、どうして指揮官でもある閣下が行方不明になってしまうのか。


 敵情視察に向かって斥候部隊が帰ってきたとき、すでに閣下の姿はなかった。詳細を部下から聞いたオーウェンはすぐに現場に向かったが、閣下の姿も敵の姿もなかった。

 すぐに選りすぐりの魔術師たちに閣下の使用した魔術の特定を急がせた。結果はまだ報告されていない。

 オーウェンは事態の深刻さに、再びため息をついた。


「いかがいたしましょう?」

「とにかく閣下の捜索が最優先だ。俺は軍会議でこのことを報告してくる」


 軍会議の言葉に、閣下と行動を共にしていた兵士たちは、己の不甲斐なさゆえに悔しそうに顔を伏せた。そんな兵士たちの肩をオーウェンは軽く叩いて慰める。

 安心させるように口の端に微笑を浮かべていたオーウェンは、外に出た瞬間、無表情になった。

 事態は深刻だ。兵士たちが考えているよりもずっと。

 敵の目的はもちろん閣下の暗殺だろう。それは果たされなかったとしても、敵にとって好都合なのは間違いない。目の上のたんこぶとも呼ぶべき存在が、この場から姿を消したのだから。

 閣下が居たからこそ、敵は攻撃するのを控え、またこちらも優位に戦争を進めてられていた。そんな男が居なくなったとすれば、敵がどう動くかなど推して知るべしである。

 すぐにでも作戦を練り直さなくては。オーウェンは紛糾するであろう軍会議を想像し、がっくりとうなだれた。


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