33.王妃と王子と私
ベルティーナの氷の視線に、レティシアは動けなくなる。思わずエルバートに助けを求めてしまった。
泣きそうなレティシアに見つめられ、エルバートは不覚にも心臓が高鳴る。まずい。目線を逸らそうにも、あまりにもじっと見つめるので、それもできなかった。
「……王宮に留まるのが嫌だったら、エルバートの屋敷はどうかしら?」
「え?」
「は?」
いきなり話題を振られたエルバートは思わず顔をしかめる。しかし、そんなことで怯むベルティーナではなかった。
にっこり微笑んでエルバートを鋭く見つめる。その様子にエルバートはぎくりと身体を固まらせた。
「あなた、レティシアさんを屋敷にご招待したことがあるんでしょう? ……それとも泊めるこ
とはできないとでも?」
鋭く尖った声がエルバートに容赦なく降り注ぐ。この時になって、エルバートはベルティーナの意図を理解した。
恐らくベルティーナは、エルバートがレティシアを気に入ったことに気付いたのだ。まぁ、今まで女性を近づけもしなかったのに、レティシアを家に招いていたらそういう推測をされるのも仕方がないのだが。
無言の圧力がベルティーナから発せられている。エルバートは言いようのない気まずさを感じ、誤魔化すように用意された紅茶を飲んだ。
「えっと……。私、一般人ですし……」
「まぁ」
レティシアはなんとか断ろうと色々と思考を巡らせる。はっきりと「イヤだ!」と言えれば良いのだが、一国の王妃にそんな不敬なことはできない。……断ることを考えていることが不敬なのだが。
一方、ベルティーナはこの状況は楽しんでいた。このまま逃がすにはあまりにも惜しい、などと考えているとは誰が思うだろうか。
薄く微笑みながら、ベルティーナは二人の様子を探る。エルバートはレティシアがこの部屋に居る、と分かった瞬間、分かりやすく動揺した。しかし問題はレティシアである。
(……読めないわね)
嫌ってはいないだろう。しかし好いているかどうか。その対象とすら見られていないのではないだろうか、と少し息子を不憫に思ったりする。心の中でエルバートを慰めながら、ベルティーナはさっきよりも真剣な目でレティシアを見た。
「ところで聞いても良いかしら?」
「はい?」
「ご家族の方はお元気なの?」
ベルティーナの言葉にレティシアは曖昧な表情になる。口ごもるレティシアに代わって、エルバートが説明をした。
「彼女のご両親は亡くなっているんだ。今は一人で生活をしている」
「ごめんなさい。嫌なことを聞いたわね」
気遣わしげなベルティーナに首を振る。少し寂しそうに微笑むレティシアの様子を、ベルティーナは観察していた。
やはり誰かに似ている。面影があるというか、雰囲気に似ているところを感じたことがあるというか。貴族の中に居る人間の誰か、と思って聞いてみたがすでに両親は亡くなっているという。言いようのもどかしさに、ベルティーナは眉を寄せた。
「母上、」
今まで状況を見守るだけだったエルバートが不意に口を挟んでくる。その顔にはさっきまであった困惑はなく、むしろ苛立たしそうな表情であった。あら、とベルティーナが弾んだ声を出す。
「母上だなんて。何かお願い事かしら?」
「とにかくレティシアは連れて行きます。どうせ帰すつもりはないのでしょう? だったら我が家に連れて行きます」
文句はないですね? とエルバートの目が語っている。もちろん文句など、ベルティーナにあるはずがなかった。
むしろ文句があるのはレティシアの方である。いきなりこんな所に連れて来られ、混乱しているというのに、勝手に話はどんどん進んでいく。それはまずい、と思ったレティシアは慌ててエルバートの袖を引いた。
「ちょっと、私、家になんて……」
「じゃあ王宮に泊まるか? 王妃はすぐに豪華な賓客室を整えてくれるぞ」
「うっ……」
だから泊まるという選択肢を選びたくないんだってば。レティシアは心の中で絶叫したが、そんなこと一国の王妃に言えるはずもない。仕方なく口を真一文字に引き結んで文句を腹の中に仕舞った。
仏頂面で黙り込んだレティシアに苦笑し、確認するようにエルバートはベルティーナを見る。ベルティーナも小さく苦笑した。
「連れて行ってもかまいませんね?」
「えぇ。……あぁ、そうそう」
エルバートはこれ以上ややこしいことになる前に退散しよう、とレティシアを立たせる。ベルティーナはそんな二人を見て思い出した、というように二人を呼びとめた。
「明日、午後のお茶会に来てくださいね、レティシアさん」
「へ?」
「レストン閣下は来なくて結構よ」
その言葉にエルバートの顔がはっきりと強張った。それはベルティーナからエルバートに対するはっきりとした牽制だった。曰く、臣下は野暮なことをすんじゃないわよ、と言外に言っているのである。
エルバートは無言で目礼し、レティシアの手を引っ張って部屋を出た。音を発てて閉じた扉を見つめ、ベルティーナはほくそ笑む。
「ふふ。なんだか面白いことになったわね」
誰にも興味がない、という体だったエルバートがあんなに必死に駆けつけてくるとは、自覚しているのかしら。そう思って溜め息をつく。
「朴念仁だからねぇ……」
浮名を流してはいても、艶っぽい噂とは無縁だったエルバート。王太子時代は立場というものがあったので、迂闊に人と噂になってはいけない、という働きもあったのだろう。しかし今は臣下であり、誰と恋愛を楽しもうと自由なのである。
それなのに仕事に打ち込んでばかりいた。その理由を推察することはできるが、そこまで頑なにならなくてもいいだろう、とベルティーナは思っていた。
「あの子が、変えたのね」
親や兄弟ですら変えることのできなかった凍った心を、あの少女が溶かした。ずいぶんと色々な表情を見せるようになったものだ。扉の向こうに消えた息子を想い、ベルティーナの頬が緩む。
「王妃様、新しいお紅茶をお淹れしますか?」
窓際に控えていた侍女が、ベルティーナの持つカップが空なのを見て、そう聞いてくる。それに頷いて、ベルティーナは明日のことを考えた。
「明日のお茶会はどうなるかしらね……?」
その言葉に含まれた面白がる雰囲気は、側で紅茶を注ぐ侍女にしか分からなかった。