25.誘拐の果て
レティシアは馬車の窓から見える景色を、顔を輝かせながら見ていた。
初めて見る王都はどこよりも清廉されていて、華やかだった。それまで下町しか見たことがなかったレティシアにとって、見るもの全てが刺激的だ。
「すごい! 道が整備されているだけでも驚きなのに、あっちこっちにお店がある! 馬車も走ってるわ」
「はは……喜んでくれて何よりだ」
向かいに座ってはしゃぐレティシアを、オーウェンは乾いた笑顔を浮かべながら見つめた。その目はずっと遠くを見つめている。
「俺、殺されるかもしれないな……」
この後に待ち構えているであろう惨劇を想像すると、オーウェンは胃が痛くなるような気がしてきた。
オーウェンの密かな苦悩に気付かず、レティシアは物見窓から身を乗り出すように流れる景色を見つめる。王都を歩く人々はどの人も洗練された人に見えた。しかし身分でいえば、レティシアとあまり変わらないのだろう。やはり王都は違う。
二頭立て馬車は軽快な足取りで王都を抜けて行く。やがて周りの景色が変わったことに気付いたレティシアは、ようやく行き先を聞いていなかったことに気がついた。
「そう言えばどこに行くんですか? これ」
「着けばわかるよ」
なぜかオーウェンはレティシアを見ずにそれだけ言う。それを不思議に思いながらも、レティシアは物見窓から進行方向の方を見た。
今走っているのは重厚なお屋敷が並ぶ通り。いつの間にか貴族の御屋敷が軒を連ねるところに入ったらしい。そして奥に見えるのがこの国の王が住んでいる王城だ。
それをぼんやりと眺め、レティシアは馬車が王城の方向に一直線に進んでいることに気付いた。さっきまで見えていた貴族の御屋敷は見えなくなり、整備された白い石畳が遠くに見える王城の門へと続いている。
「……オーウェンさん?」
「なんだ」
「この馬車、王城に向かってませんか」
なぜか返事がない。不思議に思ってオーウェンを見れば、さっと視線を逸らされた。
なんてことだ。王城に向かっていたとは!
あまりのことにレティシアは固まる。その間も馬車は刻一刻と王城へと近づいており、慌ててレティシアは馬車を降りようとした。
しかし馬車は止まってくれない。御者に呼びかけようと窓にとりすがろうとすれば、オーウェンにやんわりと阻まれた。
「なんで王城に行かなきゃなんですか!」
「命令なんだよ。俺だって酷なことを強いてるって分かってる」
「エルバート殿下は御存知なんですか?」
「御存知だったらこんなことさせないよ……」
なぜか落ち込んだオーウェンの姿を見て、どうやらエルバートは知らないらしいことを知る。ならばなんで呼ばれたのだろうか。レティシアは悩むが、答えはさっぱり思いつかなかった。
やがて馬車は王城の門をくぐり抜ける。目の前には整えられた庭園が広がっているが、今のレティシアには何も目に入ってこなかった。
いったいどうなるのだろう。そればかりが脳内をぐるぐる回っていた。馬車はゆっくりと右へ進路を取り、車泊まりの方へと向かう。
「っ!」
馬車が庭園を抜けようとした瞬間、レティシアの肌が一気に粟立った。それと前後して馬車の周りに巨大な金の籠が出現する。
それはレティシアたちの乗る馬車をすっかり取り囲むと、行く手を阻んだ。
「え……?」
「あー……」
突然の事態に目を丸くするレティシアとは裏腹に、オーウェンは目頭を押さえた。犯人は分かっている。思いがけず早い登場ではあるが。
どうなったのか分からないまま馬車の中で固まっていれば、外側から乱暴に扉を開けられた。驚いて振り返れば不機嫌な顔をしたエルバートの姿が。
「殿下、」
一瞬、殿下と呼ばれたエルバートの眉間にしわが深くなったが、それには突っ込まず、エルバートは汗をだらだら流しているオーウェンを睨んだ。
「どういうことだ、これは」
「あのな、説明すると長くなるんだが、」
「今すぐ北の果てに飛ばしてやろうか」
「あの方のお願いという名の命令を断れると思ってるのかよ!」
「俺の命令は逃げるくせに」
言い争う2人を見ながら、レティシアは冷静に状況を整理することにした。
どうやらエルバートも知らないうちに、オーウェンは密命を受けてレティシアを王城に連れてくる予定だったようだ。それを知ったエルバートが阻止するために魔術を展開したようだが。
誰が命令を下したのかはさっぱりわからないが、どうやら相当身分の高い人らしい。この分だと会う可能性はなくなったようだ。レティシアはそのことに安堵する。
「とにかくレティシアは連れて行かせないから」
「お前が攫ったと知れば文句は言わんだろうよ。……喜びそうだけど」
オーウェンの言葉に、エルバートは広げた扇子の向こう側でほくそ笑む王妃の幻を見た。しかし会わせることなど出来るはずもない。
エルバートは重い溜め息をついて未だ馬車に座りこむレティシアの両脇に手を突っ込んだ。
「わっ!」
驚くレティシアには構わず、エルバートはそのままレティシアを抱え上げる。まるで子供を抱えるように左腕に座らされたレティシアは、今まで見たこともない高い視界に目を丸くした。
「殿下? どうしたんですか?」
「……ここから離れる」
また殿下と呼ばれたエルバートの眉間のしわが深くなったが、レティシアは気付かない。エルバートはレティシアを抱えたまま、王城がある方向とは違う方へ歩き出した。
レティシアは降ろしてもらおうと身をよじるが、エルバートは降ろそうとはしなかった。仕方なく、レティシアはエルバートの肩に手を添え、落ちないように身体を支える。
「どこに行くんですか?」
「軍舎。本当はすぐにでも連れて帰りたいが、仕事があるし」
「一人で帰れるよ? オーウェンさんに連れて行ってもらえば」
オーウェンと言った途端、エルバートの顔をが嫌そうに歪む。ますますレティシアを支える腕に力が込められたので、帰る案は無言のうちに却下されたようだった。
しばらく歩いていると、遠くの方に建物が見えてきた。同時に動物の臭いらしきものもする。オーウェンに聞けば、ちょっと困った顔をしながら「軍馬も居るから」と言われた。
軍舎はいくつもの棟が並ぶ区画のことだった。エルバートは迷いの足取りで一つの建物の中に入っていく。なんとなく粗野な建物をイメージしていたレティシアは、意外にも普通の屋敷のような建物に少し驚いた。
「そっちのソファーに座ってろ」
「大丈夫ですよ」
「…………」
頑なに立ったままのレティシアに溜め息をついたエルバートは、有無を言わさずレティシアをソファーに座らせる。そのまま自分も隣に座り、レティシアの方に身を乗り出した。
「で、殿下?」
「それ」
「え?」
「やめろ。殿下って言うの」
一瞬、何を言われたのか分からなかったレティシアは、目を丸くしてエルバートを見上げ、ようやく彼が不機嫌な顔をしていることに気がついた。
エルバートはレティシアに「殿下」と呼ばれる度に、非常に不愉快な思いを味わっていた。
どうしようもない距離を感じる。前と同じようにしてほしいのに、レティシアは自分でエルバートとの間に線を引き、それを越えようとしなかった。
「前と同じように呼び捨てでいい」
「でも、」
「敬語もなしだ。今さら取り繕うな」
取り繕うな、と言われ、さすがにレティシアもムッとする。しかしその表情にエルバートは内心で笑った。素直に表情を見せるということは、前と同じように距離がなくなってきたということだからだ。
「……そっちが言ったんだからね」
「ん?」
「今さら敬語に戻せって言っても戻さないからね」
ちょっと照れくさそうに視線を逸らしながらレティシアが言う。その言葉にエルバートは口の端を緩ませた。
――彼は知らない。後にこの言葉を悔いるかもしれなくなるとは。




