22.拉致されました。
レティシアが目を開けた時、目の前にあったのは見知らぬ天井だった。身体は恐ろしく柔らかいところに寝かされている。慌てて身体を
起こして絶句。
「どこ、ここ……」
そこは恐ろしく広い部屋だった。大きい窓は太陽の光を取り入れ、ソファーは布張りの座り心地が良さそうなもの。ティーテーブルには繊細な水差しが置いてあった。あんなもの、壊しちゃいそうで使えないよ。レティシアはそう思った。
ここはどこだろうか。そこまで考えて、レティシアの思考は壁にぶち当たる。記憶がない。……いや、記憶はある。エルバートが魔術を使ったんだ。私はあまりのことに気を失って――。
「やっと目が覚めたか」
「っ!」
聞こえた深い声。慌てて振り返れば、入口のドアに背中を預けて立つエルバートが居た。その姿にレティシアは訳もなくうろたえる。
「え、なんでここ……というかここはどこ? なんでこんなところに……」
「落ち着け。気分はどうだ? 気持ち悪いとかないか?」
エルバートに問われ、聞かれるまま自分の体調を探る。特に気持ち悪いこともなく、身体のダルさもなくなっている。強いて言うならお腹が空いていた。
そんなレティシアの気持ちが分かったのか、エルバートが苦笑した。そのまま指をパチンと鳴らす。
するとティーテーブルに温かそうなホットサンドが現れた。それにレティシアは目を丸くする。
「腹、減ったんだろ」
「うん、そうなの――じゃなくて! ここはどこ!」
思わず美味しそうな匂いに流されそうになったレティシアだが、すぐに大切なことを思い出した。
ここはどこだ。この恐ろしく広く、細部にまでお金がかかってそうなこの場所は……。
「あぁ、俺の屋敷」
何気なく言われた一言に、レティシアは項垂れた。
エルバートは魔術を展開した後、一瞬で王都に飛んでいた。ちなみにレティシアは急なことで頭の容量を超え、気を失った。
丸一日寝ていたレティシアは、いろいろなことに打ちのめされていた。まず王都に連れて来られていたことに。次にエルバートがちっとも悪いと思ってないことに。
「なんだってこんなことに……」
「あそこじゃまともな看病もできなかったからな」
それが嘘だというのはすぐに分かった。現にレティシアは徐々に回復していった。あのままあそこに残っていても問題はなかったはず。
それなのにエルバートはレティシアをここに連れて来た。理由も分からないから戸惑うばかりだ。
項垂れながらもホットサンドを食べるレティシアを、エルバートは優雅にコーヒーなんかを飲みながら眺めた。
「ここは王都にあるレストン邸。必要以上に干渉されることもない。ゆっくり休め」
やっぱり王都なんだ。そうかレストン邸。……レストン邸?
不思議そうにエルバートを眺めるレティシアを、エルバートも不思議そうに見返した。やがてその理由が分かったエルバートは「あぁ、」と小さく頷いた。
「ここは王城じゃない。そこから少し離れたところにある俺の屋敷。俺は王城には住んでいないから」
「どうして? だって王子さまじゃ……」
「今は王位継承権を放棄している。直系でも今は臣下だから城には住めない」
淡々と言われた事実にレティシは絶句。そんなこと、知らなかった。
レティシアが知っているのは国の王子は三人居て、長兄をエルバートということである。てっきりエルバートは王城に住んでいると考えていたのだ。
「なんで継承権を……」
「いろいろと理由はあるけど、一番は俺が王立魔導軍の軍帥だからかな」
「え?」
「国を担うべき人間が戦の最前線で戦えないだろう。何かあったら困るし。だから俺は継承権を放棄して王城を出た」
エルバートが城を出たのはグラシアス国から帰国してすぐだった。もちろん周りには大反対されたが、エルバートは聞かなかった。勝手に父である王に継承権を放棄することを宣言すると、さっさと大叔父が所有していたこの屋敷に出てしまったのだ。
今でも王城から帰還するように、という書状を携えた使者が来ることがある。エルバートにその気はないが。
レティシアは「なんだ。そうなのか」と納得しかけ、いやいや王族に変わりはない、と頭を振る。
ここが王城でないからと言って、ここに居て言い理由にはならない。たかが下町風情の小娘がここに居るのは間違いなくおかしいだろう。
エルバートは明らかに挙動不審になったレティシアを、半眼になって見つめた。レティシアが何を考えているかは分かっている。だが、今はまだ、返すつもりはないのだ。
「とにかくここでゆっくり療養しろ」
「いや、今すぐ帰ります! 仕事だって休めないし」
そう言って本当に出て行こうとするレティシアを、エルバートが引きとめる。
引き留めるエルバートと出て行こうとするレティシア。しばし二人は無言でにらみ合う。負けたのはレティシアだった。
「……もうしばらくお世話になります」
びっくりするくらい綺麗な顔がレティシアをまっすぐ見つめる。今までレティシアの周りに、こんな風に整った顔の人間はいなかった。なので見つめられるとどうしたらいいのか分からなくなるのだ。
視線を逸らして小さな声でそういえば、エルバートはレティシアの手を離した。
なぜか満足そうなエルバートにレティシアは溜め息を漏らす。あぁ……おかしなことになってしまった。
レティシアはどうしようもなく落ち込む気持ちを抱えながら、少し冷えた紅茶に手を伸ばすのだった。