19.動乱
オーウェンの言葉を聞いてから、すっかり考え込んでいたアッシュの元に外から部下がやってきた。アッシュを呼ぶ声に、思考の渦から浮上する。
「……なんだ?」
部下たちは全員、言いにくそうな顔をする。なんだ? また魔術で燃やしたりでもしたのか?
彼らはお互いに突き合い、一向に話し出そうとしない。その様子に痺れを切らしたアッシュは、軽く机を叩いた。その音に部下たちの身体が跳ねる。
「用件はなんだ」
「あ……」
「はっきり言え」
凄むアッシュの迫力に呑まれた一人が、姿勢を正して衝撃の一言を言い放った。
「レティシアちゃんの姿がありません!!」
「……なに?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。アッシュは問うように部下たちを見回す。彼らは一様にアッシュから目を逸らした。
居なくなった。誰が。――レティシアが?
事態がようやく呑みこめたとき、アッシュは立ち上がってテントを飛び出した。それを慌ててオーウェンが追いかける。
レティシアが料理をしていた場所にその姿はない。火はすっかり消えていた。周りを見回すがレティシアの姿を見つけることはできない。それがアッシュをさらに焦らせた。
この野営地からは出ないように言ってある。だからどこかに居るはずだ。
「どこ行った……」
辺りを見回すがその姿を見つけられない。舌打ちをして探査の魔術を発動させようとしたとき
それは来た。
唐突な地響きと鼓膜を震わせるような不快な耳鳴り。それを感じると同時に背後の森の中で火炎が吹きあがった。
唐突なそれに野営地に居た全員が動きを止める。しかし、魔術を嗜んだことがある人間ならば分かっただろう。それが魔術によって作られたものであると。
例に漏れず、アッシュはすぐにそれに気づいた。その瞬間、一目散に森の中へと駆け出す。
「閣下!」
森の中へと脇目も振らずに走って行ったアッシュを、オーウェンは慌てて追いかけた。その際、何人かの部下に着いてくるように命じ、残りには武装の準備を言い渡しておく。
アッシュは森の中を疾走する。本能が命じるままに、レティシアの姿を探した。そうしているうちに二度目の爆音。木の隙間から赤い灰塵が舞い上がった。
「どこだ……!?」
嫌な予感がしていた。姿の見えないレティシア。それと前後して起こった爆発。もしかしたら、と考えたらアッシュは足を動かさずには居られなかった。
それと同時に、脳裏に蘇る記憶がある。
あの時も同じように走っていた。奇しくも場所は同じ。森の中で起こった混乱と乱闘。状況の読めない中でも、必死に馬を駆って――
「俺は……」
「危ない、閣下!」
その声がアッシュの意識を覚醒させる。目の前に迫るのは赤い閃光。それは暗闇に沈む森の中を不気味に照らした。
そうだ。あの時も同じように。赤い閃光が俺を貫こうとして。
――砕け散っていた記憶のカケラは、元の形を取り戻した。
* * *
今、レティシアは人生で一番走っていた。自分の命を守るために。
背後で続く爆音。時々目の前を駆け巡る赤い閃光。当たったら死ぬ。本能がそう告げていた。
自分を追いかける足音は止む気配はない。それどころか確実に近づいてきていた。大きくなる足音に冷や汗が噴き出す。
縺れそうになる足を必死に前に動かした。だが走り続けて疲労が溜まった足は思うように動いてくれない。息も切れ始めた。
どれくらい走ったのだろうか。目が霞んできた。レティシアは木々の隙間を縫うように走り、そして視界に見慣れた姿を見つけた。
焦った顔で森を駆け抜ける姿に、レティシアは訳もなく安堵した。そして戦慄する。
彼の前に赤い閃光が迫っているのを見つける。迷ったのは一瞬。レティシアは両足で思いっきり地面を蹴った。
「アッシュ!!」
驚いた顔をしたアッシュがこちらを向く。レティシアはそんなアッシュの前に身を乗り出した。直後、赤い閃光がレティシアの身を貫く。
「レティシア!」
肉を焼く独特の臭いが辺りに立ち込める。レティシアは「痛い」よりも「熱い」と感じた。背後を振り返り、無事なアッシュの姿を見て安堵した。
「良かった。無事で……」
その心から安心した声にアッシュは唇を噛む。レティシアは苦痛に顔を歪め、目を閉じた。
アッシュは気を失ったレティシアを抱え上げ、その身体をオーウェンに預ける。オーウェンは目を丸くして己の主を見つめ返した。
「閣下、」
「頼む。……記憶は戻った」
小さく言われた言葉にオーウェンはハッと息を呑む。それから柔らかく笑って「仰せのままに」と頷いた。記憶が戻ったのなら、何も心配することはない。
去っていくオーウェンの姿を視界の端に捉えながら、アッシュ――エルバートは森の奥深くを睨み据える。やがてアッシュの側近くを赤い閃光が駆け抜けた。
アッシュは呼気を整えると一気に魔力を解放する。それは深紅の槍となって森の奥深くへと飛翔した。
「……当たらなかったか」
手ごたえを感じず、唇を噛む。そんなエルバートの元に赤い閃光が猛襲した。エルバートはそれを防護術を展開することで凌ぐ。
赤い閃光の襲撃が止んだ時、術者が森の中から姿を現した。そいつは森の中に一人佇むエルバートを見て、はっきりと分かるように顔を歪める。
「これは……レストン卿ではありませんか」
「俺を知っているのか」
「もちろんですよ。こんなところで会うとは思っていませんでしたが」
暗に記憶を失っていたのでは、と問われてエルバートは顔をしかめた。やはり情報は漏れていたらしい。ここに敵陣の奴らが居るのことがおかしいのだ。大方、エルバートが記憶を失っている間にことを起こすつもりだったのだろう。
――その前にエルバートは記憶を取り戻したが。
男を見据えて、エルバートは薄く笑う。その微笑みに男の背筋が凍った。
「……行くぞ」
男が防護術を展開できたのは本能と訓練の賜物だった。エルバートは不可視の刃を無尽に創造し、男を襲った。
その威力に男が驚愕する。考えていたのよりも遥かに力を有している。これではまるで在りし日の姿ではないか。
「……まさか」
男が一つの可能性に辿りついたとき、唐突に攻撃が止んだ。エルバートの攻撃によって周りの木々はなぎ倒され、辺りは広場のように拓けている。
悠然と佇むエルバートを見たとき、男は戦慄する。そんな男の脅えを感じたのか、エルバートは楽しそうに笑った。
「手加減はしないぞ。……跡、残ったら八つ裂きにしてやる」
最後の言葉は小さすぎて男には聞こえなかった。直後、爆音が響き猛烈な爆風が男を襲う。それから青白い雷光が天から森の中に落ちる。
王立魔導軍の軍帥「エルバート・レストン」は完全に復活した。
* * *
遠くで轟いた轟音にオーウェンは眉を跳ね上げた。それから愉快そうに唇を歪める。
「派手にやってるなぁ」
離れた時、エルバートは記憶を取り戻していた。おまけにレティシアを攻撃されたことのより、理性は振り切れる寸前。今ごろ溜まった鬱憤を思う存分晴らしているところだろう。
目の前には横になって眠るレティシアの姿。治癒魔術を施したが、怪我のせいで熱を出してしまった。今は鎮痛剤を打って寝かせている。
「跡にならないといいんだがな……」
きっと跡になったらエルバートは気に病むだろうから。なにより女の子の体に傷があるのはよくない。
オーウェンはレティシアの肩まで上掛けを上げると、テントから出る。そこには武装を整えた部下たちの姿があった。
誰もが真剣な顔でオーウェンを見ている。その静かなる闘志を感じ、オーウェンは自分の気持ちがどんどん高揚していくのを感じた。
「準備はいいな。防衛線を守り、敵陣を攻めるぞ」
「「おぅ!!」」
応える兵士たちの声が大地を震わせる。その瞬間、空から光の柱が森を貫き、轟音を轟かせた。このままではエルバートが単身、敵陣に乗り込んでしまうだろう。
オーウェンは馬を引き、それに軽々と乗る。そして漆黒の森の中へと飛び込んだ。
ここに、何度目かになるセルヴィン王国とオーランド国の戦いが始まった。