15.新天地
野太い声で目が覚めた。
目を開ければ見慣れない天井。――いや、布? 身体を起こせば節々が悲鳴を上げた。
「ったぁ……!」
痛みに顔をしかめながら部屋を見回せば、明らかに自分の家とは違う場所。少し離れたところで、アッシュが毛布にくるまりながら、地面に横になっていた。
その姿を見て、昨日の記憶が蘇ってくる。
あぁ……。昨日オーウェンに連れられて、セルヴィン王国軍の野営地に連れてこられたんだった。
節々が痛いのは簡易ベッドに寝ていたからだろう。レティシアは凝った首を回しながら、ゆっくりと身体を伸ばした。
地面で転がっているアッシュはまだ眠っていた。その寝顔をレティシアはぼんやりと眺める。
今でも信じられなかった。アッシュがこの国の王子さまだなんて。下町に住んでいるレティシアには、一生お目にかかれない人間だ。
そんなアッシュを拾ったのは、本当に偶然。おまけに記憶を失っていたから、だいぶ王子さまに失礼な態度を取ってしまった。
ぼんやりとアッシュを拾ってから今までのことを考えていたら、アッシュが顔をしかめながら身をよじったのが分かった。
「むぅ……」
アッシュがうなり声を上げながらゆっくりと目を開ける。まだ眠そうなアッシュの目と目が合って、レティシアは小さく笑った。
「おはよう」
「おはよ。……オーウェンは?」
「さぁ……。朝起きたらもう居なかった」
レティシアの言葉に顔をしかめながら、アッシュは身体を起こす。その姿を見て、レティシアはまたアッシュが成長したみたいだな、と思った。
地面で寝ていたアッシュも体中が変な風に凝ったのか、顔をしかめながら思いっきり伸びをする。考えてみれば王子さまを地面に寝かしていたのだ。今さらながら、レティシアはとんでもないことをしてしまったと思った。
なんとなく居心地が悪くてレティシアは立ち上がる。外に出てみようとしたが、野太い声が野外から聞こえたのですぐに出るのをやめた。
「出たかったんじゃないのか?」
「ううん。いいの、大丈夫」
笑うレティシアが無理しているように見えて、アッシュは首を傾げる。レティシアは深く突っ込まれる前にその場をそそくさと離れた。
レティシアはどうしようもない居心地の悪さを感じていた。ここは今まで居た下町とは似ても似つかない場所で、おまけに軍の人間が四方を取り囲んでいる。
言い表しようのない閉塞感が、レティシアの四肢に絡みついてくるような錯覚に囚われた。
「――お、起きたのか」
聞こえた声に顔を上げればオーウェンが入り口に立っていた。両手にはお皿らしきものを持っている。
漂ってくるいい匂いに、レティシアがそちらの方へ歩き出せばオーウェンが苦笑を漏らした。
「腹減ったろ。朝飯持ってきた」
お皿には白いご飯に卵とベーコンが乗っかっている。温かそうなそれに、レティシアは急速にお腹が空いたような気がしてきた。そういえば昨日は何も食べていない。
お腹が空いたのはアッシュも同じだったのか、朝ご飯の乗った簡易テーブルに近づいてきた。ホカホカのご飯を見て、その目が嬉しそうに和む。
珍しいその光景にオーウェンが瞠目した。閣下が笑うなんて……!
一人密かに感動するオーウェンをよそに、二人は朝ご飯を食べ始めた。そんな二人を見てオーウェンが温かいコーヒーを淹れる。
「ありがとう」
コーヒーの入ったマグを受け取ったアッシュがオーウェンに軽くお礼を言った。その事実にオーウェンはまた衝撃を受ける。閣下がお礼を言うなんて……!
どうやら事態は深刻そうだ。一刻も早く閣下には記憶を取り戻してもらわねば。
決意を固めるオーウェンを放置して、二人は黙々とご飯を食べ続けた。
ご飯を食べて人心地ついた二人は、オーウェンと向き合うようにして座る。もちろん今後の対策を練るためだ。
オーウェンは目の前に座るアッシュ、もといエルバートをじっと見つめる。見た目は以前より少し若いが、以前の閣下とどこも変わらないように見える。
どうにかしてエルバートの記憶を戻し、ここの指揮系統を回復させなくては。
オーランド国は待ってくれない。いつ、彼らが踏み込んでくるかはわからないのだ。
「とにかく閣下には、記憶を取り戻すことを最優先としてもらう」
「どうやって?」
「心配ない。ここには専門家がたくさん居る」
そう言ってオーウェンが自分の背後を指差す。そこには昨日と同じように、中を覗き込む部下たちの姿があった。エルバートの顔が嫌そうに歪む。
「あいつらに任すのか……?」
「腕は確かだ。性格は保障しないがな」
オーウェンの軽い言葉にエルバートの顔がますます嫌そうに歪む。
中の様子を窺っていた何人かは、オーウェンに手招きされて野営テントの中へと入ってきた。全員が深緑の長衣を纏っている。
彼らはオーウェンとエルバートを見た後、エルバートの隣に座っているレティシアのことを見た。探るような視線が気まずくて、レティシアはエルバートの方に身を寄せる。
するとそれが彼らには衝撃だったのか、驚愕という表情でオーウェンの後ろに群がった。
「ちょっと! 見ました!?」
「彼女、何者ですか!?」
興奮する彼らに、レティシアは戸惑った。ちなみにエルバートは興味無さそうにその様子を傍観している。一番楽しそうなのは、部下に肩を掴まれているオーウェンだった。
「彼女は大事な客人だからなー。手、出したら殺されるぞ」
誰に、とは言わないオーウェン。勝手に解釈した彼らはにんまり笑ってレティシアを見た。レティシアはますますエルバートに身を寄せた。
「それで? 俺の記憶はどうすれば元に戻る?」
話が脱線したままなかなか戻ってこないことに痺れを切らしたエルバートが、オーウェンの背後の控える彼らに目を向ける。すると彼らの中で一番静かにしていた一人が進み出てきた。
「とりあえず閣下の身に何が起こったのかを解明したいと思います」
「できるのか?」
黙然と頷く彼の様子に、エルバートはとにかく任せることにした。
いくら自分が軍の頂点と言われたところで、記憶のない今の状態では何もできない赤子同然だ。一刻も早く状況を把握できるだけの記憶を取り戻したい。
そんなエルバートの気持ちがわかったのか、彼は黙って頷いた。
レティシアはそんな彼らをぼんやりと眺めていた。
やっぱりアッシュは自分とは違ったんだ。そんなことを思いながら。
彼らと話すアッシュは違和感など無く、むしろここに居て当然と思えた。レティシアはそんな彼らから目を逸らす。
疎外感を感じるなんておかしい。ここは自分の居るべき場所ではないのだから。
アッシュが離れていってしまう気がして、なんだか寂しい。
そう思う自分の心に蓋をして、レティシアはアッシュの記憶が戻ることをひたすらに祈った。